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『「瞑想」から「明想」へ 〜真実の自分を発見する旅の終わり~』書籍出版記念講演会⑥

「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんへ


3月11日の大阪講演会まであと少しとなりました。
今回からは私たちの活動をご紹介できたらと思います。愛光流認可指導室・愛光流師弟会のメンバーだけでなく、いろいろな方々に尽力していただきました。SNSでご紹介いただいたり、お知り合いの店舗にリーフレットを掲示いただいたり、書籍を寄贈させていただいたりしました。

みなさんの活動報告はSNSなどでたいへん盛り上がっています。

今回私が訪問させていただきましたのは「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんです。

山陰地方、特に鳥取県では県内に展開するTSUTAYAさん以外の大きな書店グループさんも存在するのですが、そちらでは諸事情あり、私たちのような一般人の持ち込みは一切受け付けていないという知らせを受けました。とても悲しい気持ちになりましたが、それはそれでしょうがない。会社の方針とあれば売り場のお姉さんも「うん」とは言えません。書店グループ全体としては師匠の書籍自体は取り扱って下さっていましたので、近くにある「アプト店」で注文、購入させていただきました。

氣を取り直して、「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんに訪問します。
事前に師匠の書籍を取り扱って下さっている書店さんのリストを入手し、その書店さんを一軒一軒廻っていきます。こういう時に愛光流のメンバーは全国各地にいますから頼りになります。

まずは「TSUTAYA 角盤町店」さんに訪問しました。こちらのTSUTAYAさんはスターバックスコーヒーさんと店内で繋がっており、購入した本をコーヒーを飲みながらすぐさま読めるというすばらしい環境。訪問したのが平日日中だったにもかかわらず店内は混みあっていました。
そちらで書籍を探しますが、見当たらない。とにかく探すのですが見当たりません。このコーナーかな?こっちのコーナーかな?と探します。
すぐに疲れてしまって、店員さんにお聞きします。店員さんは店内の在庫リストを調べてくださいましたが「売り切れで在庫がありません」とのことでした。持っているリストから「この店には○○冊書籍が入荷しているはず」と情報を得ている私はほくそ笑みすら堪えます。心の中ではすでに宴会をしています。パーティーです。
店員さんが「ここではなくて弓ヶ浜店には在庫があるようですので、お取り寄せしましょうか?」と言われるので「けっこうです。そちらに伺います」と答えます。

というわけで、「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんに移動します。

TSUTAYA弓ヶ浜店さんの店前で

ここで書籍がみなさまの手に届くように置かれているのだと思うとうれしい気持ちになります。

こちらでは書籍が陳列されているのを確認し、購入させていただきました。こちらのお店では古着を取り扱っておられるようで、そちらのコーナーにも多くの人がおられました。
琴浦指導室でも「書籍を買って帰ってもいいですか?」と言われる会員さまもおられます。定価で購入して定価でお渡しさせていただいていますので販売しているというものではないのですが「ここで買いたい」という想いは私もすごくわかります。ありがたく思います。

こちらでは講演会のお知らせを店内に置いていただけることを了承していただきました。

再び「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんへ


後日「TSUTAYA 弓ヶ浜店」さんに再訪問しました。このときは出張のお仕事のついでに立ち寄った程度でしたが、目的は講演会のお知らせがどうなったか?です。

店内に入るや否や飛び込んできました。
「店員さん、ありがとう!約束守ってくれたのですね!」めちゃくちゃうれしかったです。
こういった持ち込みのものって無視されたり、邪険に扱われたりすることが多いみたいです。書店側からすると、それも仕方ないことかもしれません。本を売ったり古着を売るのが仕事ですから「業務に関係のないものを持ちこまれても困る」と言われても言い返す言葉もありません。しかし快くご了承いただき、店内にご案内いただけてうれしく思いました。

入り口入ってすぐの所に


再びTSUTAYA弓ヶ浜店さんの店前で


YouTubeでも

YouTube動画でも最近の話題は書籍や講演会のことばかりです。

YouTube動画でも


師弟会ミーティング


師弟会のミーティングではいろいろな話がなされています。とにかく楽しみいながらやっているという感じが伝わるでしょうか?

私の画像がないのは、なぜだか最近zoomのカメラが調子悪いのです。ですので毎回顔出しNGみたいになっています。

師弟会ミーティングの様子



氣になった一節


明想のメリットというものについて書かれています。

メリットというものを知らないと手を付けないというのは現代人の常というものなのでしょう。何かみなさまに提示するときは、お伝えするときはメリットを明らかにしないといけない。そのメリットを見て概算を踏んで「よしっ」と判断するのが現代です。商品やお店のレビュー評価などもそういったところが見え隠れしています。
「余計なことをしているヒマなどない」現代人。言いかえると「失敗したくない」現代人です。そりゃ私にだって余計なことをしているヒマも、失敗している余裕もありません。でもしてしまうのがおもしろい所だとも思っています。

師匠とこのような話をしたことがあります。コスパを本当に求めたら人間なんてどうしてやっているのだろう?と。少々乱暴な表現ですが、人間というのはほんとうにコスパが悪いものなのですね。その人間が「コスパ、コスパ」って言っているのだから、と。

メリット言うものもその人自身が認識している限界範疇のものであり、それを超えたものをメリットとして共有することはできないのではないだろうか?幸せの形やサイズ、温度、柔らかさ、そういったものが人それぞれ異なるように。

明想は、老子が「道」と呼んだものと同じ「光」を体感し、やがて光そのものとなるための方法です。
その比較的初歩の段階でも幸せを感じ取る感受性が高まり、エネルギーが心身に満ちてくるので人生が明るく照らされ、それに伴って。抱えていた問題も自然に解消されていきます。それが明想のメリットです。

山本清次『「瞑想」から「明想」へ 』現代書林2023年26ページ

明想を行っていくと初歩の段階でも「幸せを感じ取る感受性が高まる」そうです。
この部分もちょっと引っ掛かりませんか?
幸せって感じるものなんですね。
では「幸せになりたい」っておかしな言葉なんだなと。むしろ呪いの呪文のような気がしてきました。囚われの呪文。
そうではなくて、幸せを日々感じて生きていく。それを感じ取る感受性を高めるというのは人生を幸せ方向に転換する方法なのです。

まとめ


講演会に向けての活動を書きました。その他にもたくさんの書店さんや施設でご案内させていただいております。

師匠の書籍から氣になる一節を取り上げてみました。幸せというのは「なる」ものではなく「感じる」もののようです。それだけでも目からうろこポロポロの方もおられますよね。「幸せになりたい」というのも改めたい言葉です。「感じ取る」と表現されていたのも印象的です。より「感じ取れる」人はおそらく幸せな人なのでしょう。明想は比較的初期の段階からその能力を高めることができます。



これは私たち弟子が師匠の出版記念講演会を開きたい!と願い、模索していく物語です。

これからも講演会開催までの間、更新して行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。