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「治す」から「治る」へ

整体と治療とはどう違うのでしょうか?
私の師匠はこのような言い方で表現しました。医療機関、お医者さん、病院、治療する人、いろいろいますが、これらの管轄は厚生労働省です。整体は文部科学省です、と。なんだか不思議な言い方ですが、整体の歴史を追いかけていくとそのことがわかります。

ちなみに私が学んでおります愛光流の整体ですが、愛光流の考え方としては病気を治すことを目的としていません。愛光流だけではなく、整体というものがそもそも治すことを目的としてないのです。これは整体創始者の野口晴哉先生の時代から一貫しています。

一般の方々からすると、それだけでもびっくりなさると思います。多くの方は身体の調子が悪いから、身体にどこか痛いところがあるから整体に行こうとしてくださいます。最初はそれで間違いないです。
 
整体は昔々は治療術から始まりました。治療することが主体でした。野口先生は毎日毎日お越しになられる会員さまの治療をなさっていたそうです。野口先生は治療技術がすばらしくて、腕がいいと評判だったそうです。

でもいくら野口先生がすばらしい技術で、治療しても治療しても、同じ病気を繰り返すばかりで、あまり意味がないことに気付きました。治療してしまっても、身体というのは治されてしまうと弱くなるのです。
でもおもしろいことに身体は治ってしまうと強くなるのです。
それから野口先生は治療ということをおやめになられたそうです。
 
治療する、治すという観点ではなく、治るためにはどうすればよいかという観点から考えた末、野口先生は治療という立場を捨て、教育という面に力を入れ始められました。
治すのではなく治るためにどうするかということを考えていく。これが整体は厚生労働省ではなく文部科学省の管轄だという所以です。

身体は治っていくものだと考え、人間の身体を細胞レベルのミクロ的視点から考えてみても、たしかに身体は日々日々刻々と治って行っているのです。
今の症状は刻一刻と治って行っています。
 
たとえば人間の身体の中にある血液は3か月するとまったく違うものに入れ替わります。新しくなります。骨も筋肉も入れ替わり、新しくなります。
入れ替わるということは、その部品が新しくリニューアルされているはずなので、症状が一定であるはずがないのです。
たとえ大きな病を抱えていても、ある一定期間において、身体の中の細胞は入れ替わり、新しいものに入れ替わっています。
 
私たちが食べたものなどを材料にして、新しい細胞に入れ替わっているのです。そのようにして移り変わっているはずなのに、ずっとその症状があるということは、その症状を維持するための努力をどこかでしているということです。
 
とある実験がありました。膵臓のランゲルハンス島というところの細胞にひとつだけマーカーで色をつけます。 
そしてその細胞をずっと観察していった結果、最終的にその細胞はいなくなったのです。身体のどこを探しても、その細胞はいません。
おかしいと思って、もう一回マーカーをつけてみるけど、やっぱりいなくなった。もう一回やっても、またいなくなりました。
この実験からは、それだけ細胞は身体の中で流動的に動いているということがわかりました。
 
でも細胞が動いているからと言って、膵臓という臓器が変化したかというとそうではない。膵臓自体は、まるでずっとそのまま在り続けたように存在しています。
 
ずっとそのままを保つようにできている。これを恒常性、ホメオスタシスといいます。保つというのはじっとしていて動かないのではなく、常に動き続けた結果として保っています。
 
病気や健康は結果です。身体は刻一刻と治るようにできていますし、今の私を保つようにできています。
私たちが何らかの余計な努力をして、治っていくプロセスを邪魔しなければ治るのです。そして治った身体は丈夫になります。大丈夫という言葉がありますが、丈夫な身体にこそ大丈夫は表現される。
 
愛光流の整体はいつもそのようなことを考えています。




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愛光流からだと心整体 隅田真人
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。