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精一杯の愛を届けたい

1月に書いた下書きを修正して投稿。結構前の話。

大橋和也くんというドデカ沼にハマって約2ヶ月。曲がりなりに人生初「ジャニオタ」というモノをしてみて思うことがある。

それは、この世界にはいかにたくさんの「声」が溢れているか、ということだ。
この世にはいろんな声が溢れている。もちろん優しい言葉もたくさんある一方、自担の頑張りを素直に受け取ってもらえないこともある。そりゃそうだ。何万人とたくさんの人間がいてみんな考え方、感じ方、価値観が違っているのだから。人には人の乳酸菌だし、人には人の推しがいるわけで。
なんでそんな当たり前のことを改めて実感しているのかというと、やはりそれは彼が「ジャニーズ」であるからだろう。

なんでこんなことを言い出したのかというと、その発端は1月12日に大橋和也くんが生出演した「あさイチ」。

特に NHK内で何か番組をやるとかそういうわけでもないのに、あさイチにゲストとして単独でお呼ばれするってやっぱりすごい。業界でも彼の礼儀正しさだとか、人柄の良さが買われているのだと感じた。

圧倒的低血圧で朝が大の苦手な私であるが、前日から うきうきしすぎて目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めてしまった。「推し」パワー恐るべし…。こんなに早起きしたのいつぶりだろう…小学生の遠足でもあるまいし…と、完全に浮き足立ってしまっている自分自身に恥ずかしさを感じながらも、「日常の一部に推しがいる生活」に胸の高鳴りがおさまりきらずにいた。

こんな早くから活動してまるで真人間みたいじゃん…推しには乱れた生活習慣を正し、人を更生する力すらあるのかもしれない。正直、ちゃんと録画してあるし、その日は朝からバイトがあったから絶対リアタイするぞ!!みたいな気概があったわけでもなかったが、いざ始まって見ると、生放送、思っていたよりも破壊力がすごかった。

「推しが今この瞬間NHKで仕事をしている」という事実が眩しくて眩しくて。
生放送ということはつまり、今、その瞬間、最新のビジュアルの大橋和也くんと画面越しに会えてしまうというわけで、謎の高揚感が止まらなかった。よくよく考えてみたらインスタライブとかも生だし、クリスマスの配信だって生だったのだが、「誰しもが目にする朝の情報番組に自担が出演して今まさに働いている」という事実への衝撃がクソデカすぎた。

しかし、このオタクにとっての感動の瞬間を全ての人が良く思うとも限らないわけで。
たまたま目にしてしまったのだが、持ち前の自己紹介ギャグ「どうも〜!プリン食べすぎておしりプリンプリン!」をあさイチ冒頭で披露した所、「朝ドラの余韻が台無し」だとか、「朝からうるさい」だとかそういう心無い言葉を結構目にしてしまった。
もちろん、大橋くんのオタクではない方が大橋くんに対して「朝から見ていて気持ちが良い元気さだ」とか、「美味しそうに食べていて元気が出る!」「ワイプの反応が良すぎる」とか肯定的な意見もたくさんあった。大勢のオタクが思い思い大橋くんの苺エプロン姿に殺れていく様も見ていて心地がよかった。
でもやっぱり、批判の声というか、心無い言葉って、実際はごく少数だったとしてもなぜかすごく目立ってしまっているように感じてしまう。大橋和也くんには大橋和也くんなりの信念というモノがあって、それを守るために彼は戦っている(のだと私は思っている)。

それはアマゾンプライムで配信されているなにわ男子がデビューするまでの軌跡を綴った「natural」を見れば自ずと感じうるものだし、雑誌のインタビューなどに隈なく目を通していると彼の芯のようなものが見え隠れするのだが、彼のバックグラウンドを全く知らない人がなぜあんな風に自己紹介をしているのかということはなかなか理解し難いのだろう。

「覚えてほしくて」ずっと同じ自己紹介を繰り返している彼だが、その効果というものは実際に発揮されていて、事実、彼の自己紹介は事務所の大先輩であるKinKi Kidsのお二人のハートを射止めているのだ。いろいろなところで彼の持ちネタが浸透していっていることに対して「続けるって大事だな」と感じた彼は、「認知」のためという確固たる目的を持って、いつでもどこでも同じ自己紹介を懲りずにやっているのである。正直、こんな小さな声、気にする方が馬鹿げてるんだろう。

でも、人生で初めて生身のアイドルを好きになって、初めて「推しが世間の声に晒されている」という状況に立ち合い、なんだか今まで感じたことのないモヤモヤを感じ、いてもたってもいられなくなってしまった。だって、私の大好きな人がこんなに頑張っているのに、この生放送に大橋和也くんの魅力の全てが詰まっていたと言っても過言ではなかったのに。仕事をした本人でもないのになんだか少し悔しくなってしまった。

そもそも「ジャニーズ」という看板を背負っているだけでもかなり偏見の目を向けられているのではないだろうか。だって、正直、少し前の私自身でさえそうだったから。ジャニーズなんて顔が良ければ何でも許されてしまうのでは?っていう考えが少なからずあった。なんでそんな風に思ってしまっていたんだろう。というか「アイドル」全般に対しても同じように思っていたのかもしれない。
まだまだ世間からの偏見というのは拭えないのだろう。

でも、実際、アイドルって多分そんな簡単なものじゃない。顔が整っていることは前提条件でしかないのだ。
例えどんなに容姿が良かろうと中身が空っぽであれば、アイドルは務まらない。アイドルって究極の自営業だと思う。全てを自分でプロデュースし、実績を積み上げ、次の仕事に繋げていかなければならない、いつ何がきっかけで仕事がなくなってしまうかわからないという危機感と常に背中合わせのまま綱渡りをしている。そこには並大抵の人間では知り得ないとてつもない覚悟があるに違いない。

私の大好きな人がどんなに頑張っていたとしても、その誠意がそのままの綺麗な形で伝わるとは限らないというごく当たり前のことに気がついて、なんとなく凹んでしまった。こういう言葉を本人が直接目にしていないといいな、和也くんはきっと強い人だから多分こんなことは気にしないんだろうけど、人間弱っているときに否定されるとどんな強い人でも傷ついてしまうことはあると思うのだ。だから、その分、貴方の頑張りは、伝わっている人にはちゃんと伝わっていて、綺麗なままの形で受け取ってくれる人もたくさんいるということを伝えたい。貴方の笑顔が憂鬱な朝を照らしてくれた、それだけでその日1日を頑張ることができたオタクが間違いなくここにいるのだ。それを知ってほしい。今この瞬間だって、貴方に救われている人がいる。

あさイチを見終わった直後、1番に思ったことは、大橋和也くんを好きになってよかったということ。そして、「私はおそらく、この人といつどこで出会ったとしても、今と同じように好きになっていたのだろう」と確信した。そのくらい彼の良さ全てが詰まった放送だったのだ。私と大橋和也くんとの出会いはアメトーークというちょっと異例な出会いであったかもしれないが、そのアメトーークを見ていなかったとしても、このあさイチを見てたら確実に今と同じように彼のことを大好きになっていた自信があった。

アイドルって何なんだろう。その答えを彼は自ずと導き出している。
「みんなを笑顔にするヒーローになりたい」
彼が度々口にするその言葉に、大橋和也くんの描くアイドル像というのは120%鮮明に描かれている。私は大橋和也くんのようなアイドルを心から待っていた。和也くんは1人のしがないオタクの心を救うヒーローで間違いない。顔も名前も知らないどこかの誰かの命を救ってしまうのだからアイドルはすごい。

もしもこれから先、人気という魔物に飲み込まれそうになっても、どうか自分らしく、貴方らしい貴方でいてほしい。ネガティブな言葉にやられそうになってしまったとしても、その声に負けないくらいの何倍も大きな声で貴方への愛を叫ぶからどうか安心していてほしい。オタクにできることそれくらいしかないし。

ちょっとまだ怖くてRide On Timeを見れてない。見たら泣いてしまう気がするし、感極まってまた長々とnoteをしたためてしまう気がする。

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