アメリカ大統領選挙のテレビ討論会の意味してる方向がわからない。
情報が集まるとそれを見て聞いて確かめて考えてそれらを取捨選択する。こうしてそれらに意味を与えて人々はそれを共有することになる。こうして人びとはまた新たに他者たちと共に生きることができるようになる。これが社会の発展のイメージであった。ところが情報の量と流通する速度が加速していけば私たちはもうそんな悠長なことをいっていられなくなってしまう。ということで私たちは大量に増える情報を選択するというよりその流れの一部をあるいはほとんど全部をわきへそらしてふるい分けるようになる。情報はその背後に様々なノイズを伴ってあらゆる方向から押し寄せてくるので結果として私たちは極度の不安に襲われて爆発しそうにもなるだろう。あらまぁ情報はバクハツだったのね。トランプさんとカマラ・ハリスさんのテレビ討論を見ていると日本で面白おかしく眺めてるのとはまったく違ってアメリカでは見られているんだろうなとは思うがそれがどんな感じなのかいまいち伝わってこないのであった。
大量な情報が一気に加速して押し寄せてくるときの極度の不安というのは日本では炎上騒ぎに巻き込まれた人くらいしかわからないけどいずれアメリカみたいになってしまうのかもしれないのだろうか。
もともとは政治的なあるいはビジネスの世界に関するグローバルな大量の情報をどこからどこへでも迅速に伝達できるシステムに過ぎなかったと思われていたインターネットが多くの人に、大人も子供も視覚聴覚というものを使ってモノを見て聞いて情報を集めればそれを使って何かしたくなるのは当然のことなのである。人は何かをしたがる存在であるのかをこれから私たちは思い知っていくのだろう。個人的なささやかな常識なんかはあっという間に吹き飛ばされて何をするのかわかんない子供みたいに不安になっていくことだって普通にあるのかもしれない。自分がとんでもないことしたくなってるみたいなことに気がついても遅いかもしれない。
そうかもしれないなって思ってたらおあつらえ向きにNHKで精神科のドラマがやっていた。まだこうした情報のテクノロジーに狂わされてみたいな話ではないけどそのうちそういう題材のものもやるかもしれないなんて思いました。こういうのは要するにエントロピー増大みたいな話でまともにちゃんと利用できるたしかな情報が物凄く減ってきてそれにとどくにはかなりのエネルギーを自分で調達できないとそこにいきつけないなんて気がしますがどうなんでしょう。こういうドラマはNHKみたいなかなりなリソースを持っていないと無理な気がします。とはいえメディア業界のこういう些細な努力がもっとあってよい気もしますがこういう題材を見つけてくることが見る人たちにはどういう受け取られ方がされるのかは自明なことではないかもしれない。なんていうのか、よく知ってる人に気楽に何でも聞いたり話したりできるという時代はとうに過ぎ去っているのかもしれないなんて、久ぶりに会う人と何を話したらいいのかなんてことをネットで検索できればするようになるかもしれないですね。こういうことは、恵まれているかそうでないかとはおそらく無関係に人々を吞み込んでいくようなことなのでしょう。だから生活水準が高くてよい学歴であってもまともな人なのであるかどうかはわからないかもしれないというのは大量に押し寄せる情報からまともなものを見つけるのと同じようなことかもしれない。上級国民みたいな人もかなりたくさんいるからね。
どうでもいいことに敏感ですぐに騒ぎたくなっちゃうしちょっと考えてみればわかる大切なことの区別がつかなくてクズみたいな自分がいましたなんてことありそうで困った時どうすればいいのか。こういうのもテレビドラマでやってくれれば見るだろうね。クズな人向け法律相談のコマーシャルなんか出てきそうですね。
もともと情報というものに人間は無防備でとても脆弱でそれに対してどうしたらよいのかというようなことを制度的に対処しようとするとそれがかえってロクなことにはならない。いまのところたぶん思いつくのはテクノロジーによる解決みたいなことになりがちだ。しかしそういうのは夢の未来というよりよくできた悪夢の未来のリアリティを感じさせるので人々の興味をそのままでは惹くことはないだろう。投資で一儲けということならのっかる人もいるかもしれない。結局のところこういうことは未来がわたしたちのものになるためには何が可能になればいいのかという文科系的な考え方が来るのが必要なのかもしれない。アメリカ大統領選挙のテレビ討論の感想でした。