母の日に子供達について思う
母の日。
何をすることも出来ないので、せめてもと母に電話をした。
それだけでも喜んでくれたのだが、話題はもっぱら孫の事。
実は6月に出産をひかえているので、元気なのか、性別はわかったのか、とにかくひたすら楽しみにしているのが、ひしひしと伝わってくる。
今までは、長生きしてもいいことなんてないから、早くお迎えが来てくれないかしら、とばかり言っていた。
それが、長生きしていいこともあるのね、と言ってくれ、曾孫の顔を見るまで絶対に生きてなくちゃと笑う。
本当にそれだけでも、子供として嬉しい限りだ。
この閉塞感に息苦しくなるような世の中、子供の誕生と言うのは何て大きな光であり、パワーでもあるのだろう。
”子供は国の宝だ、子供を大切にしない国は滅びる“
知り合いの大学教授が言っていた。
まさにその通り。
現役が今どんなに頑張って凄い功績をあげても、いつまでも現役でいられるわけにはいかず、必ずや今の子供達に託していかなければならないのだから。
そう思うと、今子供達は大切にされているのだろうかと思えてくる。
思い切り自然とふれあい、その厳しさや素晴らしさ、生き抜くための残酷さを知ること。
それを汚れたり、濡れたり、柔らかさや温もりや冷たさを感じながら自然に学ぶことの尊さ。
休職して自然に学び、癒されてみて、実は人間にとって、それはとても大切なのではないかと気づいたのだが。
間違っているのだろうか。
もっと大切な事ってあるのだろうか。
好奇心や生命力がなければ、新しいものは生まれてこない。
子供を大切にする事とは、そういう体験をするチャンスを奪わない事ではないのだろうか。
そう思うと、この1年半余り、大変なマイナスになってしまっていないだろうか。
1日も早く取り戻してあげたい。
世の中の力の源として、光の源として、子供達は思いっきり歓声をあげて駆け回ってもらいたいと願う母の日になった。