不要不急って基準は何だろう
緊急事態宣言が延長になった。
本当に11日に晴れてニコニコ解除になると思っていた人はどれだけいただろう。
解除になって欲しいと、心から願っていたであろう飲食業その他の関係者だって、本当は延長になるんじゃないの?とこっそり思っていたのではないだろうか。
2人1組で飲食店をチェックして回ったり、休みの日に渋谷に来ている若者に、何故来たのかアンケートを取ったり、10人位で並んで立って、早く帰りましょうとアナウンスしたり。
それって効果的なの?と首を傾げたくなる。
都の職員がやっているのだから、それは都民の税金。
そんなことやるより、息つく間もない保健所の手伝いとか、パンク状態で繋がらないワクチン接種予約の電話対応の手伝いをした方が、ずっと役立つじゃんと素人は考えてしまう。
そんなことはない、これは大変に重要な仕事なのだと、都の頭がいいお偉いさんが考えたんだから、素人なんかには考え付かない効果があるのかも、、、しれないけどね。
大体この1年以上言われている、不要不急って何だろう。
何を基準にして不要であり、1年経っても不急であるのか。
よくわからない。
誰かに会うことが、他人から見たら不要なんじゃないかと思えても、それが精神的にどれだけ必要な事なのかは、当人でなくてはわからない。
年老いた母親に、母の日位は会いたいが、施設が面会を禁止しているから会えない。
このコロナ騒ぎが落ち着くまで母は元気で居られるのかどうかわからない。
もう平均寿命は越えているのだから、何がどうなってしまうか、誰にも確かなことはわからないと言うのに、それって不要なの?不急なの?
毎日呪文の様に言われ続けて、自分の頭で実は大切な事なのか、考える力が鈍って来てしまっているのではないか。
人は誰かと繋がって、支えたり支えられたりして、正常な精神状態のバランスが取れて生きて行けるのではないだろうか。
こんな世の中じゃなかったら、自分はもっと回復出来ているんじゃないか。
大好きな南の島に行き、鳥のさえずりを聞きながら散策して、大海原を見ながら温泉に入る。
最高の精神的治療になりそうだ。
世の中、行きたいところに行けず、会いたい人に会えず、どれだけの人が病んでいるのだろう。
その人々を不要不急という言葉で縛って、更に追い込んでいいのだろうか?
感染防止か、精神的不安定か。