GoogleのProduct Managerになりました
要約: 日本で文系営業職からキャリアをスタートし、アメリカに渡ったのちにGoogleのエンジニア系職種であるProduct Managerになった人の話です。
このnoteは、へぇそんなキャリアもあるんだ〜という一つの参考に、また、現状打破のために何かしたいけど何をすればいいのと思っている方へ、なにかシェアできたらと思いいろいろと書きました。長いです。
まずかんたんに私の経歴を。
慶應義塾大学環境情報学部卒業
→リクルートキャリアで法人向け転職支援事業の営業 (n年)
→Google日本法人で大手法人向け広告営業 (4年)
→Google日本法人で大手法人向け広告プロダクトスペシャリスト (2年)
→Google米国本社でGlobal Product Lead (4年)
福島県で高校時代までを過ごし、留学経験もなく、リクルートキャリアで営業として楽しく働いていましたが、頑張っていたら運よくGoogleに入れて、その後もいろいろと頑張っていたらアメリカに来られてやったー!というのが4年前のことです。そのときのことは当時こちらに書きましたのでよろしければどうぞ。
Google広告の仕事
このnoteのTop写真は私の所属するGoogle Adsのチームが入っているBayViewオフィスのエントランスの壁です。私は入社時から日本の大手広告主様向けの営業として、その後日本向けのプロダクトスペシャリストとして、そしてこの3月まではGlobal Product LeadとしてこのGoogle Adsの仕事をまる10年やってきました。なにかと非難されがちなGoogle検索とその検索広告ですが、私は大きな意義を感じて働いています。それはざっくり言うと、意味のある情報を必要な人に届けること、ユーザーとビジネスをつなぐこと、スモールビジネスの可能性を広げること、などです。よくご指摘いただくとおり、これらが完璧に実現できているわけでもないので歯がゆいところも多々ありますが、私個人と組織としては、よりよいインターネットを目指して毎日がんばっております。
さて、タイトルのとおり私はこの4月からGoogle AdsのProduct Manager(PM)になりました。これは個人的にはものすごく大きなことで、自分のアメリカでの職業人生の第二章と言っても過言ではないと考えています。
せっかくの節目なので(節目にしかnote書かないんですが)このnoteでは自分向けの記録という意味も含めて書きました。再度言いますが、たいへん長いです(15,000字)。時系列で書いているので、このプロセスで学んだことだけご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、先程の目次から最後のセクションだけをご覧いただければと思います。
GoogleのProduct Managerとは
Product LeadからProduct Managerになることがなぜそんなに大きいことなのか、業界外の方や社外の方にはさっぱりわからん、という類の話だと思うのでまずそのことからお話させていただきます。
Google検索に「GoogleのPMってなに?」と聞いてみましょう。こちらが一番上に表示されていたものです。
つまりプロダクトのアイディアからローンチ、その後までプロダクトのすべてに責任を持つ仕事です。
次に、Google検索のPeople also askの一番上はこれでした。GoogleのProduct Managerって大変なの?という質問。
昼も夜もなく働くとても大変な仕事だけど、地球上でもっともリワーディングな仕事の一つだそうです。そりゃすごい。
Tech業界のProduct Managerの面接対策の有料コースが提供されていることから考えても、なりたい人がたくさんいて、なるのが大変っぽい、ということかと思います。
ということで、業界や社内だと『憧れの花形ポジション』と言って過言ではないかと思います(もちろんその人の志向によるので、誰にとっても、ということではないですが)。
なお、私が渡米してからやっていたGlobal Product Leadはビジネス側の職種で、Product Managerはエンジニア側の職種となり、組織体系や選考プロセスも大きく異なります。
どうして、そしてどうやってPMを目指すことになったのか
私は日本向けのプロダクトスペシャリストをしていたときから本社のGoogle Ads PMと関わることがあり、優秀な人たちだなという印象はあったものの、自分と全く異なる職種、異なる経歴の皆さんであり、まさか自分がそこに行けることになろうとは微塵も思っていませんでした。
その理由として、GoogleのPMはコンピュータ・サイエンスの学位とMBAが両方必要でコーディングもビジネスもわかる人しかなれないと言われていたことや(注: 昔はそうだったかもしれませんが今はどちらも不要です)、Google Adsの場合はアメリカと一部の国にしかPMのチームがなかったことなどがありますが、まずもって文系出身、営業しかやったことのない日本オフィスの営業がPMを目指すというpathがあろうとは夢にも思っていなかったことも大きな理由です。本当に「私とはまったく別の人たち」として一緒に働いていました。(注:他のプロダクトのPMは日本オフィスにもいます)
グローバルチームに異動してからの発見
ところが、本社に転籍してGlobal Product Lead(GPL)として勤務すること1年ちょっとが経った頃、あることに気づきました。GPL組織から、ちらほらとPMになっていく同僚がいるではありませんか。決して多くはないのですが、確実にいるようです。GPLはビジネス部門で最もプロダクト開発組織に近いポジションでPMやEngineerと毎日一緒に働くので、そのなかでもプロダクト組織に興味があり、評価された人がちらほらとローテーション制度や20%プロジェクト制度などを利用してPM組織に移っているようでした。
「え、もしかして私もPMになれるかもしれない…?」
これに気づいたときは、なんというか、かなり衝撃的でした。医師や弁護士などの難しい職種は、とはいえ学校に通って試験に合格して研修を受けたらなれるということは理解していましたが、GoogleのPMになるというのは、たとえば私がいまからマッキンゼーのパートナーになるとか、ウォールストリートのファンドマネージャーになるとかくらいの「どうやるかよくわからない難しそうなこと」でした。それが、実は今私はそれに最も近いっぽいところにいるらしいのです。ロールモデル不要論を最近Twitterで見かけましたが、このような職種変更についてはロールモデルはたいへん有用なのではないかと思っています。
しかし「なれるかもしれない」とわかったところで、当時「今すぐに目指そう!」ということにはなりませんでした。
渡米後1年経ったころの当時、英語への苦手意識と持ち前のスロースターターぶりを発揮して、いまひとつこれといった成果は出せておらずという状態でした。英語が苦手なことで自信が持てず、仕事の中心であるプレゼンテーションや議論が30%くらいの力でしかできないことにまた自信をなくし、何をやるにも人の何倍もの時間と体力と精神力がかかり、とにかく大変な1年間でした。そのため「とにかくこのチームで成果出して、それから考えよっかな…」くらいに思っていました。また、昇進のチャンスやマネジメントのチャンスがそれなりに開けていた(と思う)日本でのキャリアを中断して本社に転籍してきたこともあり「この歳でこのジョブレベルでマネジメント経験もないなんて、いくら覚悟した道とはいえどうなんだろうな…」という思いもあり、とにかくここで頑張らないとと、とにかくがむしゃらに働いていました。
努力の2年目
こう書くと渡米して落ち込んでいたんだろうと思われるかもしれませんが、実は逆でした。私は心理的ダメージにめっぽう強く、筋トレとランニングで鍛えた体力も有り余っており、さらに底なしのポジティブさと出どころ不明の向上心が行動をドライブするタイプなので、とにかくやるぞー!ということで、自分がなにをすべきかわかってきた2年目以降、考えつくあらゆることを試していました。パンデミックの影響で全員が在宅勤務になって心と時間の余裕ができたのも大きかったと思います。この間に現在の夫である当時の彼と車2台でロードトリップで引っ越して、計5つの州に住みました(テキサス、フロリダ、コロラド、アリゾナ、カリフォルニア)。この一連の旅と生活も自分の心持ちに良い影響を与えました。ちなみに結婚したことは親と職場以外には報告していなかったので、ここで知る方ばかりかと思います。すみません。
2年目に停滞を打破するためにやったこととしては、以下のような感じです。
社外のコーチングサービス(弊社の従業員向けの福利厚生のひとつ)。Thinking trap(思考の罠)をどうやって乗り越えるかを学び、トレーニング。『思い込みが可能を不可能に変える』という大谷さんの恩師の言葉がWikipediaに載っていますが、まさにそういう話。
日本時代から仲良くしていたGPLの同僚/友人でその頃マネージャーになった人に社内コーチングを依頼。同じノンネイティブとして、どうやってこのコンペティティブな組織で成果を出すかについていろいろと相談に乗ってもらう。
とにかく英語のインプット。聞けないので会議をリードできないし、質疑応答に的確に対処できないのが課題だったので、Podcast, Audible, ドラマで聞く練習、NewYorkTimesなどの記事の多読で語彙や表現、文脈の理解の強化。今考えても毎日すごい量の記事を読んでいたと思う。
発音・アクセント矯正のレッスン。全然伝わらないし、ネイティブがなんて言ってるかも全然わからないので、発音・アクセント専門のサービスAccentsoff.comで、ゼロから徹底的に鍛えてもらった。そもそも正しい文法で喋ってないので発音やってもしょうがないかもという思いもあったものの「どうやって発音するかわかると、聞こえるようになる」という目から(耳から?)ウロコ体験をしたので、英語力が低くても発音勉強してよかった。
仕事のやり方を何通りも試す。マネージャーと徹底的に議論。私の仕事はユーザーの声をプロダクトに反映させるために、営業にインタビューをしてインサイトをまとめて、関係部署にプレゼンして議論して説得して動かすというもの。インタビューの仕方、ノートのとり方、インサイトのまとめかた、プレゼンテーション資料の作り方、プレゼンの仕方、質疑応答の仕方、すべてにわたって考えられる改善施策を試して直して人に見せて、を繰り返した。
転機の3年目
先にも書きましたが、私は新卒の頃からスロースターターで、どの仕事も1年目はわけがわからないまま終わり、2年目でようやく把握し、3年目以降にそれまでとは全く異なる大きな成果を出すという感じでした。(さすがにもういい大人なのでPMとしては1年目から成果を出したいですが。)
GPLになって3年目、前述の様々な努力が奏功し、取り組むプロジェクトが次々にヒットやホームランという感じになってきました。PM組織のディレクター陣から絶賛をもらい、名指しで仕事が入り、GPL組織全体で表彰され、「あれ〜私案外いけてるじゃん!アメリカでもやっていけてるのでは〜!?」など思えるようになりました。
仕事に余裕も出てきて、この頃から、もっとなにかやりたいと思うようになり、以下のようなことをやっていました。
社内向けナレッジ共有の講師。ほんとうに小さいセッションだったけれど、自分が英語で人になにかを教えるなんてできそうにないしいつになることやらと思っていたので、やってみてよかった。
これまでやったことのない分野の仕事に手を上げる。チャンスを自ら探して、自分の仕事の幅を広げてくれそうな、新しい人脈を広げてくれそうな仕事に積極的にチャレンジした。これによって、GPL組織のVP(Vice President)の会議でプレゼンさせてもらう機会ができたり、PM Managerとの接点を強化できた。
強みの強化。私はExecutionが非常に得意で(あとhard workingなので)、素早く的確なアウトプットが出せることで周囲を驚かせ、喜ばせることが多く、これは周りの人にはない圧倒的な強みだと気づいたので、ここだけはどんなプロジェクトでも死守しようと決めた。これがのちにPMの選考でも非常に役に立った。
MBA受験。仕事が以前より少ない時間でできるようになっていたので、この時間を次のキャリアのためにということでオンラインでMBAをとろうと考え、受験を開始。GMATを受けなくて済む学校を受けて6校すべてから合格をもらい、オンラインで一番良いMBAという基準で最終的にUSCとUNCに絞り、いろいろ考えてUNC Kenan-Flagler Business Schoolに決定。
飛躍の4年目とMBA
4年目は1〜2年目の苦労が嘘のように仕事は楽になり、物足りなさを感じるまでになりました。しかしちょうど2022年1月からMBAのクラスが始まってすごく忙しくなったので、MBAは良い決断でした。
ここで、なぜMBAをとろうと思ったかについても触れさせてください。
今さらMBAなんて、年齢的にも市場価値的にも、金銭的なリターンを考えても意味がないということは理解していたのですが、アメリカで教育を受けた経験がないこと、会社以外の人と接する機会があまりないこと、ビジネスやリーダーシップを体系的に学び、議論し、自信をつけたいと思ったこと、などが主な理由となってMBAを取ろうと思いました。
自分の今後のキャリアとしてこの組織でマネージャーになるにしてもPMになるにしても、はたまた転職するとしても、仮にMBAが直接役に立つことがなかったとしても、その過程や学んだことが無駄になることはまずないだろうと考えました。また、英語のインプット・アウトプットは今後も絶対に取り組むことなので、どうせやるならランダムなドラマやニュースで英語を学習するよりも、英語で学んで学位が取れたら嬉しいよねというのも大きかったです。
とはいえすぐに「MBAだ!」と飛びついたわけではなく、オンラインで勉強することは自分がやりたいことかと向いているかを見極めるために、1年くらい前に上司との間でのPDP(Personal Developement Plan)にオンラインの授業をとることをexperimentationとして記載して、実際ハーバードの無料のコースをひとつとってみました。結果、楽しいしこれなら大丈夫そうということで、上司とも相談してMBAを受験することにしたのでした。
結果としてはこの選択は非常によかったと思っています。課題や授業は恐ろしく忙しいですが、仕事とは関係ないトピックで議論をしたり、チームで課題をやったり、ペーパーを書いたりと、ビジネスで必要な能力と英語力が鍛えられています。先日カナダでのin-personのサミットにも参加できましたし、プログラムを半分消化したところで卒業後のキャリアの目標であったPMにもなれたし、個人的には非常に高額な学費もまぁ許せるかなというところです。体感9割アメリカ人という感じのプログラムですが、成績も現在のところ良いので、その点も自信になっています。
こうして、GPLとしての4年目は仕事は非常に順調で、チームでリーダーシップを発揮することを期待されながら、新人向けのセッションへの登壇、新人GPLや他国のセールスへの教育やコーチング、そしてこれまでよりさらに幅広い組織や役割の人たちと一緒に仕事をするなど、MBAの授業で得たことを仕事にすぐ活かすこともできました。3年目以降、連続してパフォーマンス査定でも非常に良い評価をいただき、明らかに"大丈夫な感じ"と自分で思えるまでになりました。
PMへの切符
ここまでずいぶん長くなりましたが、この積み重ねがないとPMになっていないのでお許しください。
PMへの切符は、撒いておいた種から芽が出るような形でやってきました。
4年目の後半、2022年10月頃に私が手を上げて取り組んだ仕事の受け手側に居たのが、今後お世話になるPMチームのマネージャーでした。このときの仕事のアウトプットのスピードと質が彼女としては非常に驚くべきものだったらしく、とても厳しいPMとして有名な方なのですが I can't believe it, this is amazing. を連発していて、これは来たな、という感覚がありました。
その後彼女との接点はなかったのですが、彼女と一緒にその後プロジェクトをやっていた私のディレクターが2023年2月のある日、
「彼女が自分のチームからひとり抜けるので、新しいPMを探している。GPLで誰か良い人がいないかと言ってるけど、Natsumi興味ある?」
と聞いてくれたのです!なんというチャンス!
「ぜひ、すぐ応募したいです」
と即答しました。
この背景には、Directorとの定期的なcareer conversationがありました。会社の推奨で直属のManagerとは定期的にキャリアについてのミーティングをする機会があるのですが、私は加えてその上のDirectorとManaging Directorにも「私はAds PMかこの組織のマネージャーか、両方の可能性を視野に入れている。キャリアの構築のためアドバイスがほしい」という趣旨で何度かミーティングをお願いしていました。部下のキャリアを親身に考えてくれる上司に恵まれ、自分のキャリアの目標が一つに定まりきっていない、かつこの組織外である可能性もあったのに、いろいろと相談させてもらいました。しかもそのことを覚えておいてくれて、PMのチャンスについて声までかけてくれました。このDirectorは、4年前、当時英語が下手な私の過去の実績と可能性を買ってくれてチームに入れてくれたマネージャーでした。アメリカでの成長と飛躍はひとえにこの上司とこの組織のおかげです。愛しかない。
そういうわけで、PM職の選考を受けるというチャンスを得られたわけですが、ここからもいろいろと大変でした。(注:もちろん社内の募集に普通に書類を提出して応募するというルートもありますが、書類選考からになるのでなかなか大変です)
選考について
Googleの社内でのPMへのpathsはいくつかありまして(正確には、過去にはいくつかありました。今はインタビューのみ)、PMチームへのローテーションを経てのコンバージョンや、部分的にプロジェクトを任せてもらって推薦を得てからのコンバージョン、そしてインタビュー選考を通してオファーを得る、などです。ローテーションからPMになった人のインタビューが弊社サイトにありましたのでご興味あればどうぞ。
ローテーションとPRD
当初私のHiring Manager(前出の厳しいPMマネージャー)から15分のミーティングが設定されました。彼女は上記のようなローテーションからのコンバージョンを想定していたようで、まず私はPMの仕事の基本である、PRD(Product Requirements Document)をひとつ書いてそれで見極めたいというオーダーをもらいました。彼女曰く、私の仕事はよく知っていてぜひ受け入れたいけれど、user insightsにフォーカスした現在の仕事からPMの仕事にちゃんと転換できるかを見極めたいということでした。PRDの課題内容についても1分くらいしか話す時間がなく、トピックはなんでもいいけど、こういう感じの問題についてそれを解決する方向性で、自分で勝手に決めてね〜という感じでした。2週間でどう?その後PRDの内容についてもコーチングするよ!と言われたので喜んで受けました。
これは少ない指示のなかで質の高い仕事が素早くできるところを見せる大きなチャンスなので、2週間と言われたけれど自分のなかでの締め切りを1週間に定め、ひとつと言われたけれど違うプロダクトで2つ書くことにしました。
彼女とのその15分間のミーティングの直後、情報収集の必要性を感じ、過去に彼女のチームでローテーションをしていた同僚と彼の友人、そしていま彼女の隣のチームで働いているPMにミーティングを依頼し、どういうことが大事かなどをかんたんにヒアリングしてから方針を固めました。長く会社にいると知り合いがたくさんいて、こういうときにありがたいなと思いました。それに、みんなすぐ時間作ってくれて本当に良い人たちです。
さらに、広告営業として新卒入社したのち私より前に日本からアメリカに移り、ソフトウェアエンジニアにまでなった驚異の同僚に、エンジニアの視点からの良いPRDについて教えてもらいました。このアドバイスが非常に勉強になりました。
ちなみに、その彼のnoteはこちらです。凄いので是非読んでほしいです。私も勇気づけられました。この会社の好きなところのひとつが、こういう人と一緒に切磋琢磨できることだと心から思っています。
PRDは上出来 ー 「2週間後から来てほしい」
そういうわけで、業務時間後と土日の起きている時間すべてをPRDの執筆にあてました。
1週間後「進捗どんなかんじ?」と連絡をくれた Hiring Managerに「実はもうできてます。2つ書きました」と完成したPRDを2つ見せたところ「これはすごい、もうあなたがPMとして成功することを確信した」とのことで、いやいやほんまにだいじょうぶかいな、と思ったものの、努力が実ってよかったです。Engineering Directorにも見せて良い?と言われたのでもちろんと返答したところ、非常に厳しくめったに褒めないとされている彼からも「これは初めてのPRDしかもPMチームの協力無しで書いてこのレベルとは素晴らしい、一緒に働くのを楽しみにしている」というコメントがあり、私のPRDチャレンジは無事終わりました。2週間後からうちのチームに入れる?と言われたので、Manager, Directorとともになんとか仕事を調整して4月1日からにしよう、と決定しました。これが3月1〜2週目だったと思います。いやーびっくり、私がこんなに急にPMになれるなんて!
と、思ったのも束の間。
ローテーション今やってないってよ ー インタビューパスへの変更
すぐローテーションのオファーレター出すよ、HRに確認するね!ということだったのですが、なんと今はローテーションパスは一時的にクローズしているらしく、4人との面接を通過しないといけない、ということが知らされました。
PMのインタビューだって!私が最も避けて通りたかったものです笑
詳しくは書きませんが、PMのインタビューは非常に特殊で、この記事とか見ていただくと詳しいのですがこんな感じの質問です。
最初見たら「なんだこりゃ」って感じなんですが、最終的にはこういう質問について考えたり話したり議論することが楽しいと感じるまでになりました。あとしみじみこういう話を英語で論理的に組み立ててできるようになるまで成長したんだなとも思いました(毎日朝から晩まで英語で働いているので今更何をという感じではありますが)。
ちなみに、グーグルの面接にフェルミ推定はないというのは最近よく言われますが、PMのAnalytical questionではそれに近しい質問がされるというのは面接準備をするまで知らなかったです。ただし「スクールバスにゴルフボールは何個入りますか」などではなく、必ず業務やプロダクトに関係ある数字について推定するような質問になります。
私の面接は翌々週に設定されました。Google Ads内外の計4名のPM Director、PMとの面接となるようです。
先に述べた通り、PMの面接は質問内容が特殊なこともあり、社内転職を考えている人は通常半年くらいかけて準備することが多いようです。過去には100回ほどモックインタビューしたという人がいるらしいとも聞きました。
しかし私に与えられた時間は2週間弱。短い。でもHiring Managerがここまで期待してくれているなら、ここで諦めるわけにはいかない。ということで、さっそく面接の準備に取り掛かりました。
Product Managerの面接
面接に向けては、以下のことをしました。
社内のリソースをあさり、PMになりたい人たち向けの資料を発見し、読み込む
PMにモックインタビューを申し込みまくる。(結局、2週間で15件設定し、11件実施しました)
自分なりの想定問答集を作り、鏡の前、シャワーの中などで練習。
PMインタビューの本を読み、動画を見まくる。ビデオを一時停止して自分で答える。
PMインタビューついては対策の有料のコースもあるほどですが、無料でもYouTubeにたくさんあるのでひたすら見まくり、練習しまくりました。人生でこんなにYouTube見たことないよ…!
なかでもExponentというチャネルはたぶんPM preppersの間でとても有名ですが、動画と回答者の質が高くとても勉強になりました。ありがたかったです。
見た動画のなかで具体的にはこの2本がとくに参考になりました。2本目はなんとライブ配信。さすがGoogleのPM、心臓強い!
実際私の2週間という準備期間はモックインタビューをしてくれた現役PMの皆さんにもびっくりだったようで、「ええ!?お、おう、頑張って…!」という反応も多かったですし、実際最初の数回は全くうまくできませんでした。最初は自分としても「こりゃやばいわ」という感じだったんですが、私なら最終的になんとかなるでしょと思いながら準備に励みました。
というわけで、あっという間に準備期間の2週間が経ち、その間に自分の通常の仕事と、自分がリードするチームオフサイトイベントの運営もあり、これは生きるか死ぬかだという忙しさのなか、3月後半の木曜日に3つ連続で面接を受けました。さらに金土日をまたいで(この3日間がカナダでのMBAのサミットでした。宿題もがんばった…)、明けて月曜に最後の面接をしました。この超人的な忙しさを乗り切っただけでも、私ってPMとしてやっていけるよね絶対、と思いましたね。
(後日追記:このとき実は妊娠3ヶ月で、起きているあいだ全てが辛い、1分でも横になりたい、という状態でした。それで面接準備もMBAサミットも終わらせたのは我ながらタフすぎるだろと思いますが、これは子が無事産まれたから笑い話?になるのであり、全くおすすめしません)
結果としてはどの面接もかなり良い感じで通過し、3月の最終週にオファーが出るよーという連絡をもらいました。PRDを書いてから面接完了まで3週間強と、期間としてはかなり短かったのですが、あまりに多くのことをしなければならず、長い3週間でした。面接の後も、オファーが出たときに備え、取り組んでいたプロジェクトを大急ぎで仕上げ、引き継ぎのドキュメントを作り、並行してMBAの予習や課題にも取り組みました。もうずっとしんどかったです笑
ということで4月から晴れてGoogle AdsのProduct Managerになりました。あとから聞けば社内で1週間募集して50人の応募があったそうです。そんな中で得たチャンス、とても嬉しいです。
初日からすでにこれは大変だぞという気配しかありませんが、がんばるぞ!働くぞ〜!!
夢を叶えるために個人的に大事だと感じたこと
大変長くなりましたが、ここまでお読みくださってありがとうございます。まとめに入ります。私が今後成功するかは全然わからない、かつ、能力もキャリアの志向も機会も人それぞれではありますが、個人的に一般的な学びとしてシェアできるのではないかと思うものを以下にいくつか書かせていただきます。再度申し上げますが、私は現時点で成功しているわけでもなく、これからどうなるかもわかりませんし、単に自分が目指したものになる機会を得られたというだけなので、その点はご理解のうえ、以下ご笑覧ください。
1. 夢や目標をもつこと
たとえ難しいかも、自分にはできないかも、というような大きな夢であっても夢を持つことは自由だし、さきにも上げた『思い込みが可能を不可能にする』(つまり、自分の限界を自分で決めてしまう)というのは真実だと思うので、大きな夢や目標を持つのは大事だと思います。
また、目標は努力の焦点を定めてくれます。努力ができる人はそれだけで強みだし、すごいことですが、明確な夢や目標に向かって正しい努力することは、努力すること自体より大事なのではないかと思います。
2. 目の前の仕事や課題を120%がんばること
私の場合はこれがこれまでのキャリア構築において非常に効果的でした。あとで私のDirectorに聞いたところ、私がGPLになったときの選考でも今回のPMの選考でも、裏でたくさんのマネージャーやPMが私のことを推薦して太鼓判を押してくれていたそうです。彼らはこれまで私と一緒に働いて、いろいろなフィードバックをくれたり、仕事を依頼してくれたり、議論したり、私の仕事のアウトプットを一番近くで見てくれていた人たちでした。目の前にある仕事に全力投球することが、大きな夢への道を開いてくれたのだと思います。
3. 上司や信頼できる人にキャリアの相談をすること
私は友人や同僚に夢や目標を話すことはほとんどしないのですが、上司とその上司にキャリアの相談をしていたことが今回のPMへの切符をつかむきっかけになりました。上司に部署異動の相談なんてもってのほか、という会社や組織もあるかと思いますが、その場合は他の部署の信頼できる人にコーチングを頼んだり、定期的に社内外の人と会って情報収集をしたりすることで、思わぬチャンスがやってくることがあるかもしれません。
実際、私に社内でキャリアの相談をしてくれたとある広告営業の方がいたのですが、私は自分の後任として彼女を推薦しました。
4. コンフォートゾーンを出ること
これは渡米するときの記事に書いたと思うのですが、リクルートの『機会を自ら作り出し、機会によって自らを変えよ』と、よく言われる『コンフォートゾーンを出よ』というのが自分にとってとても重要な指針でした。
リクルートキャリア時代は転職なんてつゆほども考えたことがなく(転職支援の会社なのに!)、チームの異動だって絶対に嫌だと上司に言っていたほどでした。自分が成功している、居心地の良い環境を捨てたくなかったのです。
でもちょっとしたきっかけでGoogleに入社してから、というよりは、4年営業をしたのちに尊敬する執行役員(去年お辞めになってしまいましたが)にプロダクトスペシャリストやってみれば、と言われてからですが、自分はコンフォートゾーンを出てもやっていけるんだ、むしろそこで新しい実績を積み上げていくことってこんなに楽しいんだ、と思えたことで、自ら新しい挑戦に踏み出せることができるようになりました。…ずいぶん時間かかっちゃったなーと思います。こう思えるまでの時間を短縮することが、早いキャリア成長の鍵なんじゃないですかね。
さいごに
PMに本当に挑戦するとなった頃たまたま私が敬愛するB'zのボーカル稲葉浩志さんが日本でソロライブをやっておりまして、私はそれを配信で見ていたんですが、ちょうどこの歌詞があまりに刺さりすぎてこのnoteで紹介せざるを得ません。
よかったらぜひ聞いてみてください!上からYouTub Music, Spotifyです。
ということで、ぶっ倒れる覚悟で信じた道を行こうと思います。
さいごにのさいごにですが、お世話になったこれまでの上司、同僚、友人、応援してくれた日本にいる家族には感謝しかありません。また、私が忙しさでいっぱいいっぱいの時にも笑顔でマイペースで美味しいご飯を作ってくれる癒しの存在、かつ尊敬できる友人であり続けてくれている夫にも心から感謝しています。さらに、これは運、タイミング、縁、そういうすべてのことがとてもうまく運んで得られたチャンスだと思っています。このチャンスを活かせるように、今後も精進していきたいと思います。
もしこれを読んでいる方のなかに、一歩を踏み出すことを戸惑っている方、目標に近づかなくて歯がゆい思いをされている方がいたら、きっと大丈夫ですよ!とお伝えしたいです。無責任になにかを保証することはできませんが、今の努力や悩みは何らかの形で実を結ぶ日が来ると思いますし、やらない後悔よりやってする後悔のほうがいいはずです。私もこれからさらにいろいろあると思いますが、心が震える目標に向かって、これからも心を込めて仕事をしていきます。
貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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