『無垢』
「綺麗な花ですね この花の名前なんて言うんですか?」
「分からない。」
お隣りさんの家に引越しの挨拶をした際に言われた言葉。
その女性は明らかに様子がおかしく異様なオーラを放っていた。
薄気味悪いと思ったが、僕の頭の片隅にはその女性の花に水を遣る光景がずっと残り続けていた。
その日の仕事終わり家に帰る途中、その女性が犬と散歩をしている所にばったり遭遇した。
「こんばんは、ワンちゃん可愛いですね、その犬の名前なんて言うんですか?」
「分からない。」
そう答えると、その女性は颯爽と歩き商店街へと姿を消していった。
そういえば私はその女性の名前を知らなかった。
そう思い、その女性の家の外観を見渡したが一向に表札は見つからなかった。
「どうしたんですか?」
「あ、すみません。
名前を聞いてなかったなと思い表札を確認しようとしたのですが、一向に見つからなくて。」
「名前、分からないの。」
話を聞いてみると彼女は高次脳機能障害という病気で特に記憶力に問題があるらしい。
その物自体の形質や特徴は覚えているのだけれど名前だけは何度覚えようとしても抜け落ちるように頭の中から消えていくらしい。
「この病気、表面的には目立たないから理解されるのに時間が掛かるの 。
でもこうやってアナタに説明出来て良かった。もうちょっと私の話していいかな?」
「はい。」
「私少しでも幸せになりたくて、毎日花に水を遣って毎日犬の散歩をしているの。
花は咲いて犬もすくすく育っていくんだけど私の心は全然満たされてる感じがしないの。
花の名前は忘れちゃうし犬の名前も覚えられない。
オマケに自分の名前すら分からない。
何にも本当の愛情を注げてないような気がして。
私どうしたらいいのかな?」
「分からない。」
「......」
「分からないです。僕はアナタと違って名前を覚えて記憶し続けることは出来ます。
でもどうしたらいいか
何が正解がなんて誰も分からないし答えることが出来ません。」
「綺麗事は止めて。私は答えが知りたいの。」
「....」
「そうだ、私に名前付けてよ。
私はあなたに付けられた名前でこれから生きていくわ。そして少しでも答えに近づけるように、これから生きていきたい。」
「カサブランカ。
玄関の花の名前。気になって調べたんです。夏に咲くユリ科の花です。
だから ユリ なんてどうですか?」
翌朝
「ユリおはよう」
僕は柄にも無く大きな声で話し掛けたが
「ユリ.....?」
そう聞き返され彼女は犬と散歩に出かけていった。
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