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たーちゃんとアメリカと夢 6 スチュワーデス物語の巻
たーちゃんは高校を卒業しまして、大阪天王寺の国際外語専門学校に通い始めました。その頃、たーちゃんは将来についての結論を求められる時期に来ていましたので、英語を勉強して何をしたいのか、真剣に考えていました。
でも、あまり難しい事は良く分からなかったので、何で英語を勉強したかったんだろう。と振り返ると、元々は外国に憧れていた事を思い出しました。
外国に行きたい。
そうだ、スチュワーデスになろう。(当時はまだスチュワーデスと呼ぶ時代でした。) とにかく自分が単純過ぎて、恥ずかしいです。本当に考えが甘い。甘々なたーちゃんは、きっと義手の片平なぎささんにイジメられる事になるでしょう。
でもたーちゃん、機内でカートを押しながら
「ビーフ オア チキン デスカ?」
を想像しながら色々調べて、大阪梅田の
富士スチュワーデス学院という学校に夜間に行かせてもらいました。本当にこんなたーちゃんに、やりたい事を快くさせてくれた両親に感謝です。
富士スチュワーデス学院では、元NHKのアナウンサーの先生が面接試験の発声から正しい言葉遣いを教えて下さり、元スチュワーデスの先生方が立居振る舞いやマナーを教えて下さり、ヘアメイクのプロの方が髪型とメークのコツを教えて下さりました。
結局大学には行ってなかったので、航空会社の新卒の試験には申し込みする事ができませんでした。既卒試験で募集をされていたのは、日本エアシステムさんでした。もちろん受けました。
一次試験は東京まで行かせてもらったのですが、その試験場近くの駅から道いっぱい溢れんばかりの、いつでもスチュワーデスになれそうなお姉さん達の波に乗って歩きながら、
もしこれで受かったら、何かのミラクルやな。
と思ってしまっていました。
結局、一次の筆記試験に受からなかったので、スチュワーデスは諦めました。
そうです。色々教えて頂いた面接まで、辿り着く事ができませんでした。
負け惜しみですが、日本エアシステムは国内線を主に運行されていたんですよね。
残念ながら、外国に行けるスチュワーデスにはなれませんでしたけど、富士スチュワーデス学院で学んだ事は、たーちゃんの立居振る舞いに大きな幅を与えてくれたので、今のたーちゃんになれたのは色々ご尽力頂いた先生方のお陰と言っても過言ではありません。