桐島 聡が発見された

久しぶりに短いエッセイを書こうと思う。東アジア反日武装戦線の桐島 聡が、半世紀ぶりに神奈川県鎌倉市の病院で発見されたという。発見されたときにはすでに相当衰弱していて、発見後すぐに死亡が確認された。

神奈川県藤沢市の工務店で勤務し、年季の入った住宅で40年も生活していたらしいが、近隣のバーなどにも顔を出していたらしい。特に、60年代と70年代のロックミュージックを好んでいて、バーの近辺の音楽好きにはそこそこ知られた存在だったとか。

正直、このニュースを見たときに僕は色々と考えてしまった。近年は核家族化や未婚の者の増加などにより、年若くして自室で孤独死する人も多いのだ。また、当然病の末に孤独死する老人も多く、なんの思想も持たずに死んでいく人々と比べたときに、彼は幸せだったのではないかと思ったからだ。

もちろん、僕は彼が特別に幸せな人生を歩んできたとは思わないが。しかし、彼は拘置所や刑務所の独房や雑居房で過ごすことなく、好きなを酒を飲むこともできたわけだ。行きつけの銭湯に通い、多趣味で、海岸でのバーベキューにも参加していたらしい。逃亡者でなくとも、このような楽しみを満喫できない人は相当に多いはずだ。

また、彼は20歳年下の女性に交際を迫られたこともあったという。彼はアナーキストで、事件については「後悔している」と言っていたらしいが、それなりに彼らしい人生を送ることができた稀有な人物だといえるだろう。

幸せな人生というものを考えてみる。やはり、好きな人と一緒にそれなりにやりたいことをして過ごす人生が幸せな人生だと思うのだ。

そのためにはそれなりの金銭を持っていなければならず、精神的にも、身体的にも、健康でなければならない。頭もある程度はよくないと理想の生活を実現することは難しいだろう。色々、深く考えてみると幸せな人生を送ることは簡単ではないことがわかる。

幸せな瞬間について考えてみる。真夏の砂浜に友人と行き、ラジカセで音楽を流し、自然と一体になったときに生物としての奇妙な暖かい幸福感を得たことがあった。そのときには、いつまでも生命が続くのではないかという錯覚を覚えるような安心感と満足感があった。幸せとは五感と第六感を使って、全身で感じるものなのだ。

東アジア反日武装戦線が出版した『腹腹時計』という教程本がある。この本には、兵士としての心得や日常の過ごしかたなどの記載があり、爆弾の作製方法なども図解付きで示されているらしい。桐島の逃亡生活については、まだ解明されていないことも多いが、仮にこのマニュアル通りの生活を送っていて、あれだけ有名な重要指名手配犯でありながら2024年現在に至るまで発見されなかったとしたら『腹腹時計』の整合性は相当のものである。

今回の桐島発見のニュースからは、実に多くのことを連想してしまった。

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