資本主義と技能実習生
昨日、僕はあるミャンマー人の女性と会ってきた。彼女とは言語交換アプリのTandemで出会ったのであるが、彼女は自分が技能実習生であるという事実を僕に伝えてなかった。ミャンマー資本のレストランで働いているとか言っていたのだ。彼女は身長が178cmあると言っていたが、実際には168cmくらいであった。彼女は多くの日本人と同じくらい白い肌を持っていて、濃い色のサングラスをかけていた。
僕は何人かの技能実習生と会ってきたが、今回はちょっと資本主義と技能実習制度について日頃思っていることを書いてみたいと思う。僕はしばしば資本主義という制度そのものを強く疑っているのだ。ましてや、新自由主義などというものは非常に凶暴性が高いものだと思っている。しかし、それ以上にそのシステムを利用して儲けようとしている企業や個人を悪質な連中だと決め込んでいる節がある。
民主主義の社会では基本的に信仰の自由というものが認められている。様々な宗教を信仰することが認められていて、それはある意味資本主義の市場経済の部分が暴走するのを抑止する役割を担っているのだと思う。しかし、多くの新興宗教団体が市場原理を利用し儲けを企んでいるのもまた事実である。
僕の出身地である横浜にも立正校正会やら真如苑やらの巨大な建物が立っている。いかに、多くの人が膨大な金額の献金をしているのか。それらを見れば一目瞭然であるが、大体人間の心などというものはそもそもが救われない性質のものなのだ。これらの宗教団体でいかに多くの献金をしようとも、彼ら(信者達)の心が真の意味で救われるなどということはあるはずがないと思う。新興宗教団体への信心などインスタントな気休めに過ぎぬと思う。
多くのマスコミが技能実習制度などというものは、安易な労働力確保の手段だというがそれは確かに事実のようだ。低度外国人材確保のための法律だというがそれも然り。法律が改正され特定技能に推移したとしても、おそらくこの法律が持つこれらの機能は維持され続けるであろう。
僕はこの世界の多くのシステムを疑ってかかっている。大体、総じて金が絡むところにはろくなことがない。
彼女と僕は歩いて神社を参拝した。これは、流れでたまたまそのようになったのだが、一種の観光として悪くない流れであったと思う。そのあと、僕らは舞台をスターバックスに移して少し話した。僕は彼女の仕事に関するいくつかの質問をした。
「東京ではどんな仕事をしたいの?」
「ケーキを作る仕事をしたい。でも、まだ決められない。今、技能実習生だから…」
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