二階堂くんのショートショートまとめ(2)



【命乞いする蜘蛛】-6-


ここは5階にあるオフィスフロアの小部屋。会社の書類保管庫として使用されている。アルミ製のラックに青いファイルが隙間なく積まれ、昼間でも薄暗い。

入口のドアから二階堂が入ってきた。
倉庫の奥へ進み天井を見上げる。隅に直径30センチほどの蜘蛛の巣を見つけた。そこでタランチュラのような蜘蛛が息を殺してこちらを見ている。二階堂は蜘蛛に話し掛けた。

「お前、先週桜の下にいたやつだろ?」

カタカタカタ…
蜘蛛は8本の足を交互に動かした。

「なんでわかんの?お前見えるの?」

「見えるよ」

蜘蛛は引力に任せてボトっと落ちた。音もなく黒い影に変化し、膨らんで人間のような形になった。右腕だけロープのように細く長い。それは蛇のように空中をうごめき徐々に長くなった。

「女がよかったんだけどさ、お前でもいいや。俺とつながろうよ」

蛇が獲物を捕らえるように、黒いロープが二階堂の首を囲んだ。二階堂は咄嗟にロープと首の間に左腕を滑り込ませる。影は笑いながら首と腕をまとめて縛った。ロープが動くたびに、少しずつ隙間がなくなっていく。

「くっ」

二階堂はロープが首に食い込まないように腕に力を入れた。黒い影は左手で背後にある窓を全開まで開けた。冷たい風が侵入し部屋の温度を奪う。影は窓枠に座り楽しそうに足をプラプラさせた。

「ここから一緒に飛ぼうよ」

「断る」

影はロープを縮める。

ズルズル…ズルズル…

引きずられ、革靴と床が擦れる。二階堂は影の目の前まで引き寄せられた。顔らしき部分が二階堂の顔を覗き込む。

「俺とお前は永遠につながるんだよ。これでお互い一人じゃない、winwin」

影は背中を後ろに倒して窓から飛び降りようとした。二階堂は右手で影の首を掴む。

「こんなんでつながるわけねーだろ。俺はいいねを押さない!」

「なんでだよ!」

二階堂は影の首の側面を親指で強く押し込んだ。

「5・4・3」

「やめろっ!消さないでくれっ!!!」

「2・1」

「さみしいよ…」

「ゼロ」

黒い影は一瞬発光して霧のように消えた。二階堂の右手にはガラケーの携帯だけが残った。

ブーン、ブーン、ブーン、

着信音が鳴った。
ジャケットの内ポケットに入れていたスマホからだった。

「山本さん、おつ」

「二階堂くん、やっとつながった!今からお昼行かない?」




【深煎り入学式】-7-


私は今、昭和の雰囲気漂う喫茶店にいる。
ここで開催されるコーヒー焙煎教室へ入会する為だ。参加者のほとんどが高齢者。20代は私と二階堂くんだけなのだが、二階堂くんはまだ来ていない。


開始から15分。先生は薄茶色の着物姿で人生について語っている。なかなか本題に入らない。

「”魂の深み”とは”魂を究極まで磨く”ということです。

大半の人は、努力もなしに歳を重ねれば自然と深みが増すと思っています。
しかし実際のところ、心が満たされ魂を深みへ導くのは、年齢でも夢を叶えることでもありません。

夢を追いかける情熱です。常に情熱を持つことで、私たちの魂は満たされ深みが増すのです。

さあ、みなさん!魂を情熱で深煎りしましょう。この焙煎教室で共に学びましょう。テーブルの上に魂をお出しください」

生徒たちはテーブルの上に白くて丸い物を置いた。私は焦った。筆記用具以外持ってきていない。

「すみません。私、この白いボール持ってません」

「うふふ、心配しないで。取り出してあげましょう」

先生は私の目の前に来て、私の鎖骨へ手を伸ばした。が、その手首を素早く掴む者がいた。二階堂くんだった。

「先生、僕たちはまだ焙煎不足です。またの機会でいいですか?」

「いいですよ。焦って深煎りすることはありません。まだお若いからじっくり焙煎なさってから来てください」

二階堂くんと私は喫茶店を出た。私は二階堂くんの後ろをついて歩く。

「コーヒー焙煎したかったなぁ」

「山本さん、店間違えてるよ。俺たちの焙煎教室はこの先のカフェだよ」

「え?!」

「俺、忘れ物したから、先に行ってて」

二階堂は喫茶店があった場所へ戻った。そこはビルとビルの間にある小さな空き地。薄茶色の陶器が土に埋もれていた。古いドリッパーだった。二階堂は拾い上げ砂を払いリュックに入れた。




【オバケレインコート】-8-


取引先からの帰り道、突然の雨。
私と二階堂くんはバス停のシェルターで雨宿り。

「風、強くなってきた」

二階堂くんはノートパソコンが入ったリュックをベンチに置き、紺色のレインコートのボタンを閉めた。私は春物のカーディガンの上から腕をさすった。

「寒い…」

「山本さん、俺のコート貸してあげるよ」

「いや、大丈夫。二階堂くんも寒そうだし」
(ここ最近、二階堂くんのことを妙に意識してしまう。こんなモヤモヤした気持ちでコートを借りるなんてできない。二階堂くんの体温が伝わるものは避けたい。私たちはただの同僚なんだから)

「俺、重ね着してるから平気」

二階堂くんはコートを脱いで私に差し出した。

「本当に大丈夫だから。二階堂くん、ジャケットだけじゃ寒いでしょ」

「山本さん、カーディガンだけじゃん」

「う…」
(言い返せない)

二階堂くんは私の肩にコートを掛けた。

「ごめん、じゃあ少しだけ借りるね」

私は渋々コートの袖に腕を通した。

(あったかい…てっ、ダメダメ!意識しない、意識しない。そうだ、暗示をかけよう。これはお爺ちゃんの形見のコートだ!)

「ちょっと待ってて」

二階堂くんは側にある自販機で温かい缶コーヒーを2本買ってきた。

「どうぞ」

「ありがとう」

私は缶コーヒーを受け取ろうと手を伸ばしたが、袖が長すぎて手が出なかった。

(これは萌え袖?!異性をキュンとさせるモテ仕草?!かわいいって言われたらどうしよう、暗示が解けそう)

「山本さん」

「はっ、なに?」

「オバケみたい」

「…だね~」
(かわいいじゃなくてよかった?複雑な心境だわ)

二階堂くんは缶コーヒーをベンチに置いて、コートの右袖に左手を入れた。私の手首を軽く握り、右手で袖をクシュクシュにする。そして出てきた私の手に缶コーヒーを握らせた。二階堂くんの体温が押し寄せてくる。

「これで成仏した?」





【春ギター】 -9-


街中にある小さな神社には、大きな桜の木の下にベンチがある。

私はお気に入りのタンブラーを片手に、そこに座った。ここでカフェラテを飲みながらのんびりすることが、休日の楽しみなのだ。ゆっくりと息を吐きながら空を見上げる。葉桜から差し込む光が美しい。


「お姉さん、こんにちは」

突然の声に驚いてカフェラテをこぼしそうになった。いつの間にか目の前に、10歳くらいの少年が立っていた。Tシャツに半ズボン、太い肩紐を斜め掛けにしてアコースティックギターを構えていた。私は戸惑いながら、あいさつを返す。


「こんにちは」

「お姉さん、なにかリクエストして。僕歌ってあげるよ」

「う~ん、急に言われてもなぁ。じゃあ、君の好きな曲を歌って」

「わかった」

少年は六本の弦をピックで撫でて、少し間を置いてからメロディを奏ではじめた。

ギターの弦から生まれる
僕の透明なメロディ
繋がって広がって いつか 
心地良くなるはずだった

常識という他人の弦が
僕のフレットを埋める
見えない劣化は進んで サビた
繰り返す義務的な音

僕のメロディは濁った共鳴音になった
響かない 深い谷に留まる氷のように

雪解けアルペジオのあとに

新しい弦を張って ブリッジを渡る
心音に合わせてチューニングして
自分のメロディを 
花びらのピックで弾はじいて
コードを遮る弦を切るんだ
生まれ変わる春とギター


少年は歌い終わると白い歯を見せてニコッと笑った。私も笑顔になって、少年に精一杯の拍手を送った。


「すごく上手!大人っぽい曲だね!」

「だって大人だもん」

「あははは、面白い。僕何歳?」

「753歳」

「え?」



いきなりの突風に葉桜が散る。小さなつむじ風だろうか?砂も混じっている。私は咄嗟に目をつぶった。


パシッ、パツン、パツン…
ギターの弦が切れるような音が無数に聞こえる。

何十?何百?!?!


風が過ぎ去ったあと、私はそっと瞼を開いた。目の前にいたはずの少年の姿がない。360度見渡しても影すらなかった。

「さっきまでここにいたのに…」

私は不思議に思いながら、残りのカフェラテを飲み干した。ベンチから離れ、お賽銭箱の前へ進む。そして縁切り神社に手を合わせた。




【ラムネ炭酸飲料】-10-


木造の店舗に『ラムネ』の吊り下げ旗が揺れる。
私と二階堂くんは喉の渇きを癒す為、その店へ入った。

観光客向けの菓子箱がずらりと並んだ奥に、ガラス貼りの冷蔵庫が一つ。私はラムネ飲料を二本取ってレジへ向かった。お会計を済ませると店員が手際よくラムネの栓を開ける。ポンと音を立ててビー玉が沈み、炭酸が噴き出す、フルーツの香りが漂った。


私たちは店の軒下にあるベンチに並んで座り、ラムネを一口飲んだ。

「おいしい!やさしい甘さで飲みやすいね!」

「そ……う……」

隣にいる二階堂くんに話したつもりだったが、知らない声が聞こえた。
高齢男性のような声?
私は辺りを見渡したが、該当する人物がいない。

「二階堂くん、なんかしゃべった?」

「なにも…」

二階堂くんは瓶の口を手のひらで塞いでいる。

「なにやってるの?」

「炭酸が抜けるとおいしくないから」

「そこまでする?」

「山本さん、俺、部長に進捗状況報告してなかった。ちょっと電話してくる」

二階堂くんはラムネを持ったまま、足早にどこかへ行った。





二階堂は誰にも見られないように電柱の影に隠れた。そして瓶の口を塞いでいた手を離し、中にあるビー玉を凝視した。

「眠ってる?」

ビー玉は自ら回転しカラカラと音を立てしゃべり始めた。

「あんた名前は?」

「二階堂」

「聞いたことがある。思念を読む一族か?」

「当たり」

「はははっ!まさか会えるとはな。わしはビー玉に宿る前の記憶がない。ただ誰かに『ありがとう』と言われたくてここにいる」

「そっか」

「あんた、近しい人に『ありがとう』って言ってるか?」

「言ってるよ」

「それじゃ、あんたの靴には?」

「靴?言ってない」

「言っておけ、損はない。心の奥底から湧き出る『ありがとう』には上限も境界もない」

「小さい頃、うちの母さんも似たようなこと言ってたな」

二階堂は瓶を左右に軽く振った。シュワ~っとラムネが渦を巻く。

「わしは…そうだ、思い出した。二階堂ありがとな……」

ビー玉はカランと音を立てて静かになった。
二階堂は瓶を太陽にかざして透かして見た。ビー玉の中から魚のような影が生まれた。それは瓶の口を通り抜けると空へ向かって成長しながら泳いで消えた。

昔、似たようなものを見たことがある。
あれは鯉のぼりだ。



「ありがとう」