サンデーサイレンス

和名:サンデーサイレンス 英名:Sunday Silence
1986年生 / 牡 / 青鹿
父:ヘイロー / 母:ウィッシングウェル / 母父:アンダースタンディング
競走成績:2~4歳時 米通算成績14戦9勝2着5回
1980年代の米国を代表する名競走馬。種牡馬としても日本競馬界を完全制圧した、日本競馬史上最高種牡馬。

1980年代の米国の歴史的名馬。
競馬を知る日本人なら誰でも知っている【 日本競馬史上最高の種牡馬 】。

1986年3月25日、アーサー・ボイド・ハンコックⅢ世氏所有の米国ケンタッキー州ストーンファームで、オーククリフサラブレッズ株式会社により生産された。

本馬は全身殆ど真っ黒。青毛でもおかしくない青鹿毛馬だった。産まれてすぐにウイルス性の腸疾患にかかり生死の境を彷徨ったが、奇跡的に回復。
大病を患った上に血統が地味、体格は細身で腰が弱く、気性が非常に激しく、両後脚が内側に極度に湾曲しており、周囲の評価は極めて低く、生産者のテイサム氏さえ本馬を所有しようとはしなかった。そのため、本馬はハンコックⅢ世氏の所有馬となった。テイサム氏から管理を検討するよう依頼されたゲイリー・ジョーンズ調教師は「後脚が異常に曲がり、まるでハンガーのように見えた」として拒否した。ロサンゼルスタイムズ紙のスポーツ記者ビル・クリスティーン氏は本馬の後脚に関して「まるで(記号の)括弧のような形でした」としている。

ハンコックⅢ世氏は、本馬を1歳7月のキーンランドセールに出品。しかし買い手が付かなかった為、1万7千ドルで買い戻した。2歳時にはハリウッドパーク競馬場で行われたセリに出品したが、希望売却額5万ドルに届かなかったため、今度は3万2千ドルで買い戻した。ハンコックⅢ世氏はさらに本馬をケンタッキー州で行われるセリに出そうとしたが、ケンタッキー州に向かう途中のテキサス高速道路上で本馬を乗せたバンの運転手が心臓発作を起こし転倒事故を起こした。運転手は死亡。一緒に乗っていた馬の多くも命を落とした。本馬は動物病院で2週間ほど過ごす羽目になったが、奇跡的に一命を取りとめた。

ハンコックⅢ世氏の友人で本馬の権利の半分を所持していたポール・サリヴァン氏は、この事故の影響でセリに出せなくなりカリフォルニア州に留まる事になった本馬の権利の半分を、米国西海岸を代表する名伯楽チャールズ・ウィッティンガム師に購入するよう勧めた。5万ドルで権利の半分を購入したウィッティンガム師は、購入した権利の半分をさらにケンタッキー州ルイビルの外科医アーネスト・ゲイラード博士に2万5千ドルで売却。この結果、本馬はハンコックⅢ世氏、ゲイラード博士、ウィッティンガム師の頭文字を取った、H-G-Wパートナーズ名義で競走馬となる事になった。

ウィッティンガム師の管理馬としてサンタアニタパーク競馬場において調教が開始されたが、気性の激しさは手に負えないほど。後脚で立ち上がったり、急に跳ね上がったりで調教にならなかった。

普通であれば早々に匙を投げてもおかしくないのだが、既に齢75歳だった大ベテランのウィッティンガム師は、本馬の長所である機敏さ、迅速に加減速できる器用さ、意思の強さなどを認識しており、本馬を見捨てることはせずに辛抱強く育成していった。

【競走生活(2歳時)】
2歳10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの未勝利戦で、パット・ヴァレンズエラ騎手を鞍上にデビュー。単勝2.5倍で12頭立ての1番人気に支持されたが、2番人気馬カロラヴァーの首差2着に敗れた。

次走は翌月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦。単勝1.7倍で10頭立ての1番人気に支持された本馬は、2着モーメントオブタイムに10馬身差をつけて圧勝した。

3戦目は12月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走。このレースは、米国三冠馬シアトルスルーと1979年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬スマートアングルの間に産まれた良血馬で、キーンランドセールにおいて290万ドルの値が付いたヒューストンが単勝1.8倍の1番人気に支持され、本馬は単勝2.8倍の2番人気となり、結果もヒューストンの頭差2着だったが、この走りにより本馬もケンタッキーダービー馬の候補の末席に名を連ねることになる。2歳時成績は3戦1勝。

2歳から3歳になる頃、本馬は劇的に成長し、ハンコックⅢ世氏はこの頃の本馬を「彼は成長して白鳥に変わる醜いアヒルの子の好例でした。偉大で強力なスポーツ選手に変身する若者と同様に、一握りの馬は成熟が少し遅いのです」とロサンゼルスタイムズ紙のインタビューに対して語っている。

【競走生活(3歳初期)】
3歳時は3月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走から始動。初めての重馬場だったが、単勝1.9倍の1番人気に応え、2着ヒロイックタイプに4馬身半差をつけ逃げ切り完勝。

それから17日後に、サンフェリペH(GⅡ・D8.5F)に出走。このレースでは、デルマーフューチュリティ・ホイストザフラッグS・サンラファエルSの勝ち馬のミュージックメルシー、サンタカタリナSを勝ってきたフライングコンチネンタルなどが対戦相手となった。ミュージックメルシーが単勝1.5倍の1番人気、本馬が単勝3.9倍の2番人気、フライングコンチネンタルが単勝5.7倍の3番人気となった。スタートが切られるとミュージックメルシーが猛然と加速し先頭に。一方の本馬はスタートで躓き最後方からの競馬となってしまった。しかしミュージックメルシーが刻んだ半マイル通過45秒2という猛烈なハイペースに遅れずに付いていき、道中で2番手まで押し上げ、直線入り口でミュージックメルシーをかわして先頭に立つと、大外から追い込んできたフライングコンチネンタルを1馬身3/4差の2着に抑え勝利。

次走は、GⅠ競走初出走となるサンタアニタダービー(GⅠ・D9F)となった。一般競走で本馬を破った後にベイショアSを勝って通算成績を3戦無敗としていたヒューストン、ノーフォークSの勝ち馬でハリウッドフューチュリティ3着のホークスター、フライングコンチネンタル、前走3着のミュージックメルシーなどが対戦相手となった。ヒューストンが単勝1.9倍の1番人気、本馬が単勝3.4倍の2番人気、ミュージックメルシーが単勝6.3倍の3番人気となった。スタートが切られると、今回もミュージックメルシーが猛然と加速して先頭に。本馬はスタート直後に他馬に押され、今回も後手を踏んでしまった。しかしすぐに馬群に取り付くと、最初のコーナーで外側から先頭を奪ったヒューストンとミュージックメルシーを追撃。三角に入ったところで外側から前の2頭をかわすと、失速するヒューストンを尻目にどんどん後続との差を広げていった。最後は2着に追い上げてきたフライングコンチネンタルに11馬身差をつけて大圧勝。このレースにより、ケンタッキーダービーの有力候補としての立場を確立させた。

ケンタッキーダービー
そしてチャーチルダウンズ競馬場のケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)に参戦した。対戦相手は、カウディンS・シャンペンS・ウッドメモリアルS・ゴーサムSの勝ち馬でBCジュヴェナイル2着の前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬イージーゴア、エヴァーグレイズS・フラミンゴSを連勝してきたオウインスパイアリング、サンタアニタダービー5着後にダービートライアルSを勝ったヒューストン、パームビーチS・トランシルヴァニアSの勝ち馬シャイトム、ジムビームS・ブルーグラスSを連勝してきたフロリダダービー2着馬ウエスタンプレイボーイ、アーカンソーダービーを勝ってきたダンシル、ヤングアメリカSの勝ち馬でフラミンゴS2着・シャンペンS3着のアイリッシュアクター、フェデリコテシオS・チェリーヒルマイルS・ガーデンステートSとグレード競走で3戦連続2着していたウインドスプリッター、デピュティドテスタモニーSを勝ってきたノーザンウルフ、アーカンソーダービー2着でリーミントンパークダービーの勝ち馬クレヴァートレヴァー、ナシュアS・ファウンテンオブユースS・ウッドメモリアルSでいずれも3着だったトリプルバック、サンタアニタダービー4着のホークスター、ガーデンステートSを勝ったフォールトレスエンスン、サンタアニタダービー2着後にカリフォルニアダービーも2着のフライングコンチネンタルの計14頭だった。









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