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【実録】躁うつ病と診断されたのでAぇ! groupのライブに行ってみた。

2024年、5月。いつものメンクリの通院(不安障害で2年間ほど通っている)で主治医から“躁うつ病”と診断された。

それまでの私は自称進の国公立洗脳にまんまと支配されていたのと家族の家計を考え、国立大学を志望していた。評定4.5以上を絶対キープして休み時間もずっと勉強するレベルだった。しかし5月に入った途端、朝ベッドから起き上がれなくなって、学校を休むようになった。頑張って登校しても文字が頭に入ってこなくて、授業中に泣き出し先生に保健室に強制収監→早退させられるような有り様だった。

毎日のように積み重なる塾の課題、学校の課題、焦って買ったたくさんの参考書。もう無理すぎた。
ちょうどその頃、突然弟から「Aぇ! group見てみたら?」という謎の提案をされ、(なぜか弟は私のスマホでエービギを勝手に購入していた)それを機にまんまと佐野晶哉くんに転げ落ち、「しあわせもん。」を聴きながら布団に包まり一日を過ごすという生活が始まった。

家ではAぇを見てバカみたいに笑っているのに、学校には行けないという自分が本当に嫌で嫌で。毎日本気で死のうと思っていた。
以下、当時の日記である。

全く習慣化できていない日記

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脈絡が無さすぎるし自分でも当時の記憶があまりない。多分鬱と躁が混合していたのだと思われる。

とりあえずハイになった私は知り合いのジャニオタのツテをたどり、なんとか宮城公演の単番を確保。親の財布から金を抜き取り、勢いで入金した。(今は返済済み)

当日

鬱と緊張でろくに飯を食っていないボロボロの状態で灼熱のセキスイハイムスーパーアリーナに到着。ちょうど昼公演中で、トイレで蹲りながら漏れ音を聴いて夜公演までの時間を潰す。

いざ入場すると、客層は家族連れ、お姉さん、お姉様、カップル等々で大森靖子のライブか??というぐらいの闇鍋感だった。(大森靖子のライブはおじさん、JK、謎の夫婦、ロリータを着た女の子、疲弊した顔のお姉さん、見取り図の南大阪のカスカップルみたいなビジュアルのカップル⬅️失礼で構成されている)(SixTONESとNEWS以外の𝑺𝑻𝑨𝑹𝑻𝑶𝒆𝒏𝒕𝒆𝒓𝒕𝒂𝒊𝒏𝒎𝒆𝒏𝒕の現場に殆ど行ったことがないため衝撃を隠し切れなかった)

特にヤバかったのは、行列のトイレ待ちの時に偶然近くにいた北村匠海似の正門担。バッキバキにビジュアルが良いのに格好が真っ青で、しかも特に近くに彼女らしき人物も友人も家族もいるわけではなく(もしいたら申し訳ない)、暇を持て余していた私はその正門担の顔面を眺めてトイレ待ちしていた。(もしこのnoteを読んでたらdmください。⬅️切実)

開演(ネタバレ有り)

元ニチアサの民どストライクop映像が流れ、興奮するなかAぇ! groupさん登場。ああ、これ見終わったらもう自分死ぬんだ……という今更な死への恐怖と、走馬灯の最後がこの景色なんてめちゃくちゃハッピーすぎるという気持ちでぐちゃぐちゃになりながら大号泣。

視界がぼやけるなか、晶哉から「俺が顔上げた時、リチャくんがつけなかったこのサングラスをつけてたらかっこいー!!って言って、つけてなかったらかわいー!!って言ってな?」とのご要望があり『か”わ”い”い”よ”お”お”〜〜〜!!!!』の限界オタクスタイルと化した。

続いて小島健さんが煽りで『レディース!!メンズ!!!……あーもうどっちもええ!!皆盛り上がってる!!??』(ニュアンス)と言ってくれて、その細部まで行き届いた配慮に感涙する。ここでキャンメイクのクイックラッシュカーラーが全落ちし、顔面が真のぱんぱんだになる。

三曲目が私がAぇの中で一番好きな『Aッ!!!!!!』で、私はこの曲の「人生Aッ!!!!!!という間だぜ!もったいねぇ」「もっとわがままでOK!うつむくな この世界はデッカいぜ?」という歌詞を『……もうすぐ死ねるってコト…??人生すぐ終わってくれるんだ…』『…それならもうちょっとやりたいこと探してから死ぬか……』と神聖かまってちゃんの「僕は頑張るよっ!」のように解釈し(最悪解釈)わんわん泣きながら、ピースして手首をぶんぶんさせていた。もしかしたらAぇ! groupはアイドル界の神聖かまってちゃんなのかもしれない。

パリアホでは周りが黄色い歓声で包まれると中一人だけ「オ”ホ”ッ、オッフ”……」など奇声をあげ、さっきまで話してたはずの隣のリチャ担とついに目が合わなくなった。
リチャさんが大縄を跳べない中オタクたちが「リチャ!リチャ!」コールしているのを見て小中の大縄のトラウマを思い出し若干メンタルをやられる。愛してるって言わNightはリズム感が無さ過ぎてコールに追いつけずリズム天国がろくに出来ず友達に苦笑いされた過去がフラッシュバックしながらも晶哉の顔の良さになんとか救済され、怒涛の前半戦が終了した。

MCが明け後半戦が始まり、学校に行けず、ベッドで蹲っていた時に聴いていたストーリぃ!で涙腺ボロッボロになったと思いきや、突然日本各地を旅しだすAぇ! group。躁鬱の私でもついていけない起伏の激しさで混乱する。

特にこの日本一周メドレーでビックリしたのはオタクたちがバッリバリに踊りだすところだった。関東のオタクしかしてこなかったので異文化すぎて腰抜かすかと思った。「ホルモン〜関西に伝わりしダイヤモンド〜」とかもう運動部の応援スタイルで、万年文化部の私は緑ペンラ地蔵スタイルになって息を潜めていた。キングオブ男でまさかの生のヨシ子と邂逅することができて、レポノートが「ヨシ子!ヨシ子!」で1ページ埋まってた。(デスノート??)

そしてなんとか日本を一周を達成したAぇ! groupさんがこのメドレー最後に歌ってくれたのがアイドル界のありあまる富こと「しあわせもん。」。

ちょうどリフターで自分の目線の先に佐野晶哉さんが現れる。とりあえず、長文の思いの丈を綴ったうちわ(迷惑)を胸の前で持ち祈るように彼を見つめていると、こちらの方に手をお振りになられて(私確定ではなく周辺全域に)あ、見えているのか、私って幽霊じゃないから、まだ死んでないから、見えるのか。と突然自分の生に実感が湧きはじめた。

ED映像は、鏡だらけの小部屋に幽閉されたAぇがそれをぶち破ってくるみたいな感じなんだけど、昨年のゴタゴタとかそもそもでアイドルとして多重なペルソナを抱えていることのメタファーのように感じられて胸が苦しくなって、でもあー大好きって思った。

えーびぎのオルゴールにも涙腺をやられ、帰ってきてから弟に「卒業制作でオルゴール作る時絶対《A》BEGINNINGにしてくれ…」と懇願した。その後ストドに続き、怒涛のバンドメドレーがスタート。晶哉の腕がもげるんじゃないかと心配で、双眼鏡でずっと晶哉の腕を野鳥の会していた。絶対晶哉(の腕)もげないで。(絶対アイドル辞めないで)

そして、とうとう最後の挨拶。
(レポの文献がないのでニュアンスで失礼)
佐野くんが「命削って、ボロボロにして、そのくらい懸けれるのって俺にはライブしかないから」
「“みんなのため”、“あなたたちのため”ってよく言うけど、俺は“あなたたち”じゃなくて【一人一人に】向けて歌ってるから」と言ってくれて。
たかがオタクに、アイドルという生身の人間を消費する倫理的に危ういことを平気でやっているようなオタクに、私に、そんな言葉を佐野くんはかけてくれて。

佐野くんは私がどんな名前でどんな風に生きてきて、どんな思いでこのライブに来たかっていうのは一生知ることもない。けど、それをわからないままでも佐野くんは私に一秒でも長く生きれるような活力を、希望をくれようとしていて、実際くれていて。絶対佐野くんはもっと今以上に報われてほしいし、どんな夢だって叶えてほしいって思った。私のこの二時間と少しは全部佐野くんに支えられて、息をしていたんだって思った。

しかしこの後、既に佐野くんのお言葉でびっちゃびちゃに泣いている私に末澤さんは救いという名のトドメの一撃を食わせてくれた。

本日はありがとうございました。
宮城まじで楽しかったわ、盛り上がりがねすごかったですわ、みんな。
そのみんなの盛り上がりのおかけで俺らもめっちゃテンション上がったし、ほんまに毎公演毎公演全力で出し切って2日間することが出来ました。
なんかこうみんなが辛い時とかしんどい時とかにこのLIVEのこと思い出してもらって少しでも頑張る糧になれば嬉しいなと思うので、しんどいこと辛いことあってもめげずに頑張って幸せな未来が、明るい未来が待ってると思うので僕たちも頑張るから
みんなもね頑張ろうね!

レポ引用

こんな共テ9教科にも耐えらんないような私にも、皆と同じように学校に行けない私にも、文字が読めなくて泣いてしまうような私にも、明るい未来があるって、その言葉はある意味では無責任で絶対的なものではないけど、でも誰か一人でもそれがたとえ私のこと何にも知らないアイドルでも、『明るい未来が待ってる』って信じてくれる人がいるってこんなに心強いんだって思った。

私はこの末澤さんの言葉を聞いて、明日は絶対学校行こうって、早退しても良いから、行こうって決心した。

周りの人がぞろぞろ新幹線のために抜けていく中、最後に手を繋ぐ相手がいなくなってエアーでやるか…と思っていた時、隣の正門担の子が「よかったら繋ぎませんか?」と声をかけてくれた。

ずっと家に閉じこもっていた私にAぇ! groupは久々に人と交流するきっかけを与えてくれたってことが、Aぇ! groupを通じて人と話せたってことが何よりも嬉しかった。
(終演後、焦りのあまりその子の目の前でずっこけてさっきまでのあったか空間は台無しになるですが…)

感想と総括

次の日、末澤さんの言葉を胸に、昨日のAぇとの思い出をお守りに頑張って7時間の授業に耐えた。
でも、そんなアイドルのライブに行ったぐらいで病気が寛解するなんてことはなくて、休んだり早退したり、一日耐えたりを今も繰り返している。(最近は薬も馴染んできて、行ける日が前よりぐっと増えているけれど)

結局国立は諦めたものの、担任が「指定校で行ってみない?」と提案してくれて、今は佐野くんに憧れて音楽科のある私大に行こうと頑張っている。(音楽科のお嬢様たちと戯れたいという不純すぎる動機)

今回のことを経て、『人が自殺するときは実は鬱ではなく、躁の時』という言説は結構マジだということを身をもって実感した。私は偶然そのエネルギーがたまたま『Aぇ! groupのライブに行く』ということに使われて命拾いしたのだと思う。

このnoteのタイトルでは『躁うつ病』と明記しているが、今の精神医療界隈では、躁うつ病、双極性障害のことを“治療のプロセスは確立されているから絶対寛解するよ”という意味合いを込めて『躁うつ症』と呼んでいるらしい。そう考えると、私はAぇ! groupに『躁うつ病』だと絶望していた自分から、いつか絶対治る『躁うつ症』の私に変えてもらったのかもしれないと、思った。

とりあえず皆病んだらすぐに誰かに相談してちょっとしたことでもいいので病院に行ってください。あとキャンメイクのクイックラッシュカーラーを信用し過ぎるのは良くないです。涙には耐えられなかった。以上。


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