コロナ開けニッポン事業 新たなモデルを想像してみた
最近、耳にし感じたニッポンのパワー
ポケモンキャラの世界への浸透状況
ゲームソフト信長の野望の世界市場
まさに二次元コンテンツはニッポンの宝
アニメや漫画のコンテンツやキャラクター
ゲームソフトやそのキャラクター
なぜこれら事業がニッポンにて
国益と繋がらない
柱の事業としてなぜ主人公にならないのかを
考えてみた
政治と事業の関係性
つまり構造モデルがこれら業界や文化には
そぐわないのだと気が付いた
忖度や談合、賄賂、公共事業予算などを前提
とした事業モデルとはなっていない
むしろ、その対局にある事業モデルなのかも
なぜなら
そのコンテンツやキャラクターの評価は
完全に市場により支持形成されるもので
予算をつけたからとか
政治家の地元だからとか
どこの組織のお墨付き、フィクサーの采配など
紐がまったくついていないピュアな想いの結晶が
ファンの想いのカタチとして
興行収益や購買本数として現れ
日常生活における価値観や行動規範にまで
影響を与え、文化や流行として時代を
カタチづくり人々の意識を表現している
これからの事業は
発案者や起案者のサービス、製品、コンテンツ
に共感、共鳴した市民や消費者が
その存在や背景を理解し、愛したとき
はじめてビジネスが成立する流れになるのでは
ないだろうか?
言葉を変えれば
従来は「共感、共鳴、理解」の表現手段が
貨幣というわかり易い物質で評価されていたが
これからの時代は
賛同を表す表現として「いろんなカタチの投資」
によって市場が参加しながら、事業が成長してゆく流れになるのであろう
ここでいう「投資」とは従来の貨幣だけでなく
労働の提供、知恵の提供、スキルの提供、
物質の提供、愛情の提供、情報の提供など
全員参加型の事業推進
同じ船に乗船する運命共同体モデル
誤解を恐れず簡単に言えば
大航海時代における香辛料買付船の
パートナー集め事業モデルとして
一回毎の完結型投資モデルである!
そこには
忖度などなく、純粋に事業の理念、成果が地球や
人類に与える幸福度が尺度となって
そして、その普及や市場形成が結果、利益として
原材料供給から生産者、販売者、投資参加者に
一律、還元されるモデルとなる
だから、清廉潔白にて何も隠す必要なく
利益が透明で、クオリティも透明
ブラックボックスがない素直な事業となる
仕組みや制度で儲けようとすることは悪では
ないがかかわる人々と消費者に適正な対価を
提示し提供しないと
そのモデルはすぐに破綻するのが
これからの情報社会のスタンダードな基本ルール
もう富の偏在や経済格差を利用した
利益創出といった原始的な事業モデルは
終焉のときにきている気がするが
いかがだろうか?