「かわいそう」、「幸せ」は誰が決める?
「かわいそう」って、自分に対してはあまり使わない、他人に対して使う事が多い言葉。反対に、「幸せ」は自分に対して使う事も多い。「かわいそう」と「幸せ」、どちらも主観がものを言う。主観だから、他人と本人の感じ方にもギャップがあるものだ。
私には8歳と1歳の子どもがいる。歳の差は7歳。世間的には見れば歳の離れた兄妹。夫婦のタイミングもあってこの歳の差になったのだ。上の息子が2、3歳の頃から、実家に帰ると決まって祖母から、「きょうだいはいた方がいい。1人はかわいそう」と言われた。その度に、ズキンと何か分からない違和感と少しのイライラが毎回込み上げる。「かわいそう」って何?1人っ子はかわいそうなの?
当時、夫婦間で2人目についての考えに温度差があり、具体的な話は進んでいなかった。なので、1人っ子になる可能性も十分あって、妊娠を考えたい私自身が、2人目はない、子どもは1人なんだという考えに、数年かけてシフトしている最中だった。
1人っ子は将来、「自分はきょうだいがいなかったからかわいそうだった」って思うのかな。1人だと両親、家族からの愛情を集中して受けられる。欲しいものは大概買ってもらえるだろうし、教育を考えた時もきょうだいの教育費を考えなくていい分、進みたい道に進めるだろう。
1人っ子の何がかわいそう?「かわいそう」かどうかはその子自身が決める事だ。その時の私の中ではそういう結論に至った。
別の話。父子家庭、母子家庭に対して「お父さんがいなくてかわいそう、お母さんがいなくてかわいそう」と偏見を持つ人がいる。本当にそう?例えば、お父さんが暴力を振るう、生活費を入れない、女性問題でゴタゴタ。そんな男と家族でいるより、別れて母子で自由に暮らした方がよっぽど幸せだろうに。実際、楽しく暮らしているのに、周りから「かわいそう」呼ばわりなんて、本当勝手すぎる。「かわいそう」か「幸せ」かどうかはその状況にある人が決める事だ。
また別の話。結婚もそう。結婚すれば全てが幸せでうまくいく?結婚しても、先に書いたような、どーしようもない相手だったら全然幸せじゃない。
おひとり様だって望んでそうしている人もいるんだから。実際、私の義姉はそのタイプで、他人と暮らす事にものすごいストレスを感じるらしい。
「かわいそう」も「幸せ」も他人が判断する事じゃない。当人が「幸せ」ならそれでいいじゃないか。
旦那と結婚する前に行った、旅行先のホテルの廊下に、額に入ったみつをさんの言葉が飾られていた。
「幸せは自分の心が決める」
どこの何て言うホテルかも忘れた。
でも、この言葉だけはずーっと忘れない。