ライフシフト-生きることを大切に/生涯子育て 1.子ども嫌いが直面した深刻な悩み
前回は介護経験とノウハウを話したが、今回はプロフィールに趣味とまで書いている生涯子育てについて話す。
初めに告白するが、私は子どもが大嫌いで生理的に苦手だった。そんな私の子育ての軌跡と、今は大人になった我が子との関わりを数回に分けて書く。初回は我が子を持つに至るまでの私の苦悩を書く。
子育てに不安な男性、夫の子育て参画について考えたい女性、そして共働きの方々の参考になれば幸いである。
1.子どもは苦手で大嫌い
私は3人きょうだいの末っ子で、幼少期は天使のように可愛らしく極めておとなしい子どもだった。そのために姉二人のおもちゃにされ、家にあった大きなフランス人形のドレスを着せ替え人形のように着せられたシーンなど今でも覚えている。
そんな幼少期を過ごしたので、自分より年齢が下の子と接する機会が全く無かった。その結果大人になってからも、意味不明で自由奔放な行動をとる異星人のような子ども達と、どう接して良いのか全く分からなかった。
そういう思いは見事に伝わるもので、子どもも私には決して近寄っては来ない。その結果ますます距離が出来て、目を合わせることも話すことも無い。まるで反発しあう磁石のN極同士のような関係だった。
そして今でも鮮明に記憶にあるのは、私が結婚して間もない頃の出来事だ。実家の行きつけの上品な鮨屋に両親、姉夫婦、私達の夫婦で会食に行った時のこと。姉の子ども達が大声で叫びながら客席の間を駆けずり回ったのだ。姉の制止は全く機能せず、延々と凄まじい声を上げて駆け回る姪っ子たち。顔見知りの店なのでお店の人たちは笑顔でいた。表面的には。
しかしそこには他の客も何組もいた。私はせっかくの特上鮨の味が全く分からずに、まさに針のむしろに座っている気分だった。「子どもは嫌い」という思いが目から耳から皮膚から、私の体に沁み込んでいった。
2.結婚後の深刻な悩み
結婚当初はまだ歳が若い(私27、妻22歳)こともあり、子どものことは考えなかった。しかし妻が20代後半になると、さすがに子を持つかどうか考えざるを得なかった。
もしも私が子どもを持つのなら、妻の体の負担を考えて20代で一人目を生むのが良いだろう思っていた。自分が3人きょうだいなので、子どもにとってきょうだいは多いほど良いと感じていたからだ。
しかし、だがしかしである。繰り返すが私は子どもが嫌いで生理的に苦手である。
我が子が生まれて、やはり生理的に嫌いだったとしても、そこから逃げることは生涯出来ない。ニュースでは子どもを虐待する親と、その悲惨な結末がいつの時代も変わらず報じられている。自分の姿をそこに重ねてしまい、そのたびに思考停止に陥った。
子どもは生き物なので、出来てしまったら無かったことにも後戻りも出来ない。もしも、もしも、、、いくら考えても経験の無いことの答えは見つからないどころか、マイナスの思考がグルグル回る。
そこで思い切って、子育てに関わるであろう身内に、私の悩みを打ち明けてどう思うか聞いてみた。
妻の答え「あなたに任せる」
妻の両親「(沈黙)」
私の母 「何を意味わからないこと言ってるのっ!」と一喝
相変わらず、私の悩みは全く答えが見つからないままだった。
3.全てを変えたアドバイス
そして結婚してから6年が経ち、妻の年齢は28歳と順調に積み重なっていた。私は、残りの長い人生の幸不幸を大きく左右する分かれ道の分岐点で、立ち止まったまま途方に暮れていた。
生涯、鎖に繋がれて生きるのか、それならばいっそ子どもは持たずに生きていこうか?とも思い始めていた。
そんなある日のこと。尊敬する会社のテニス部の先輩に相談する機会があった。当時よく二人で勤務後や休日にテニスの練習をするなど親しくしていた。3人の子育てをしている方で、私の真剣な悩みを聞いて「池田君の真剣な悩みに対して、僕も真面目に答えるね」と次のように語ってくれた。
「自分は、子育てを通して、自分という人間が完成すると思っている」
これは私にとってまさに目から鱗であった。
それまで私は、子育てを好き嫌いと言う感情だけから考えていたことに気がつかされた。そしてそこから生じる見えない不安におびえて逃げようとしていただけだった。
先輩は子育てを、苦労を含めて人生そのものとして捉えていた。それに基づいて子育ての目的と価値を定義していた。まだ30歳半ばで考えの浅い私にはそれはまさに天の声のように響いた。30年以上たった今でもその時の先輩の声と真剣なまなざしは鮮明に覚えている。
こうして自分の中で、子育ての再定義は出来た。しかし子育ては理論ではなく実践が全て。そこでどんなことが待ち受けているのか?その時の私には何の想像も出来ていなかった。
この話は次回、 2.我が子の出産と幼少期の子育て へ続く
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