2022年8月24日 長い長いお休みの終わらせて方について《この神様からの贈り物的お休みに更なる贈り物をいただけたかどうかは私の自己受容度合によると思うか?》83日目
自分の心研究員703です。
『そうだ!タンザニアに行こう!』
そう決めた5月末のあの日から
この流れは決まっていた様な気がする。
もちろん、結果論なんだけど
こんなおまけをつけてくれたのは
やはり、どうしてもご褒美としか思えなくて。
それは私が子どもの時から積み重ねてきた
マイナス感情を見る、と決めた時から決まっていたのかも、とも思える。
そして、そのマイナス感情をどうしても見ることが出来ない時でも、いつか必ず対峙する、と諦めなかったから。
マイナス感情の掘り起こし方を習ってはみたものの
見たくない、見たいの無意識のバトルをし続けた挙句の果てに
やっとマイナス感情と対峙、否認を解く間、グルグル不快感を持て余しながらもそこから抜けることが出来たから。
いつでも、大先輩や先輩たちが温かく見守ってくれてから。
仲間がそれぞれに頑張ってくれていたから。
夫がいつもそばで寄り添ってくれていたから。
自分の人生は、やっぱり自分の妄想で大変にしてただけなんやん、って気が付かせてもらえたし、気づけたから。
だから、今までの半世紀分の頑張りに対する
ご褒美だったんじゃないかと思える。
諦めなくてよかった。
自分はきっと大丈夫、
と願ってよかった。
信じてよかった。
待っていてよかった!!
遠いあの日
兄を負かすことで母からの承認を得て酔っ払うことを覚えた私。
風邪をひいただけなのに『死んでしまう!』と大袈裟な看病を受けていたから、友達に
“私、重大な病気を抱えてて死んじゃうかもしれない”と語って友達から同情されて酔っ払うことを覚えた私。
ついに、兄に敵わなくなって承認欲求が満たされなくなった中学生の私は自己嫌悪にまみれた。
身体の不調を訴えるのが口癖になっていた。
意図せず、面白がられることに快感を得ていた。
本当は目立ちたくないに、ウッカリ目立ってしまった時は茶化して誤魔化してきた。
いつもいつも他人のことばかり気にして
自分のことは置き去りにしてきた。
いつも焦ってて
間違わないかったらダメ、
ちゃんと出来ないとダメ、
早く出来ないとダメ、と
出来ない自分はバカだと思っていた。
劣等感を背負ったプライドの高い私だった。
無自覚ではあったけど、生きづらかった、と今なら認められる。やっと認められる。
だけど、いつだってなぜか
根拠のない自信があった。
その自信は揺らがなかった。
だけど、全く説得力を持ち合わせていないから
みんなに笑われて
そのうち、表面的に自信喪失した。
それでも、私は
いつか、きっと胸を張って笑って堂々と歩いていける様になると、信じていたように思う。
実際は、私の思い描いていた絵とは若干異なるようだけど
今後は落ち着いた生活が送れるんじゃないかという予感。
老子曰く
人を知る者は智、自ら知る者は明(めい)なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。
私は今回、老子のこの言葉の入り口に立たせてもらったのかもしれない。
この心境こそが今回の最大の恩寵なのかも。
それが恩寵なのかどうかは
今後の私のあり方が示すこととなるでしょう。
これからも謙虚に愚直に
否認を解いて自己受容
否認を解いて自己受容
やっと、私の長い長い夏休みが終わろうとしています。
感謝しかない。
あなたが
今の自分のままでいいのかな?
と、少しでも思われていたら
是非、ご一緒に私の自分探しの旅にお付き合い下さい。