自粛生活で引きこもって、自分が変わってきた①
リアルにもデジタルにも引きこもって、そろそろ半年になる。
そろそろ文章を書きたくなってきた。
とはいっても、創作活動などをしているわけでもない。日々の雑多なこまごまとしたことについて、覚書のように書いときたいということなのだけれども。
半年ほど前までブログを書いていた。SNSだって熱心に参加していた。それはやってみたいいくつかの活動の、集客の目的からだったのだけれども、自粛せざるを得ない影響から少し活動を休むことにした。そしたら書けることがなくなった。ネタが出てこないのだ。
少しの間は絞り出すようにネタを出していたのだけれども、出掛けない、人と会わない、活動しない、となると、ネタも尽きてきてしまった。こんな時でもwebを使って集客し仕事にすることができる人も多くいるのは知っている。だけれど自分はできなかった。そこではたと思ったのは、「自分は本当にそれをしたかったのか」という疑問だった。
本当にそれをやりたいのか? そういう活動しか道がないと思っていたからではないのか? 本当はしたいことなんかじゃなかったのではないのか?
集客とか、外側の人に目を向けるとかしなくてもいい状況を作ってしまったら、そんな考えが浮かんでしまった。
それについては、まだ答えをだしてはいない。出すのが怖いのかもしれない。数年前から自分で「こうして行こう」と決めたことが、間違っていたのかもしれないと知るのが怖いんだと思う。それで、それについてはとりあえずまだ置いている。
そんなわけで、出掛けられないし、人と会わないしという状況は、引きこもれる絶好の機会となった(仕事は行くけど)。
もともと引きこもることには苦痛はなかった。食べるものさえあれば、何日間の休みがあろうと、一歩も外に出ず過ごすことなんて全然平気。というかむしろ、それを望んでさえいるところもある。
物理的にも引きこもることばかりになり、それがものすごく心地よくなっていき、すると今度はSNSにも足を踏み入れなくなった。
ブログもSNS(facebookやらInstagramやらTwitterやら)も心から信頼できる友達と交流をしていて本当に楽しいと思いながらやっていたことだったのだけれども、ぱったりと、どうにもやる気がなくなった。
そして、リアルでもデジタルでも、立派な引きこもりとなった(仕事だけは行くけど)。
引きこもるということは、「自分のこと」にベクトルを切り替えて考えることになる。自分のことだけを考えてればいい。
それはいままで、活動をつづけるために「いつか落ち着いたらやろう」と後回しにしてきたことに使える時間ができたということでもあった。
「いつか落ち着いたらやる」なんてことは、こうやってやれる時間ができて初めて判ったのだけれども、そんな時は来ない。永遠に来ないのだ。
そして私は、皮肉にもこのコロナ自粛のタイミングで引きこもることができ、その「いつか」に対面する機会になったのだ。
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