新曲「ヴィヴァーチェ」からみる岡野昭仁
※ヴィヴァーチェの作詞作曲者や、演奏当時メモした範囲で歌詞について触れていきます。もちろん、全てあってる訳では無いです。正式発表まで待ちたいという方は閲覧にご注意ください
因島・横浜ロマンスポルノ’24 ~解放区~で演奏された新曲「ヴィヴァーチェ」
今回はそれについて考察していこうと思います
初めて聴いた感想
正直、新曲をやるとは思いませんでした
だって解放区のリリースからまだ半年くらいですよ!?
25周年のライブが終わって、また充電期間になるのかな、と少し寂しい思いをしていたので思いもしないサプライズで興奮しっぱなし
ポルノグラフィティは今後も次の山を登っていく、歌のギフトを届けていくという意思表示を感じられてとても嬉しかった
最初に聴いた時の感想は「めっっっちゃええ曲やな!?」でした
頭の悪い感想ですみません
でもこれが最初に思った正直な感想なんです
メビウスや暁、OLD VILLAGER、解放区など、近年では恒例となりつつある、ライブでの新曲披露
上にあげた曲は最初に聴いた段階ではいい曲だなーとは思いはしたものの
リリースされて良く聴き込まないと深く刺さるということは中々ありませんでした
ですが今回のヴィヴァーチェは一度聴いただけでビビっとくるものがありました
作詞作曲について
ラジオ番組でのコメントにて
作詞は昭仁さん、作曲晴一さんという割り振りが明かされていました
作詞は最初聴いた時、昭仁さんっぽいなーと思いました。
作曲も、音楽的な知識もセンスも0ですが、何となく
ギターが跳ねる感じが晴一さんっぽいなーと思いました
この組み合わせはかなり珍しく、2017年発売のMontageまで遡らないとありませんでした。
(余談ですがMontageはめちゃくちゃ好きな曲です
そういう意味では刺さるのが必然だったのかもしれません)
演奏前の昭仁さんの「多様性は大事だけど、その言葉の枠に囚われてはいないか」という言葉
その言葉を頭に起きつつ、歌詞を振り返って考察していきたいと思います
ヴィヴァーチェは「OLD VILLAGERとは真逆 」?
作詞は昭仁さんが担当と話しましたが
昭仁さんの作詞の特徴は乱暴に言えば、2つあると思っています。
1つ目は
「自分が思ったことを、曲の中で聴いてる人に問いかける」
というもの
多様性が叫ばれてる世の中。
でも自分はその多様性というものをちゃんと理解出来ているか、その言葉の枠組みに囚われて本来の意味を見失っていないか
「パントマイムの壁の中に囚われたのは君
二の足を踏む音がノイジー 耳を覆っている」
「解放の合図 知らせるのは誰だ 首を振って探す」
というのが1番のサビ前の歌詞です。
終始、
「君」が今陥っている状況
という目線で歌われています
見えない壁に囚われて、進もうにもその壁が立ち塞がっている
壁だけでなく
自分が進もうとしているその足踏みの音さえ、
ノイズとなって自分の邪魔をしている。
総じて
「目に見えないもの」が自分の邪魔をしている
その中で、この見えないものから自分を
「解放してくれるもの」
を首を振って必死に探している
透明な壁が目の前にあっても、ノイズで耳を塞いでいても
探し続けている。
つまり、他人に助けを求めているということだと考えます
「君自身で心躍る音を鳴らせ 自分だけに届けたらいい」
「限界まで熱くヴィヴァーチェ」
「昂る鼓動が 奏でるメロディ」
「曇り空でも 晴れやか歌え」
サビでは
「君」が成すべきこと
を歌っています
他人に困難な状況から解放してもらうのではなく
自分自身で心躍る音を鳴らせ←自分の足踏みの音がノイズとなって、何も出来なくなっているように
自分の心を踊らせるのは、自分が奏でる音だけ
ここはBLUE SKYの
「きりきり痛み軋む 心の摩擦を 上々な気持ちにするのも 自分だけ」
を彷彿とさせました
自分だけにその音は届けばいい、
他人の評価や目など気にするな
という自分軸の気持ちがみてとれます
自分の限界まで熱く、曇り空でも晴れやかに歌え
どんなに困難な状況でも
自分の気持ちだけは折れない、折れてはいけない
そんな意味が込められているように受け取りました
「誰かと寄り添っている方が安心なんだろう なら誰かと足を引っ張りあっても泣き言を言うな」
「抜け出す術は 思っているよりもシンプルなものだ」
「君の立ち位置を少しズラしてみたら 目の前は広くなるでしょ」
「それが今 君のステージ スポット当てて 輝かせたら」
「全力でその場所を愛せよ」
他人軸で考えるのはとても簡単で安心できることです。
でも他人の目を気にしてばかりいると、とても窮屈になり、まさに見えない壁に囚われているような感覚になります
Free and Freedomの
「僕らは一人きりでは生きていけない
なのに誰にも縛られたくない 矛盾と
永遠に戦い続ける生き物なんだ」
という一節を思い出しました
困難な状況を抜け出す術は 自分が思っているよりもシンプルなもの
それは立ち位置を少しズラしてみたら 目の前は広くなる
つまり、
その場から逃げるのではなく、自分の考え方を変える。
たったそれだけのシンプルなもので、窮屈に思えていた世界は広くなる
そうすれば今陥ってる困難な状況は自分のステージへと変わる
そのステージ🟰自分の人生を
スポットライトを当てて、輝かせるのは自分の気持ち次第ということ
「だって強ばったままじゃ響かない 君の声は」
「君の奏でる旋律があゝ 美しい 命の雫が踊るように」
「誰かへと届くヴィヴァーチェ」
「君が思うより 優しい世界が あるはずだから信じて歌え」
自分が思うより抜け出す術はシンプルなもの
だからこそ力を抜いていこう
見えない壁や自分の足踏みのノイズに阻まれていたら
君の声はどこにも響かない
この歌詞に
昭仁さんの言いたい事が集約されているような気がします
自分を変えるために、自分のために奏でた旋律は
他の何ものよりも美しい
命を振り絞るように
懸命に今を生きるように
そうして奏でた旋律は、自分だけに届けるよう歌っていたはずなのに
いつの間にか誰かへと届いていた
この世界は優しいもので溢れているはずだから
そう信じて生きていこう
ここはメリーゴーラウンドの「世界は広くて美しい」という一説を想起させました
昭仁さんは「この世界は広くて、優しいものでできている」と歌うことでそう信じているのかな、と思いました
そう、ヴィヴァーチェは自分を変えろ!という歌詞で、
OLD VILLAGERとは真逆のものだと推察します
ヴィヴァーチェは昭仁さんの歌やライブに対する想いが込められた曲
最後に、この考察で締めようと思います
2つ目の昭仁さんの作詞の特徴として
「自分の実体験を、歌詞にする」
というものがあると思っています
ヴィヴァーチェは「昭仁さんの歌やライブに対する想い」を詞にした曲なのでは
高校の時にバンドに参加したのも、
故郷を出た後、バンド活動をしてプロを目指したのも全てポルノグラフィティというバンドは、ギターの晴一さんが昭仁さんを誘うことで始まってきました
その後も、基本的には晴一さんがポルノグラフィティを引っ張っていくスタイルでした
最初は、きっと自分のために歌っていたのでしょう
最初に歌ったのも大人の前で歌うとお小遣いが貰えるからという理由でした
しかし自分の人生の半分以上をポルノグラフィティとして、歌を歌い続けてきて
自分のために歌ってきた歌は、いつしか
「ファンのために歌いたい」
「ファンのために曲を届けたい」
そういう気持ちに変化してきたのではないでしょうか
その気持ちの変化がヴィヴァーチェに記されているのではないでしょうか
「自分だけに届けたらいい」
という歌詞がラスサビになると
「誰かへと届くヴィヴァーチェ」
へと変わっていきます
20周年ライブを経て
「東京ドームで素晴らしい光景を見せてくれたファンの人のため今後は曲を作りたい」
と仰っていました
まさにこのヴィヴァーチェは昭仁さんのその思いの変遷が詰まった曲なのではないでしょうか
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