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六本木
『夏休み 気がつき生まる 渡る橋』
(国立新美術館開館15周年記念 李禹煥観覧時)
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8月の終わりに訪問した。
関係項と名付けられた岩や石畳、その他描かれた絵にはどのような意味があるか分からなかった。
芸術家の言葉として飾られていた文字がある。
正確にはわからないが、『限りなく行くものがあれば、限りなく来るものあり』、『その交差に同義あり』というようなことが書かれており、『関係項』と名付けられた索引と重ね合わせて、ある画家の『絵は作り手と鑑賞者の共同作品である』というニュアンスの言葉を思い出す。
この場は、意味のないものに意味を作り出そうという問いかけかもしれないと思った。または、モノとして存在している以上、モノとモノが重なることもあるし、広がることもある。そして、世界の形が構築される。そんな感じに意味だろうか。
中学、高校ぐらいの夏休み。
もっと、外に出て活動していれば、今の自分がもう少し大きくなっていたかもしれないと思うことはよくある。