先祖調査遍歴¦(2)養父母が後から入籍...?
先祖調査遍歴2です☔️
小学6年生〜中学生の頃の調査について振り返ります。
色々な家系に言及するとややこしくなるので、父方の調査に絞って書いていこうと思います。
【戸籍の違和感?】
小学6年生の冬に初めて戸籍を請求したところからです。
父方の明治19年式戸籍はこのようなものでした。
名前と続柄しか記載していませんが、既に2つの違和感がある戸籍です。
違和感1つ目は、前戸主欄などにある「送籍」という記載です。送籍とは養子縁組などによりその人の戸籍を他の戸籍に移すことです。
養子の榮次郎が送籍なら、一応意味は通ります。しかし、養父の長十が送籍とはどういうことなのでしょうか?
2つ目は「記載される順番」です。
通常、戸主→祖父母→父母→妻→子供の順で記載されますが、この戸籍では養父母より先に妻が記載されています。
これには明確な答えが出せます。
「戸籍が編成された当時、養父母がこの戸籍にいなかった」ということです。
前戸主欄の「送籍」記載も踏まえると、元々は養子の戸主、養父母、養祖母という家族構成だったが、何らかの理由で養父母が別の戸籍に入り、その後また復籍した。というストーリーが見えてくるのではないでしょうか。
養父母の事項欄に目を移すとこのような記載がありました。
養父 「明治22年4月9日当郡当村⚪︎⚪︎(大字)鈴木????復籍」
養母 「明治22年4月9日夫に随(従い)復籍」
どこかの鈴木家の戸籍に入ったのち、復籍していることが確実です。
ですが、、肝心のどこの誰の戸籍からどういった理由で復籍したのか?という部分が読めません😿😿
(この部分は高校生になってからようやく解読できました!全て読めたらかなりすごいと思います)
【奇跡】
整理すると、養父母に従前戸籍が存在するのは確実!取得したい!でも番地・戸主・復籍理由が不明!!!!という状況です。
こんな状態では通常、交付不可となります。戸籍を探すための情報が少なすぎるため、仕方がないことです。
当時のわたしも同じようなことを考え、請求は諦めていました。
しかし、半年後の9月(中学1年生)何を思ったのかこの戸籍を請求しに役所へと向かいます。
このとき、なぜ一度諦めた戸籍を請求しようと思ったのかは、よく覚えていません。
結果から言ってしまえば交付されました。奇跡です‼️
詳しい会話内容は記憶にないのですが、請求理由に「家系図作成」と書いたところ
担当の方 「歴史がすきなの?」
わたし 「好きです!いまは〜で先祖を調べています!」
担当の方 「娘も歴史が好きでね、自分で調べてまとめたりしてるの。頑張ってね!」
といった感じの会話があり、あっさりと請求が受け入れられてしまったのです。
番地がないだけで受け付けてくれないことも少なくないのが役所です。この対応はかなりイレギュラーと言えます。
2時間くらい待ったのち、ついに請求した戸籍が交付されました。諦めていた戸籍が自分の手に渡った瞬間です!
この戸籍からさまざまな謎が解けていくのですが、長くなってしまったのでここで切らせてください、、
読んでくださった方、ありがとうございましたт т