#114 落ちこぼれって何?
誰もが最初は何も知らない。
誰もが最初は何もできない。
誰もが最初はやる気もおきない。
誰でもどんなことにおいても初めはあり、そしてそれは無から生まれる。
そして学生生活や社会生活で、何かが上手にできずに集団から取り残された人のことを、人は落ちこぼれと呼ぶ。
由来は、稲の落ち葉など落ちて散らばったもの、また残り物のことをいう言葉からきているそうだ。
しかし、落ちこぼれイコール無能というわけではない。単に、成長スピードが遅かったり、本人にやる気がなく向上することを放棄している場合もある。
想像してほしい。
あなたにとって好きなものや当たり前の行為がずべて、一億桁の足し算をすることと同じで、延々と単純頭脳労働の繰り返しだとしたら、いずれやる気もなくなり立ち止まってしまうだろう。
これと同じで、人は面白いと思える動機や、劣悪な環境または自身の立場から逃れるような強い動機がなければ、行動を起こすことは難しい。
ましてや衣食住の整った現在の日本に暮らす人たちにとって、強いインセンティブを生み出すことは容易ではない。
つまり、落ちこぼれとは成長過程の一部でしかなく、それは単に人生における点でしかない。なので落ちこぼれてしまっても問題はないのだ。
問題なのはやる気がおきない状態または環境にありそれを改善するきっかけさえあれば人は大きく羽ばたくことができる。しかし、その明確な方法がないことが残念である。
わたしたちは誰かのためには容易に行動を起こせる。
行動の程度によってさまざまなバイアスがかかるので一概には言えないが、良心は強い動機を生む。
人を助けたいという欲求には限りないパワーがあり、行くものの背中を強く押す。
これはそんなきっかけを掴み羽ばたいた人間の物語である。
税所篤快(さいしょあつよし)
税所篤快は、東京都足立区で公務員の家庭で生まれ育った。小・中学校ともに学力はそこそこでだった。高校を進学する際に、都内では珍しい弓道部に入るために、進学校である都立両国高校に目指すことにした。
成績の悪い方ではない税所だったが、摸試の判定は「F」で合格は不可能と思われた。
だが、持ち前のガッツと地元の塾の先生の助けもあり奇跡的に入学することができた。
さぞかしバラ色の学校生活を送ると思いきや彼に試練が訪れる。
高校1年の1学期から理数系の授業についていけなくなった。
彼は授業で先生が何を言っているのか、さっぱり理解できなくなった。これをきっかけに、他の教科においても成績が伸び悩み、気がついてみれば順位がクラスで下から数える方が早いほど下がってしまった。
その時の彼は、成績が伸び悩んでいる原因は、授業を教える教師にあり、自分のせいではないと考えていた。
そこで、怒りをこめて歴史の先生に手紙を書いた。
「先生の授業を半年間受けてきましたが、熱意、使命感、覇気が感じられず、3分の2の生徒は寝ていて、残りの3分の1は内職をしています。教科書を読み上げるだけで、歴史のおもしろいエピソードや、それを学ぶ意義がぜんぜん理解できないのです」
すると、歴史の先生は次のように返事をした。
「まったく意味がわかりません。教科書に書いていることを解説していますが、読み上げているだけではありません。エピソードの話もしていますが、それに時間を使いすぎてはほかのことができません。もしどうしても文句があるのならば学校局に相談しなさい。あなたも、もっと勉強をしなさい」
理解ある励ましと謝罪の言葉とは無縁の対応に、税所の心は完全に折れた。
そして、偏差値はとうとう28まで落ちてしまった。
自他ともに落ちこぼれのレッテルを貼られ、惰性で過ごす学校生活の中であっても、税所は現代文の授業は熱心に受けた。昔から本を読むことが好きだったし、現代文の星野先生とはどこか波長が合ったのだろう。
星野先生は、税所が学校生活に不満を持っていることを気にかけていた。
そんなある日、星野先生は税所に
「日経エディケーションチャレンジというイベントがあるぞ。きっと、お前みたいな奴がたくさんいるんじゃないか」とチラシを渡した。
税所は、イベントが開催されるのが夏休み期間の始めということもあり、暇つぶしくらいの気持ちで足を運んだ。
正直、興味はない。一緒に行く友人もいない。また、他に指してやることもない。これほどないが重なると、人は不思議と何かを求めてしまうのだろう。
いや、落ちこぼれてしまったときから、何かを常に期待していたのかもしれない。
着火
会場は、千代田区にある一橋記念講堂。
「おはよう諸君、キャプテンの米倉誠一郎だ」
ホールの後方からその講師は舞台までスポットライトを浴びながら現れた。奇天烈な登場に度肝を抜かれ税所は魅入られた。
米倉誠一郎は、一橋大学でイノベーションを研究している。
特別授業では、イノベーションを世界の実例を通して生徒にわかりやすく、魅力的に伝えた。税所は、高校生活で失われた、知的好奇心の砂漠に洪水のように水が浸み渡ってゆくのを感じた。
なかでも税所の心に響いたエピソードは、アメリカで生まれた世界最大級の運輸会社フェデックス。
フェデックス創業のきっかけになったアイデアは、創業者であるフレッド・スミスが大学の経済学の授業で書いたレポートだった。
スミスの在学当時、広大な国土を持つアメリカでは都市から別の都市まで、翌朝着で品物を送りたいと思っても、物流が可能な都市はごく一部に限られていた。
全米に数百もある空港が、それぞれ別の都市に航空便を飛ばすことになったら、飛行機が数百×数百で数万機以上も必要になってしまうためだ。
そこでスミスはこう考えた。
「アメリカの真ん中にあるテネシー州メンフィスの空港に一旦集め、そこから各都市へ送る。そうすればメンフィスからたった50機の飛行機によって、一日でアメリカ全土に荷物が届けられる」
実にクレバーなアイデアだったが、スミスのレポートの評価は「C」だった。そんな突拍子もないアイデアが実現できるわけないだろうと教授は否定したのだ。
しかし、納得のいかないスミスは、自分のアイデアは間違いなく上手くいくはずだと確信し、その後フェデックスを起業し大成功を収める。
この日、米倉教授はイベントの中で繰り返しこう語った。
「変わったアイデアを思いつく人間のほうが価値がある」
「世界を変えるのは君たちなんだ」
「クレイジーな奴こそが世界を変えられる!」
税所は、身体の底から興奮と嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
つづく
最後まで読んでいただきありがとうございます。
参考文献「最高の授業を世界の果てまで届けよう 税所篤快著」
temmieさん画像を使用させていただきました。