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#115 move on move on!
こちらは「#114 落ちこぼれて何?」のつづきです。
米倉誠一郎の圧倒的なパフォーマンスにすっかり魅了され税所は着火した。
このイベントの参加者は、300人いたのだが、そのうちレポートが優秀な8人は特典として、米倉と共に中国への研修旅行に行くことができた。
彼は千載一遇のチャンスだと思い、今持てる全てをレポートに込めた。そのかいもあってか見事8名の枠に入り、中国への研修旅行を掴み取った。
税所は、中国での道中も米倉に気に入られようと努力したのだがそれは叶わなかった。
「おい税所、お前は将来、何になりたいと思っているんだ?」と訊かれ、
「政治家になろうかなと思っています」と答えたが、
「ふーん、よくわからんな」っと言われた。
おそらく米倉には、税所の曖昧な夢がぼやけて見えたのかもしれない。
ー高校2年11月のことだった。
3者面談で担任の教師に
「とにかくね、偏差値が低すぎるんですよ。中間試験の結果を見ても、税所君の学力は中学2年か3年ぐらいのレベルです。このままでは、どこの大学にも受かりませんよ」といわれた。
担任の先生に反論をしたかったが、今の成績ではとぐっとこらえた。
しかし、この言葉に税所は「見てろよ。俺はこんなところでは終わらないぞ」と反骨精神に火がつき、一発逆転に打って出た。
そこで出会ったのはDVDの授業であった。DVD授業には利点があった。それは、都合の良い時間に効率的な勉強ができることだ。
通常、対面で行われる授業は時間が決まっていて講義を受ける。授業の時間に自分が合わせなくてはならない。DVD授業にはそれがなく、税所には都合が良かった。
この画期的なシステムと税所の努力もあり、見事、早稲田大学教育学部に合格した。
気にかけてくれていた古文の先生も「税所が早稲田に・・・奇跡だ」と驚きを隠せない様子だった。
move on move on!
早稲田大学でのバラ色のキャンパスライフが待っているかと思いきや、またしても税所は躓いた。
300人が入る大教室。学生の多くは居眠りするか、漫画や本を読んでいたり、携帯電話の画面をのぞき込んでいた。
はるか遠くに登壇している教授は、そんなことはまったく意に介しておらず、自分の書いた教科書を読み上げている。
「いったいなんのためにこの勉強をするのだろう」
税所は、自分の心の火がぼわっと消える音を聴いた。
大学の授業に見切りをつけたが、それでも税所は大学1年の夏休みに、アフリカのケニアにボランティアに行ったり、尊敬している米倉先生のMBAの授業を聴講させてもらったりと、大学の外では精力的に活動した。
それもあってか彼女もでき、人生も上向きにみえた。
ときには、足立区の教育問題を解決しようと、子どもを塾に行かせたくても叶わぬ家庭のために「ただ塾」という名前をつけて仲間と一緒に奮起した。
そして区長にプレゼンする機会まで手にした。
しかし、プレゼンを終えた税所に区長は
「あのね、そもそも教育格差ってなんなの?」といわれた。
足立区長は、身を粉にして教育環境改善に尽力していた人だった。区長にしてみれば机上の空論で現実味のないプランに映った。
その後、教育ベンチャーの経営者にも
「あのさ。日本の教育格差なんて世界の途上国の学校に通えない子どもに比べたら、ぜんぜん問題にならないよ。それに、教育事業というのは、生徒に対して大きな責任が発生する。だから、一度始めたらそう簡単にはやめられない。君たち、責任を持ってきちんと続けられるのかい?」
と言われた。残念なことに当時の彼らにはその責任を負うだけの覚悟はなかった。
その後も、何か新しいことを思いついてはチャレンジし、失敗を繰り返していた。
それに見かねた彼女は、税所をふった。
きっと口ばかり達者で何も実現できない税所に嫌気がさしたのだろう。
往々にして若い男は、ロマンを求め高らかに吠えては失笑されるを繰り返すものだ。さなぎのままでは大成しないが、そのときを待っているのだろう。
「もう、恋人として見てられない。ごめんね。税所くんが、雑誌とかに出るようになったら教えてね。買うから」
そういって、去っていった。
つづく
最後まで読んでいただきありがとうございます。
参考文献「最高の授業を世界の果てまで届けよう 税所篤快著」
Nottyさん画像を使用させていただきました。
毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますので、よろしくお願いします。
no.115.2022.04.22