#111 その男の名はイーロン・マスク
仕事をするときに、人は大まかに二つの属性に分かれる。
それは、スペシャリストとジェネラリストだ。
ご存じスペシャリストとは専門家のことで、何かの分野において高い知識や技能がある人材のことを指す。
一方、ジェネラリストは、広範囲に渡る知識や経験を持つ人のことで、集団を適切な方向へ導く役割を果たす。
あなたはどちらに属するだろうか。Wbasic的にいえば、スペシャリストもジェネラリストもその程度の違いだけで同じもので見え方の違いになる。
だが、多くのジェネラリストは幅広い知識を持っておらず、少しでも専門的な話に及ぶと対等な会話ができず、その役割を十二分に発揮できているとはいいがたい。
そのわりには、でかい口を叩くので専門家からは陰口をたたかれるのが、関の山である。
しかし、本物のジェネラリストは世界を変える力がある。
嘘だと思うかもしれないが事実だ。
その最前線で走っている男がいる。
その男の名を、イーロン・マスクという。
イーロン・マスク
イーロン・マスク 年表
まずは、イーロンマスクの生い立ちをざっと。
イーロン・マスクは、1971年に南アフリカ共和国で生まれました。
イーロンの母方の祖父ジョシュア・ノーマン・ハルデマンは冒険好きだったようで、1930年代から40年代、ジョシュアはいくつもの仕事をする一方で、自家用飛行機で北米を飛び回っていたそうです。
地元で成功を収めたジョシュアは、カナダの役人が国民生活に口出しするのに我慢できずにカナダを去る決意をしました。
そして新天地に選んだのがなぜか南アフリカ共和国だった。
ジョシュア夫妻は、南アフリカで落ち着くどころか、スコットランド、ノルウエーをまわる3万5千㎞を自家用飛行機で長距離飛行したり、カルハリ砂漠で幻の古代都市を探しあてようと1か月に及ぶ冒険旅行をするような人だったそうです。
そんな両親のもと育ったメイ(娘)は、エロル・マスクと出会い結婚し、イーロン・マスクが誕生します。
破天荒な祖父が亡くなったのは72歳で、自家用飛行機の着陸練習の際、滑走路に張ってあったワイヤーに飛行機の車輪が絡まって事故になり頸椎骨折により他界しました。
小さい頃から世界的な視点に触れていたイーロンが世に飛び出すのは何だか理解できます。
少年時代のイーロンは本の虫で、休みの日は一日で2冊の本を読破したそうです。また、小学3・4年生になると、学校の図書館はもとより、近くにあった図書館の本を読み終えてしまい、「読む本がないので、新しい本を入れて欲しい」と要望を出したほどだった。
10歳になると、初めてコンピューターに触れ、以降プログラミングの虜になっていくのですが、通常6カ月ほどかけて学ぶ手引書を、三日三晩寝ずに読破し、プログラミングの基礎をマスターしてしまいました。
こうみると、持って生まれた才があるようにみえます。
その後、イーロンはカナダへと渡り、スタンフォード大学院に入学後、 わずか2日で退学し、Zip2社を弟キンバル・マスクと共同で創業します。
イーロン・マスクは南カルフォルニア大学マーシャル経営大学院の卒業式でこんなスピーチをしています。
まず言いたいことは「超多忙であれ」ということです。何を仕事にするにもよりますが、特に最初の職場ではとにかく忙しく働く必要があります。
起きている時は常に働く。特に起業する人には言っておきたいことです。他が週に50時間働くなら自分は100時間働く。そうすると会社としては、本来の2倍の仕事量をこなせたことになります。
才能と努力と野心、この三つが合わさるとき、社会を変える力があるようです。
つづく
参考文献:「世界をつくり変える男 イーロン・マスク 竹内一正著」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
○○さん画像を使用させていただきました。
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