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トゥレット症(チック症)当事者が語る共生【中学生編】

 皆さんはトゥレット症、またはチック症という言葉を聞いたことがあるだろうか。近年インターネットの普及によりかなり認知が広がっていると感じているが、それでも知らない人の方が多くいると思う。
 簡単に説明するとチック症状(過度な瞬き、首振り等の運動チックと咳払い、発声等の音声チック)が1年以上続くものをトゥレット症と呼んでいる。
※詳細はトゥレット症とは?チック症とは? - トゥレット当事者会をご覧ください。

 そんなトゥレット症を患えてから現在に至るまでの約17年様々なことがあった。トゥレット症を抱える一個人として、この病気がどんなものなのか。この病気を持つ人はどのような意識をもって生活しているのか、知ってもらいたいと思い、この記事を書くことに決めた。

 発症~小学校卒業編、中学校編、高校~社会人編の3部構成でそれぞれの時代で何があったのか、どういった症状が出たのか、心境はどう変化したのかを書いていきたいと思う。

※本記事はトゥレット症(チック症)当事者が語る共生【発症~小学校卒業編】|ひっきいの続きになります。

中1の生活

 小学校を卒業し、中学に上がる前の1か月間。この期間に急激にチックがひどくなった。卒業と新しい場所への入学ということで、様々な感情が交錯していた。同学年16人しかいない小さな小学校から、1学年130人もいる市内では1番大きい中学に入学するのはわくわくと不安が入り混じる。
 当時の私は「普通の子たちは「友達できるかな」とか「彼氏、彼女」とかでわくわくどきどきなんだろうな」と、私以外の友人たちに対して、とても達観していた。私はこのチックによっていじめられないか、悪くいわれないか、どうにかしてバレない方法はないか。そんなことばかり考えていた。
 ちょうど思春期に差し掛かる、そして環境の大きく変わる中学1年生の入学式。トゥレット症を持つ子どもたちが越えなくてはいけない壁がここにある。この最初の1手を間違えたら本当に3年間辛くなる可能性が高い。そう考えた。
 私は入学して早々、野球部に所属した。小学生のころから少年野球をやっていたからだ。その少年野球チームで一緒にプレーしていた別小学校の友人がいたこともあり、スタートダッシュ的には成功していた。しかしチックについて必ずどこかでぼろが出る。私はこのことを何とか周囲にばれないようにしようと必死であった。しかし、自分で首振り、瞬き、音声チックを激しくしている実感があり、悪化していることは、自分にもわかっていた。これまでは、チックをしている感覚があまりなく、ほぼ無意識のチックが多かった。しかし、この頃から自分のチックが分かるようになってきた。それだけ分かりやすく、はっきりとチックをしていることになる。それに気づいた私は、もう隠すことはできないと感じた。そして私はこのチックについて学年みんなに話すことを決心した。
 入学式が終わり、クラス内で探り探りではあるが、新しい友人をそれぞれが迎え入れ始めた。そして私も例にもれず、クラス内、部活内で多くの友人とつながった。また野球部であったことからクラスの中心的な人物になり、かなり明るい部類の生徒であった。そして入学してから2週間ほどが経った日に、1人の家に同学年30人くらいが集まって遊んだ日があった。その1人の家とは実家がお寺であり、広い敷地を要していたこともあり、みんなで自転車で集合した。私もそのうちの1人として参加していた。
 その日、みんなで遊んでいる時に、私は「今言わなきゃいけない」と明確な衝動を強く心に感じた。なぜかはわからないが、私が感じたその感覚は今でも心に残っており、時折その時の夢まで見る。私にとって一大イベントであった。広い敷地の中で30人ほどがいくつかのグループで遊んでおり、外でサッカーをしている者たちや、室内でゲームそする者たちがいた。私はその時外にいた。みんなでスマホを見ていた記憶がある。その場には15人くらい人がいて、ラインを交換しあっていた。その場で私の口から衝撃的な発言を展開した。

「おれ、チックていう病気があるみたいで、顔とか首動いちゃうんだよね。なんか変な声も出してるっしょ。みんな覚えておいてくれると助かるわ!」
 
 簡潔に、明るく、事情を説明した。周囲の反応はとても暖かいもので、「そんな気がした」や「気にしない」など当事者にとってはとても嬉しいものであった。

 中学生の開始時期に、これから関係を深めていく友人たちに事情を説明できたことがどれだけこの後の3年間を楽にしたことか。この場で話を聞いた友人たちが少しづつ周りに広めてくれ、学年内で私のトゥレット症は認知されていった。

 それから症状はよくもなり、悪くもなりの繰り替えしであった。その中でも中学にあがってから明らかにひどくなったのは音声チックである。
 引き音を出しながら息を吸う、「あっ」と声を出す、喉を鳴らす、咳払いの頻度が上がり、さらに音量まで上がった。特に引き音を出しながら息を吸うことで呼吸を妨げ、何度か過呼吸に陥った。

 そして1年生の夏前に1つ個人的な事件が起きた。

 クラス内の女子生徒の親から私が授業妨害をしているという報告があった。内容としては私がわざと変な音を出して、ふざけているといったことだ。
 私は野球部であり、クラスの中では中心的な人物になっていた。また普段から多くの友人と騒いでいたこともあり、わざとやっていると感じられたのであろう。全員にチックのことが周知されていたわけではないので仕方がないことだ。校長室に呼び出され、校長、担任、私で話をされた。私は病気があることを校長先生に説明するも、「普段からうるさいのが良くない」「それくらいのこと(音声チック)我慢できないのか」と言われたことを強く覚えている。担任は病気のことをもとから知っていたので、庇ってくれたものの、強く傷ついた。

 その後は体育祭、文化祭、キャンプ、部活の大会前など、イベントの前後でチックが悪化したが、それでもチックが落ち着くことがあり、波があった。
 また先輩からはよくチックを馬鹿にされることが多くなった。本気で嫌な思いをさせようとしているわけではなく、いじりのつもりでよく真似をしてきたり、「チックやってみてよ」と言われたりした。私はそれに対し、嫌な思いはしたものの、先輩からの絡み方だと理解し、面白可笑しく返答していた。そのおかげで、多くの先輩に「変な動きしているやつ」として私の存在を認知してもらえた。実際に話しをしたことのない先輩も、私のことを認知していた。トゥレット症の患者で、真似されたり、ネタにされることは必ずあると思う。私はそれを自分の武器として、多くの友人、先輩、後輩と円を広げた。しかし、これができる人はほとんどいないと思う。実際はめちゃくちゃ嫌だからだ。
 自分にあるチックをどうするかは自分で決めるしかない。隠すにしろ、無視するにしろ、それを武器にするにしろ。それを思春期の時期に、自分で選択しなくてはならないのは残酷である。

中学2年~3年の生活

 中学2年生に上がってからチックが一段とひどくなり、それは3年生のころまで続いた。個人的に、人生で1番チックがひどかった時期がこの時期である。
 チックによって、外傷が起こり始めたのがこの頃からだ。
 
 瞬きを過度にすることで、目を物貰いのように腫らすようになった。大体左目から腫れてきて、次に右目が腫れる。それを繰り返すようになり、いつの日か常に両目が腫れている状態になった。毎朝大量の目ヤニと潰れ切ってる瞳で学校に通うのは苦痛であったが、まだ男子なのでよかった。これが女子であったら不登校になっていたかもしれない。
 
 首振りを縦、横に振ることで脳が揺らされる感覚でよく目まいがした。また気持ち悪くなり、集中力が続かなくなった。首は振るだけでなく、傾げることも多くなり、その影響で首から肩にかけて相当な痛みがあった。首が回らなくなり、私生活に影響が出るレベルであった。
 
 歯茎を横に動かすことで、口に中に大量の傷と口内炎ができた。酷いときには同時に20個ほどの口内炎ができ、寝ている時に何度も口の中から流血をした。常に口内炎が複数個ある状態が続き、食事がおいしくない他、会話をするのも違和感と痛みがあり、私生活に影響が出た。
 
 右手を振り上げるチックがこのころから発症するようになり、周囲の人にその手が当たることが多くなってきた。相当な勢いで手を振り上げてしまうため、その手が当たってしまった人は実質「急に叩かれた」と思うであろう。実際、殴っているようなものである。特に部活終了後の疲れた体の時に多発し、部活後のミーティングの時間に隣に立つチームメイトによく当たってしまっていた。また廊下を歩いている時なども周囲に気を付けて端を歩き対策していた。

 音声チックが会話を妨げてくるようになった。会話している間に音声チックが出るので、
「明日(あっ)カラオケ(うん、あっ)いこうぜ!」
のような感じになっていた。会話を妨げられるのはとてもつらかった。

 以上のように過去最大級にひどくなったのが中学2年から3年の時期である。私のことを認知してくれている、同じ中学の仲間たちの前であったからこそ、いじめられたりすることはなかったが、所見の人が当時の私を見たらどう思うだろうか。間違いなくいじめられ、馬鹿にされるであろう。
 とても仲間と環境に恵まれていたと思う。
 実際に樹家に向けて中学3年生から入った塾では、しっかり陰口、真似される等の行為を受けた。しかし、塾内など気にする必要がないと判断し、私は友人を作ることはせず、もくもくと勉強のみした。

 そして、あまりにもひどい私を見た母親が私を初めてチックのことで病院に連れて行った。
 中学2年の頃であった。総合病院内の小児科に行き、話をした記憶がある。特に検査をした記憶はない。その時に言われたことは
「チックは18歳にかけて治まる人が多い。まだ様子を見てもよい」
ということであった。そして投薬などもなく終了した。
 実際私は今でも現役トゥレットプレイヤーなので、治まることはなかった。

最後に

 今回は中学生編チックについて説明した。
 伝えたいことを全て文章で伝えることはとても難しい。だからこれはほんの1部に過ぎない。いつかもっと詳しいことを記せるようになったときはまた投稿したい。
 次回は高校生編を書いていく。
 また見てね^^

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