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トゥレット症の私が投薬治療に服用した人生を狂わせた薬の話【チック症】【アリピプラゾール】

始めに

 トゥレット症を小学1年で患い、現在まで17年目の付き合いをしてきた。私はトゥレット症との多くの思い出がある、それは比較的嫌な思い出が多い。その中でも、2度と経験したくないと感じた経験が存在する。今日はその話をしよう。
※私のこれまでのトゥレット症との歩みについては以下の記事をご覧ください。
当事者が語るトゥレット症について|ひっきい
トゥレット症(チック症)当事者が語る共生【発症~小学校卒業編】|ひっきい
トゥレット症(チック症)当事者が語る共生【中学生編】|ひっきい

トゥレット症について簡単な説明

 簡単に説明するとチック症状(過度な瞬き、首振り等の運動チックと咳払い、発声等の音声チック)が1年以上続くものをトゥレット症と呼んでいる。
※詳細はトゥレット症とは?チック症とは? - トゥレット当事者会をご覧ください。

高校1年の冬に出会った悪魔

 高校1年の冬。私はトゥレット症と戦っていた。毎日のチック症状にて精神的にも肉体的にも疲弊してしまっていた。野球部に属していた私は毎日の練習に明け暮れ、毎日へとへとで帰宅していた。私の中で、トゥレット症は精神状態が何かしらの一線を越えたときに悪化するものだと感じている。それは喜怒哀楽、ポジティブ、ネガティブ、すべての感情である。過酷なレギュラー争いをする中で、日々全身全霊で部活動に取り組んでいたことから、肉体的な疲労と精神的な疲労が全身を覆っていた。そんな中、これ見よがしにチック症状が多発した。

 小学生当時から激しいチック症状を受け入れ、中学生の時に1度病院に行ったものの、それ以降病院に通うことはなかった。病院の先生はチック症ではない。世間に出ている情報と、知識を振りかざし、分かりもしないトゥレット症について、分かった気で口を利かれるのがとても嫌だった私は潜在的に病院を毛嫌いしていた。そんな中、明らかに見て分かるほど悪化したチック症状を見かねた母親から、高校の近くにある病院への受診を打診された。私はあまり乗り気ではなかったが、症状の悪化により生活に支障が出ている以上、何とかしなくてはと思っていたところであった。高校の近くということもあり、部活に大きく遅れることもないことから、1度受診しようという気になった。

 その病院は精神科、神経科の病院であり、インターネットで調べるとチック症を診断できる医師が在籍していることが分かった。これまで罹った
ことのある病院は小児科で、チック症に対し、専門的に扱っている医師ではなかったため、少し安心した。

 初の受診の日。土曜の早朝に母親に連れられ、病院に向かった。部活の顧問には持病のための通院という説明で部活の遅刻を説明してあった。早急に部活に行きたい焦りの気持ちと、トゥレット症が少しでも楽になるんじゃないかという期待を込めて待合室で名前を呼ばれる時を待った。

 名前が呼ばれ診察室に入ると、中には眼鏡を掛けた、いかにも真面目そうな、優しそうな男性医師が私を待ち受けていた。怖そうな人ではなくとても安心した。

 医師の自己紹介が終わり、症状について説明を求められた。私は小学1年生の頃に発症し、チックの影響で過呼吸になったり、目が腫れたり、首が異常に凝ったり、音声チックにより周りに迷惑をかけていたり、初対面の人から向けられる異常な人間を見るような視線が辛かったり。普段人には絶対に話さないようなことまで赤裸々に話をした。医師は私の目をよく見て、メモを取りながら真剣に聞いてくれた。

 症状を話すと、医師からはほぼトゥレット症であることは間違いないと告げられた。これまで罹った医者は、「チックは年齢経過によって治まることが多い為、まだ様子をみましょう。」と告げられていた。それもそのはず、以前罹った最後の病院は中学2年生の時であり、まだまだ思春期真っ只中であったからである。

 そして医師からは投薬により、状況の悪化を防ぎ、症状を最小限に留めていくことを提案された。私はこれまで投薬をしたことがなく、これまで経験のない本格的な治療をすることに期待した。母親も納得しているようだったので、私は医師の提案に従ってみることにした。

 最初に出された薬はツムラ抑肝散エキス顆粒であった。これは神経の高ぶりをやわらげ、不安、不眠、夜なきなどの症状を改善する漢方薬であり、簡潔に言えば精神安定剤のようなものだ。チック症状は強い強迫観念から生み出されることがあると研究されており、強迫性障害はトゥレット症の合併症としてよくあげられる病気である。つまりトゥレット症を和らげるために、可能性として存在する強迫性障害による強迫観念を抑えることで、チック症状を抑えようというものだ。その他に運動チックの首振りによる首、肩の痛み止めを処方してもらい、初診を終えた。薬を飲むことで少なからず、良い方向に進んでくれることを祈り病院を後にした。

 処方してもらった薬を飲み、1か月間生活した。結果から言うと薬による成果は一切感じることがなかった。いつもどおりチックを継続して行い、心身にかかった負担も軽減することはなかった。チックの症状が悪化するようなこともなかった。本当に何も感じなかった。次の診察で、経過を説明すると、医者から新たな薬を提案された。その薬の名前はアリピプラゾール。今回、記事の主役になる私からしたら悪魔の薬だ。

 アリピプラゾールは、第二世代の抗精神病薬(非定型抗精神病薬)でドパミンの量を適切に調節してくれる作用があるため、DSS(ドパミン・システム・スタビライザー)と呼ばれている。ドパミンが過剰な場合はその働きを抑え、不足している場合は働きを補ってくれる。そのため元々は統合失調症の治療薬として開発され、低用量では気分を持ち上げ、高用量では気分を抑える効果が期待でき、さらには気分の波を小さくして、気分や感情を安定させてくれることから鬱病、双極性障害(躁鬱)、自閉症スペクトラム障害の易刺激性に使用される。精神疾患に広く使われる薬だ。

 しかしどんなに有能な薬であっても、副作用が存在する。アリピプラゾールの主な副作用として、アカシジア(錐体外路症状)、体重増加、振戦、傾眠、眠気、不眠、便秘等があげられる。アリピプラゾールは副作用が比較的マイルドで新しい非定型抗精神病薬の中でも、副作用は全体的に少なめと言われている。トゥレット症に対し、チック症状をしたいという強迫観念を鎮静化させ、落ち着いた感情を維持できるよう処方された。

 私は医者からアリピプラゾールを0.5mg処方する旨を伝えられると、1mg錠剤を半分に割った形で処方してもらった。私は新たな薬を手に、新たな気持ちでトゥレット症と向かい合う気持ちが整った。

アリピプラゾールを摂取する生活

 アリピプラゾール0.5mgを処方され、それを摂取する生活が始まった。しかし特に効果を感じることなく何度か通院を繰り返した。通院する中で、症状の鎮静化を図るため、徐々に1mg、1.5mg、2mgと量を増やしていった。増やしていく中で、何度かチックの症状が落ち着くことがあったものの、直ぐに症状が悪化した。私は昔からチック症状の激しい、大人しいの波が激しく、特にアリピプラゾールが意味をなしていないと感じてしまった。医者に相談しても大した話の進展があるわけではなく、アリピプラゾールの処方量が増えるだけ。私は医者に対し、完全に心を閉ざしてしまった。

 そして明らかにアリピプラゾールを摂取し始めてから体に感じる変化があった。それは過剰な不眠と眠気だ。アリピプラゾールを処方してもらう際に、眠気が発生する場合がある為、夕食後、寝る前に摂取するように指示を受けていた。私は指示通り眠る前にアリピプラゾールを摂取していた。しかし、私は夜に全く眠れなくなってしまった。これまで23時~0時の間にすんなり寝ることができていた体質が、3時、4時になっても眠れなくなってしまったのだ。無理に寝ようとしても目が覚めてしまい、酷いときには動悸も発生した。そして生活習慣が乱れ、逆に日中は強烈な眠気に襲われた。高校の授業は基本居眠りをしており、まともに聞くことができなかった。しかしこれだけでは副作用による不眠で生活習慣が乱れていると判断できる。それでは過剰な眠気とはどんなものか。私は前述したとおり野球部に属していた。そんな野球の練習中に立ちながら何度も寝落ち仕掛けたのだ。また試合中、守備についている時に、何度も寝落ちしかけた。私は明らかな体の異常を感じていた。そして生活習慣の乱れと副作用によるストレスでチック症状を悪化させた。次第に私はアリピプラゾールを飲むことを拒むようになった。しかし母親は私のことを思って無理やりにでもアリピプラゾールを飲ませた。薬を変えるという選択肢もとれたはずなのに、私は病院の医師に対し覆ることは決してないほどの不信感を覚え、病院に行くことを拒否するようになった。またアリピプラゾールを飲んでから、何事にも無気力になり、何ごとにも身が入らなくなった。いわゆる抑うつ状態である。私が病院に行くことを拒否するようになり、母親だけが定期的に病院に通い、薬をもらってくるようになった。いつしかアリピプラゾールを飲むことを拒否することすら無気力になり、ひたすらに飲み続けた。そんな生活をしながらなんとか高校を卒業した。

社会に飛び込みアリピプラゾールと決別する

 高校を卒業した後、私は就職した。高卒で社会に飛び込んでいったのだ。私が就職する年は、コロナウイルスの出始めであり、最も規制と警戒が強い時期であった。そんな中、多くの規制があれど私は社会に溶けこんだ。アリピプラゾールを飲み、トゥレット症に対し、形状、対策している状態は社会人になってからも継続していた。コロナウイルスによる閉塞的な生活と、生活習慣の乱れ、社会の厳しさを実感し、多くのストレスを抱えた。また高校生までは授業中に寝ることで、睡眠不足を補っていたものの、社会人になってからは仕事中に寝るわけにもいかず、1日2時間睡眠程の生活を続けた。

 そんな中、世の中は緊急事態宣言によりさらに閉塞的になっていった。私は我慢の限界を迎えており、本当にいけないことだが、緊急事態宣言中にもかかわらず、仕事中以外は遊び呆けた。金曜日の夜に家を出て、日曜日の夜まで家に帰らないような生活を繰り返した。社会に対する、未熟な抵抗であった。しかしそんなくだらない抵抗をしている時は抑うつな気分は晴れ渡り、チックの症状も落ち着く傾向にあった。しかし仕事中や平日の夜はチックの症状と戦い、眠れない夜と、無気力な昼をただただ耐え忍んだ。

 何も変わらないアリピプラゾール生活を続け、社会人2年目になった。この頃には心身共にズタボロになっており、常時無気力、出勤前に嘔吐、不眠、眠気、動悸。そして運動チックによる首痛、物貰い、口内炎。白目を剝くことによる、文章が読みづらさ。音声チックによる会話の妨げ。すべてが嫌になっていた。そんな状態でも、体を引きずってでも職場に出勤し、業務だけはこなした。そんな社会人2年目の夏ごろ。私は朝、ベッドから体を起こすことができなくなった。仕事に行かなくてはならない焦りと、それを拒否するかのような激しい動機で体は硬直した。その日は家族が職場に連絡を入れてくれ、有給休暇をもらった。次の日は何とか体を引きずって職場に向かった。職場につくと直属の上司に呼び出され、「顔色が最近おかしかった。明日すぐに病院に行きなさい。」と通達された。私はまだまだ仕事をやれる。何も問題ないと答えるも、「病院に行き問題がないなら次の日から戻ってくればいい。1度受診してこい。」と言われた。渋々の思いで、実家近くにある精神科を訪れた。アリピプラゾールを処方してくれている病院に罹らず、私は別の病院を選択した。院内に入ると、直ぐにカウンセラーのような人に呼び出され、カウンセリングが始まった。私は、持病のトゥレット症のことと、病院に来るに至った経緯を細かく説明した。そしてまだまだ自分は何事もこなすことができることを証明しに来たことを力説した。社会人2年目程度で、自分の心が折れることをどうしても認めたくなかったのであろう。

 カウンセリングの後、呼び出しを受け診察室に入った。診察室にいた医者の風貌は今はもう思い出せない。必死に自らの無事を訴えかけた。トゥレット症のことも打ち明け、こんなものに負けたくないと必死に伝えた。医者から出された診断は、仕事及び持病のストレスによる抑うつ状態。いわゆるうつ病だと告げられた。私はその診断を聞き絶句した。自分がうつ病であることを認めたくなかった。しかし私は冷静に、うつ病であっても勤務して良いか医師に相談した。医師からは最低でも1ヶ月は休めと指示があり、診断書を渡された。この時完全に自分の心が折れる音が聞こえた。そして医者から、現状飲んでいる薬は1度停止し、抗うつ剤と睡眠導入剤を処方する旨を伝えられた。既に医者に抵抗する気力など残っておらず、言われるがままに聞き入れた。それから職場に状況を説明し、1ヶ月の療養休暇を受け取った。1ヶ月間、アリピプラゾールを辞める生活をし、抑うつ剤であるソラナックス、レクサプロ。眠剤であるベルソムラを摂取した。特に効果を感じたのはベルソムラであり、びっくりするほどに早く寝ることができた。仕事に行かずとも、朝6時半に起き、夜23時に寝る生活習慣を確立した。細かいうつ病生活については別の記事で書こうと思う。アリピプラゾールを辞めた1ヶ月間は結果から言うと、とても爽快であった。抑うつ状態は続いているものの、心身にかかるストレスは格段に減り、直ぐにでも仕事に戻り、今まで通りの生活がしたくなった。それからというものの、抑うつ状態ははっきり言って今でも直っていない。簡単に精神を病ます体質になってしまった。またチックの症状も治まることなく、いまだに苦しめられている。しかしアリピプラゾールを飲んでいた期間程絶望に満ちてはいない。あれは私にとっては悪魔そのものであった。

最後に

 アリピプラゾールはかなり優秀な薬である。相性が良ければ今、苦しんでいるあなたを救ってくれると思う。ただ私に合わなかっただけである。何事にも、向き不向きがある。それは私たち人間も同じである。だからこそ、自分という存在を大切に信じ抜いてほしい。

 私はうつ病から仕事に復帰する時に悟りを開いた。それは自己肯定感が低い自分を肯定することだ。ネガティブな自分を肯定すること。私の事は私にしかわからない。何事もできない、すべてが人に劣っている。常日頃、今でも感じる。ただそんな私は、世界に1人の私しかいない。特別である私のダメなところすべてを肯定し、前を向くことをしよう。そう思ったときにネガティブで何もできない私でもいいじゃないかと思えた。私は私しかいない。この記事を読んでいる君も君しかいない。アリピプラゾールは私に大きな絶望と、ほんの少しの勇気を与えてくれたのだ。

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