ドラマティックで自由を愛する孤独の達人
シン・コンセプトが生まれてたった3ヶ月足らずで、シン・コンセプト改が爆誕しました💥
そう。
タイトルの通り
「ドラマティックで自由を愛する孤独の達人」
これが私のシン・ファッションコンセプトです。
(コンセプトがころころ変わり過ぎと自分でも思いますが、かつて無いほどのしっくり度だったので、あれらはこのためのステップだと思うことにしました)
シン・コンセプト改が誕生するまで
先日、長い時間をかけて、人を巻き込んで、ようやく独身の覚悟が決まった私。
決まりかけたくらいからもっと的確なコンセプトがあるんじゃないかと思っており、ああでもない、こうでもないと日々自問自答を続けておりました。
というのも、元々のコンセプトが
と、内向きになってきていたのですが、一人で生きたいという強い願望と、それに伴う決断をしたことで
「悪くはないんだけど、私が本当になりたいものか?」
という気持ちがむくむくと湧いて来たのでした。
今振り返るとめちゃくちゃ迷走してますね😇
たくさん扉があるタイプの迷路の中で、たった一つの出口に通づるドアを探し続け、ただ時間だけが経っていくような気持ちでした。
そんなある日、全く目に入っていなかった隠し扉を指し示す一通のリプライが天啓のように届いたのです。
スナフキン主義?
スナフキンて、あのムーミンに出てくるキャラクターの?
その名言とは???
出口への扉をメェ、と示してくれたのは神ではなく
自問自答ガールズ火辻さんでした🐑
ムーミンにスナフキンという存在がいるのは知っていました。
何しろ4年もルームシェアした友人が大好きなキャラクターだったからです。
誕生日プレゼントにはスナフキンがプリントされた、ランチバッグを探し回って贈った記憶もあります。
その他、スナフキンについて知っていることは外見のほか
・ニヒルで何かいい感じのことを言うらしい
・アニメの声優が子安武人さん
・吟遊詩人みたいに放浪してるイメージ
というくらいでした。
キャラクターものに疎い私は、彼がどんなパーソナルなのかよく知らなかったのです。
この時、初めてスナフキンの発言を目にしました。
読み進める内に芽生えたのは
「私の考えていたことってこれじゃない?」
「孤独を愛しながら人との交流をするのは私の『ありたい』そのものでは?」
という、とても他人とは思えない気持ちでした。
中でも刺さったのは、
わ、分かる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
理解しかない。身を以てその感覚知ってる〜〜〜!!!!!!!!の気持ちしかない。
あまりの衝撃に初見の私の感想、爆走し過ぎてる。
自由はあくまで手段であって、自由そのものにはその先は無い、空っぽなものなんだ、と最近発売された違国日記の最新10巻に教えてもらいました。
私は自立やファッションコンセプトを、自由になるための手段だと思っています。
じゃあ自由を手に入れたその先で何をしたいのか、ずっと答えが出ないままでした。
でもスナフキンのお陰でハッキリしました。
私は自由を愛しながら孤独な人生を歩みたいんだと。
スナフキンを「孤独の達人」と形容する記事をお見かけし、孤独と付き合いながら、他との交流もする自由さに私が今後の人生でやりたいことそのものはこれだとピンときたのです。
スナフキンと違って、歌を携えて一年の大部分を旅に出たい訳では無いので、私がコンセプトに据えるべきは「スナフキン」自体ではなく「孤独の達人」だと確信しました。
めちゃくちゃなりたい、孤独の達人に……
ただの孤独「な人」でも、孤独「な」達人でもなく孤独「の」達人にめちゃくちゃなりたいし、最期はなって死にたい。
孤独の達人は自分のご機嫌の取り方を知っているし、自分で自分を幸せにすることが出来る。他者軸に影響されず、孤独なまま幸せに天寿を全うできる。何しろ達人なので。
私は選び取った孤独を突き進もうという覚悟ができたので、ただ孤独を謳歌するだけじゃなくて、達人になりたいんだわ〜〜〜〜〜〜〜
うわ〜〜〜〜どうしよう。めちゃくちゃなりたい。
プロモーターやスイマーとは違う強烈な惹きを感じている。
私がなりたいの孤独の達人だわ。
これまで掲げていたコンセプトや、上滑りしていた迷走中のコンセプトに比べて、ガッチリ私の中の凸凹にハマった感じがします。
多分今まで孤独に振り切る方へ決断が出来なかったから、間違ってないんだけど、何だか的確じゃないコンセプトになっていたんだと思います。
教室であきやさんの前で全てを曝け出せてなかったんだな。
というか丁度糖衣に縋りまくってる時期に受講していたので、今となってはなるべくしてなったコンセプトの変遷な気が。
誰かのために、社会のために、昔の自分のために、というのは全くやりたいことにない私。
孤独であって具体的に何をする、生み出したいとかはなくて、私が私らしく快適に楽しく生きるために孤独の達人でありたいと強く思います。
この根底には「執着されたくない」があるのかと。
私には「唯一性を感じて強く執着されること」に抵抗感があります。平たく言うと「この人じゃなきゃ嫌だ!」ということです。
(自分は恋愛やらで執着してきた側なのにめちゃくちゃ自分勝手な話なんですが、)
過去に好意が下地になった執着によって兄弟と折り合いを悪くし、20年以上雪解けすらしなかったことがあるし、
慕ってくれた後輩に向き合えず、卒業まで一線を引いた付き合いをしてしまったり、
元パートナー達に向けられた好意が有難いことなのに強く抵抗感を覚えて牽制し続けてお別れすることになったりと、
「執着されたくない」が原動力になって行動を起こしたシーンが思い当たりまくりな人間なのです。
そもそも何かを成したり、生み出して公表する人には、必ず不自由が付きまといます。時間・金銭・精神的な余裕が削られるのはもちろん、責任であったり期待であったりと気を配らなければならないものが増えます。
それに加えて結果や成果物そのもの、そしてその先にいる自分に執着されるのなんて、私はまっぴらごめんです。
もちろん仕事や友人・家族との関係で生じる、多少の期待や責任、情にはそんなことを思いませんが、一定のラインを越した時に突然私の抵抗感は武装して現れるのです。
執着された上に自由を失ってまで生み出したいものなんて、私には何一つありません。
超自分勝手に最低限の社会性を示しながら、孤独を哀れまれることなく謳歌し続ける。これが私が人生をかけてやりたいことです。
ここまで「自由を愛する孤独の達人」部分について、自分勝手を表明してきましたが、私は24時間365日孤独でありたい訳ではありません。
好きな人たちとの交流は人一倍求めています。
これは「ドラマティック」の部分に関わってきます。
孤独と交流は相反する概念で、果たして両立するのか、独身が選択肢の中で強く光り始めた頃から疑問に思ってきました。
しかし、これもスナフキンが解決。
スナフキンは春だけムーミン谷にやってきて、大親友のムーミンやその仲間達と交流し、11月になって冬が来ると去っていき、また春になるとやってきます。
孤独な旅人でありながら、人との交流を避けている訳ではなく、その機会にはしっかり相手と向き合うのです。
孤独の達人ことスナフキンがそうなら、孤独と交流は両立するじゃないか!!!!!!!
孤立と孤独は似て非なるもので、私が気にしていたのは「孤立」と「交流」の両立だったことに気が付きます。
(孤独をポリシーに据えられるようになって日が浅く、類似単語の意味合いの区別がハッキリつけられていないので、ちゃんと自分のために今一度整理し直していきたいと思います……)
話を戻して「ドラマティック」についてですが、ドラマは他者との関わりで進行していくことがほとんどです。
作中の登場人物が一人きりでも、回想したり、他者の痕跡を辿ったり、基本的には2人以上の社会の話が展開されるものだと思っています。
(そうでないショートフィルムもあるけど)
私の中にあるドラマティックはそれ自体、他者との交流が前提にある概念なのです。
孤立状態では行き詰まってしまうもの。他者の考えに触れることは良くも悪くも刺激的で、受ける刺激は好きな人たちからもらいたいと思っています。
コンセプトにドラマティックを入れた理由は、そもそも以下のような服が好きだからなのですが、私のなりたい孤独の達人にもう少し社会の匂いを纏わせるなら、ドラマティックが最適だと考えました。
「ドラマティックで自由を愛する孤独の達人」
いいじゃないか。めちゃくちゃ私っぽい。
今までに掲げたコンセプトに比べてしっくりフィット感が全然違う。
スナフキン、ありがとう。
君のお陰で本当の自分に辿り着けた。
そして的確にスナフキンについてリプライをくださった、火辻さん。
本当にありがとうございました🙇♀️改めて感謝を。
自力じゃスナフキンに辿り着くのに、恐らく何年もかかっていた気がします。大変助かりました🙇♀️🙇♀️🙇♀️
※火辻さんの素敵なnoteはこちら↓
「ドラマティックで自由を愛する孤独の達人」はどんな服を着るのか
このコンセプトをファッションに落とし込む上で、重要な観点は3つあると思っています。
①身軽
荷物を少なくしたい。
自由を愛するからには、多い手荷物で不自由になりたくない。
今、Makuakeという新商品の応援購入が出来る、クラファンみたいなサイトを見て回るのにハマってるのは合ってるかもしれない。
財布と鍵とスマホを一つにまとめられたり、スマホと同じサイズの折り畳み傘があったりと、何かと鞄の中身の小型化推進のためにめちゃくちゃ役に立ってもらってる。
あと孤独を求めてフラッと遠くへ行けるように、1週間用キャリーケースに必要なものを30分で全て収めて出ていけるくらいの身軽さが欲しい🧳
そうなると、トップス、ボトムスは、洗濯ネットに入れて洗濯機で洗う以上の繊細さを求められるの難しいな🤔
あとアウターや靴、鞄も数は持てない。
今も多くは無いですが、よりミニマリスト化を進めたい気がします。
②ドラマティック
先ほど引用したようなドラマティックな配色、デザインが好きです。
これは「なりたい」「好き」「似合う」の「好き」「似合う」に該当する部分なのと、これまでのコンセプトでも掲げてきたので、引き続き心のままに突き進みたい。
今のところは2022年のFURLAの広告みたいな服が着たい。
③孤独を楽しんでいると思われたい
これは自分を貫くために武装するイメージに近いです。
仲良くしたい人達と関係は続けていきたいし、仕事を辞めるつもりもなく、社会生活は続けていきたいので、TPOは弁える。
でも、この人に縋るものじゃないなと思われたいし、「この人変わった人だな」「マジョリティの常識に当てはめて話しちゃいけないな」と思ってもらえた方が話が早いので、他人との調和は目指さない。
簡単に言うと「礼節は弁えてるけど、変わった人だな」「この人なりに楽しく生きてるんだな」と思われたいので、ファッションでも出来る限りそう見せたいという話です。
セクマイへの風当たりが少しずつ取り上げられるようになるにつれて、多様性への言及から一人でいたい人にもスポットが当たるようになってきているのを感じています。
でも、そうはいってもマイノリティ。
選択した孤独への理解は、得られないことの方が多いと私自身感じています。あとは余計なおまけ解釈をされて悪いように捉えられてしまうことも。
マジョリティではない生き方をする上で、余計な野次を避けて続けていくにはどうしたら良いか、というのがこの観点の大きな鍵です。
「かしましめし」という漫画で、ゲイの登場人物がカムアウトをする時の心構えを先輩に教えてもらったと言うシーンがあります。
この考えには賛否両論あると思いますが、私は理にかなっていると思ってます。
私が今までに遭遇した、パートナーを持たない生活をするデメリットを挙げ連ねてくる人の多くは、「あなたが不幸にならないために言ってるのよ」のスタンスが大半でした。
しっかりライフプランを持っていることと、それ以上に幸せで楽しそうにしている人間に、このスタンスの人は強く出られ無いはずです。
(それでも強く出てくる人は、それ以前の問題が恐らくあるので離れた方が良い)
つまり「孤独が楽しい人生であると体現すること」は私の生活を守るための武器になるのです。
モードに惹かれる理由は、私がこの戦いを一生し続ける必要があると、潜在的に思っていたからだと思います。
かといって、本質は戦いとは無縁の場所で楽しく生きたい、なので全身モードで固めるような強さはいらない。
あくまで部分使いがポイントかな。
他には、明るい色を取り入れるのが「幸せ」の体現に繋がると思っています。
私の運命のバッグも明るいコバルトブルーで、暗いイメージはありません。
※運命のバッグについてはこちら
このバッグを持たない制服は、黄色と緑の柄シャツで、やっぱり暗いイメージはありません。
無意識にそうした方が良いと思っていたのかも🤔
この点については②とも重複する部分もあるので、然程苦労はしなさそうです。
ということで、今後の購入時の確認ポイントは以下としたいと思います!
身軽か
ドラマティックさ(自分定義)があるか
TPOに合っているか
自分の人生を楽しんでいるように見えるか
本当に心から一致しているコンセプトに出会えると、今まで宙に浮いていた考えに紐がついたみたいに、整頓できて制服構想まで早かったです。
もう迷わない!!!!!!!!!
いけー!!!!!突き進めーー!!!私ー!!!!!!!🏎