1‐3 百パーセントのアメリカ製名探偵Ⅱ ダシール・ハメット『赤い収穫』
ダシール・ハメット『赤い収穫』1929 Red Harvest
ダシール・ハメット Samuel Dashiell Hammett(1894-1961)
ハメットが短編を書き出したのは、ヴァン・ダインより早い。
ハメットは先行して、探偵というヒーローのドラマをアメリカ社会において純化した。彼はニーチェの超人ファンだったからではなく、己れの内奥の苦悶から無名の男を創りだした。
彼の描く初期の探偵像は、彼自身は気づかなかったろうが、ポーの「群衆の人」の尾行者に最もよく似ている。ポーの病的な感覚と気味の悪い観察眼は、ハメットにはない。ハメットの短編では、ストーリーの必要から、尾行は長くつづかず、すぐに「犯罪のエッセンス」が現われる。探偵はいつもその只中に飛びこんでいく。トラブルの中心に身を置く以外に彼の在りようは許されない。
こちらは、便宜的にハードボイルド派と呼ばれたアメリカ独自の型を代表することになる。文章のストイシズム、内面を描くことの拒絶、悪に囲まれた世界に立ち向かうヒロイズム。それらの顕著な性格は、やがてかっちりとした定型となっていく。ルールのために小説を型にはめようとしたヴァン・ダインとは逆に、リアルに努めようとした結果として新しい型を模索した。
対照的な差異は、一つは、戦争の通過の仕方からきている。
ヴアン・ダインはすでに知的成長を終わっていたが、九四年生まれのハメットはいわば戦中派として、無垢に戦争と向き合った。後にロスト・ジェネレーションと呼ばれる、戦争によって深く傷ついた世代、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナー、ドス・パソスらと同年代だ。
ハメットの場合は、ヨーロッパの従軍体験よりも、自国でピンカートン探偵社の調査員〈オプ〉として体験したことが決定的だ。彼はそこで悪と向き合った。アメリカ社会がかかえるオリジナルな罪ともいうべき悪。そこに生まれた者は免れることのできない現実。そのリアルをとりわけ明敏に彼は受感せざるをえなかった。理由はごく簡単だ。彼もその悪の一人だったからだ。ホームズ物語がロマン的に題材化した流血の労働争議を、ハメットは、じっさいにスト破りの一員として体験していたのだろう。
彼が組合潰しを悪だと理解したのは、マルクス主義を受け入れることによってではない。身体で知ったのだ。
アメリカの「正義」がおびる混沌とした闇こそ、作家ハメットを育んだ真の試練だった。『赤い収穫』は、暴力のみによって動かされる社会のメカニズムを暴こうとした挑戦だ。ポイズンヴィルと呼ばれた、鉱山会社が所有する街に、作者は、アメリカ社会の縮図を幻視しようとした。あまりに暗く深い闇。
ハメットのほとんどの作品は、パルプマガジンと称される粗悪な雑誌に載った。『赤い収穫』も連載小説だったが、単行本化を実現させるために作家自らが出版社に売り込みをせねばならなかった。
主人公は暴力が支配する街の勢力均衡を崩そうと画策する。共存していたギャングと警察を互いに噛み合わすために様々の罠を張る。彼の行動は物語のなかでしか真実ではない。作家が加担したリアルな悪は物語の外に在った。現実は彼の手からこぼれ落ちた。ただ暴力を互いに衝突させてそれらを壊滅させるという物語の構造が、一つの強固な原型をつくった。物語のなかで暴力が浄化されるという図式は、以後、数え切れない暴力小説によって反復されていった。
『赤い収穫』は、ハメットの白鳥の歌だった。人はこうした作品を何度も歌えるものではない。二十年代を通じて、彼は、コンティネンタル・オプという男が一人称で語る短編を書き継いでいった。語り手であり、ヒーローでもある男。この名前を持たない男は、犯罪の媒体であり、報告者だった。彼自身が加担した犯罪を暴こうとしたとき、彼はクラッシュした。燃え尽きた。物語は残ったが、それは、真実がそこに僅かしかこめられなかったという理由による。
彼はその後、オプの語る一人称の物語を『デイン家の呪い』1929しか書いていない。
他の翻訳
赤い収穫 砧一郎訳 早川書房HPB 1953
血の収穫 田中西二郎訳 東京創元社 1956
血の収穫 能島武文訳 新潮文庫 1960
血の収穫 河野一郎訳 中公文庫 1977
血の収穫 田中小実昌訳 講談社文庫 1978
赤い収穫 小鷹信光訳 ハヤカワミステリ文庫 1989.9
血の収穫 田口俊樹訳 創元推理文庫 2019.5