1-1 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」
1ー1 偉大なアメリカ探偵の先駆け
ジャック・フットレル「十三号独房の問題」1905(『思考機械』)
The Problem of Cell 13
ジャック・フットレル Jacques Futrelle(1875-1912)
まず二十世紀初めのアメリカを思い浮かべることから始めよう。
この国はまだ世界の一等国ではない。グローバリゼーションの先頭で号令をかけているわけではないし、国際社会の「悪者」に向かって「正義の銃弾」を好き勝手にぶちこむ力を備えているわけでもない。文化的にいっても、後進的な辺境という位置にとどまっていた。
世界を束ねる文化的シンボルを発信することはおろか、自国の文化を誇りをもって輸出するまでも到らなかった。アメリカのなすべきこと〈ビジネス〉はビジネス。文化は期待されていない。
名探偵が難事件を解決するという、ポーの発明になるミステリ形式も、イギリス産のホームズ経由で逆輸入された。あるいは、事態を強引に解釈すれば――。ホームズ物語が人気を博したのはアメリカ式の雑誌連載短編の形だった(先に刊行された長編二編はあまり評判にならなかった)から、「短編の原理」というアメリカの手柄は有効にはたらいた。
ホームズの後継者の多くの探偵たちのうち、フットレルの主人公は、比較的早く登場し、しかも長く名前を残した。
探偵は「思考機械」と仇名される。その本名と科学者としての肩書きを列挙するだけでも、アルファベットの全文字を使いきって足らない。異様に高く張った広い額の大頭。子供のような肉体はその大頭を乗せるには虚弱すぎる。コミック風に誇張された容貌は、論理的推理にのみ生きる存在にふさわしい。
彼が初めて登場する「十三号独房の問題」はシリーズ中で最も有名な短編。天才探偵が脱出不可能な刑務所の独房から一週間の期限を切って脱出してみせる話だ。
この一編を含む第一短編集『思考機械』が刊行された一九〇七年には、イギリスでフリーマン、フランスでルブランとルルーが登場した。記念すべきメモリアルに、アメリカ作家も遅れをとっていなかった。
探偵役のキャラクターは奇人探偵というルールに沿っている。推理機械に徹していて、プラス・アルファがない点はかえって時代を超越する。感情のない機械を思わせる探偵の性格にしろ、不可能犯罪へのこだわりにしろ、奇妙に一回りして現代に通じてくる。(シリーズ全作品は四十五編あるというが、うち三十編は日本語訳されている。) ーーその後、「完全版」(平山雄一訳『思考機械【完全版】』全作50編 作品社 2019.5、7)が出現した。
作者はタイタニック号に乗り合わせていて遭難した。短編六編が作者とともに没したといわれる。生身のフットレルは、思考機械とは違って、脱出不可能な状況から生還できなかったわけだ。