自分のこと、脇山珠美のこと
こんにちは、餅沼ろぼです。
このnoteには過度な自分語り、そして少しだけ気分のよくない話が含まれています。ご了承ください。
本稿は脇山珠美が出てくるのがかなり先になっています。私の話に興味がない方は飛ばし飛ばしでお読みいただければと存じます。
このnoteの目的は、
自分自身を振り返る。
自分と脇山珠美の関係性を考える。
脇山珠美というアイドルを今一度考え、脇山珠美とは一体なんなのか?を考える。
そしてあわよくば、読んでいる方に脇山珠美に触れてもらうことです。
今まであまり考えてこなかった自分の過去も書き記し、その過程で脇山珠美の話をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
(脇山珠美の話だけ見たい方は自分のこと5 それと脇山珠美のとこまですっ飛んでください)
自分のこと1
まず私自身のことをお話ししたいと思います。
自身に直接関係のない部分はある程度端折って書き記しますが、可能な限り時系列で詳細に書きたいと思います。
私が生まれた時、私の母に当たる人物は精神的な病を負っていたらしいです。(”らしい”というのは、当時の話を聞く事が出来る人間が少なく、聞き伝の話だから)
母は病気で育児が出来ず、父親は適当な人間。その結果として私は、父方の祖父母の家に預けられることとなりました。父は育児にはまるで関心がなく、実家のマンションの別号室を借りて暮らしていました。(ただ、それには色々と理由があったみたいです。)
祖父母は私のことを邪険に扱うこともなく決して悪い人間ではなかったのですが、「教育は父と母の仕事」というスタンスを崩さず、衣食住の提供のみで情操教育などは一切なし。結果としてほったらかし状態のまま幼少期を過ごしました。
小1の時に祖父は死に、年を重ねるにつれ同級生や友人たちが置かれている環境との違いを感じながら、それでもそれなりに楽しく生きていた記憶があります。あえて書き記すとするなら、誰かに褒められるということが一切なかったので、承認欲求に飢えていたくらいです。
そんな充実しているとは言わずとも破綻しているとも言えない生活の中、一つの転機が訪れました。
小学五年生の時です。父は会社の転勤を理由に実家のマンションから出ていき、別の場所で一人暮らしを始めました。期間は一年とのこと。
私は父についていくことを許されず、実家で一年間、帰りを待つことになりました。
しかし、一年経っても父は帰って来ず。
二年経っても、父は帰ってきませんでした。
自分のこと2
思春期を迎えた中学一年生の冬。
顔も名前も知らなかった母が事故で死んだという報せが入ってきました。
ようやく帰省してきた父に訳も分からず葬式に連れていかれ、そこでは黒い服を着た人たちに口をそろえて「かわいそう」「かわいそうに」と言われたのを今でも覚えています。
事態は呑み込めていませんでしたが、この時点で父に対するフラストレーションは溜まり切っており、私はすでに爆発寸前でした。帰路で、母となぜ離婚をしたのか、なぜ自分がこういった状況に置かれているのかを初めて聞き、助手席からシフトレバーを弄り倒せばこの人間を殺せるのかな、などと頭に巡らせていました。血の気が多いね。
とはいえ、綱渡りのようなギリギリのバランスで精神は保てていました。
実の母とはいえ、初めて顔を見たのが葬式の遺影。名前を知ったのも棺を見てようやくといった程度の間柄なので、身近な人間が死んだという認識はなかったわけですね。だからあまりストレスが溜まらなかったのかもしれません。流石に学校側が配慮してくれて、忌引きによる休暇は頂きましたが。
そして次の春休み中、父が新しく伴侶を見つけていることが判明しました。
実母の死の時点ですでに子供も生まれていたようです。腹違いの弟だ。やったぜ。
父は育児の様子を楽しげに話していました。前の母の死を期に籍を入れて再婚するらしいです。
この時、人間は限界を迎えると数刻ほど大笑いをすることを知りました。
もうすぐ二人目も生まれるという話を聞きながら、私はただただ笑い続けました。
思えばこの時点で何らかの精神疾患を抱えていたのかもしれません。不眠症、逆流性食道炎、過敏性腸症候群など典型的なストレス性症状に加え、食欲不振や蕁麻疹など様々な症状が出ていました。
ただ当時の自分には「病院に行く」という発想がなく、身体的な不調も全て風邪や単なる病気だと思い込んでいました。
要は精神疾患という概念がなかったんですね。
本来であれば親が子供の異常を見て病院に連れて行くのかもしれませんが、祖母は放任、父は別居でそういう面倒見は一切ありませんでした。二度とあの頃には戻りたくないですね。
そんな中でも父は二人の幼子を連れて帰省をしたり、あまつさえ二人の弟を私に触れさせようとしたり、ストレスの話題は尽きませんでした。
別居している癖に私の生活スタイルに文句を付けてきたり、とにかく何かがあるたび私は発狂寸前で、掃除がどうとか、モノが散らかっているとか、勉強や成績の話とか。
おそらく親が何もしなくても、子供は成長するものだと思っていたのでしょう。
父への憎悪、周囲への怒り、それらが全てどうにもならないという厭世観。元々殆どない自尊心は日に日に削れていき、周囲に”気付き”を求めて自傷行為に励み、悪目立ちをしてでも承認欲求を満たそうとするなど、全てが悪い方向へと進んでいたと思います。
あまりにも歪な人格形成を経て、私の思春期は終わりを告げました。
自分のこと3
それでも父への憎悪と周囲を見返すという気持ちだけを頼りに、不登校にならないギリギリの出席日数でなんとか中学を卒業しました。
そして父の一家に絶縁を叩きつけ、一人暮らしをしながら学費を賄う計画を立て、実行に移しました。
絶縁を申し出たときは心臓がはち切れそうなほど興奮しており、ほとんど記憶がありません。ひたすら縁を切る云々の話をまくし立てて、相手が反論する前に逃げた感じだったと思います。今思い返してみればかなりキマッてますね。
ですが所詮は学のない一介の中学生が考えた一人暮らし計画です。
それは計画とすら呼べない稚拙なものでした。
ここから先は詳細な身バレを防ぐためボカした表現が多くなります。ご了承を。
中学時代はほぼ不登校、かつ授業もまともに受けていなかったため、評定がほぼオール1(これは流石に自業自得ですが)。
そんなザマで通える公立高校はほぼないに等しく、あったとしても近隣では評判の不良校のみ。
そんな中で決断を迫られ、私は仕方なく私立高校を選びました。
これはもう、完全にバカですね。
思えばここがターニングポイントだったのかもしれません。素直に通信高校や定時制高校を選んでいれば、後に起こる問題は回避できたかもしれないので。
選んだ学校はともかく、その周辺の地域にも問題があります。
周辺地域は比較的平均家賃が高く、高校生が一人暮らしをするにはいささか厳しい物件ばかり。
とはいえ、一部学費免除に加えて返済不要で給付される奨学金もあります。
入学金と敷金・礼金さえなんとか支度出来れば、金銭的な都合をつけるのは不可能な範囲ではなかったのです。
勿論そのまま中卒フリーターとして生活するというプランもあったのですが、父を見返し周囲に自身を誇示するという目的のためには、自分の力で高校を卒業するという目標が必要でした。
今考えてみれば、動機が完全に他者依存だったんですね。なりたいモノ、やりたいことがあったわけではなかったということでしょう。
様々な紆余曲折を経て、入学金と敷金・礼金の問題は祖母に頼み込み卒業後に返済をするという約束のもとなんとかクリアしました。
さぁ、輝く新生活の始まりです。
当然破綻しました。ここは笑うところだと思います。笑ってください。
周囲の人間が放課後に遊びや部活に熱中する中、バイトを掛け持ちしてひたすら金を稼ぐ毎日。
勿論自宅で勉強をする時間はなく、そもそも中学時代の授業内容をまともに履修していないため成績も下の上が関の山。
そんな中一教科でも補修になればバイトに行く時間が無くなり、バイトに行く時間が無くなれば金が稼げなくなり、金が稼げなくなれば家賃が払えなくなるという最悪の循環。
毎月ぎりぎりで貯金を生み出せるか否かという金銭的な不安。
食生活の知識もなくひたすら安売りのカップラーメンを食べる日々。
選んだバイトもコンビニバイトというストレスを溜めるのに持って来いの職種。
他にもいろいろありましたが、なんというか、半分くらいは自業自得な話で、今考えても悪手ばかりです。ただただ考えが甘過ぎました。
そんな生活を続ける中、奇しくも中学の時と同じ一年生の冬のこと。
「病院」に行くという発想を身に着けた私は診察で見事に「うつ病」と診断され、その後薬の力で少しだけ粘るも、結局学校を自主退学しました。
私の新生活は一年余りで終わってしまったのです。
「出来ないことをやろうとしてもロクなことにならない」と、私の中の辞書に書き加えました。
自分のこと4
そろそろ脇山珠美の話をしたいのですが、なかなかできませんね。
そんなこんなで祖母の実家に戻った私は、通院を続けながら実家で療養することになりました。自主退学した場合奨学金や給付金はどうなるのか?といった問題は残っていたのですが、冒頭の注釈通り直接関係ない事はここでは語りません。すみません。
祖母は貸した金の返済の督促をすることもなく、そして私自身もカウンセリングが上手くいったのか思っていたより早く精神が上向きになり、半年経たずにフリーターとして生活できることになりました。担当のカウンセリングのお姉さんがとても可愛くて、それを目当てに毎回通っていたからだと思います。既婚者だったのを知ったのは最後のカウンセリングでした。あまり関係ない話でしたね。すみません。
さて、この頃の私は意外にも元気でした。
ただ、自分の人生を完全に諦めていた節があり、なにをするにも「自分には無理だ」「最後まで出来るはずがない」「また失敗する」とマイナスなことばかり考えていた記憶があります。極端なネガティブ思考で、高校進学時の時のような野心めいた願望を、一欠片ですら持てなくなっていました。
とはいえストレスの種は祖母への返済ぐらい、しかも祖母はゆっくりと返してくれればいいとのこと。こうなったら死ぬまで実家に噛り付いて、楽して、難しいことを考えずに生きてやろうとすら考えていましたね。ここは普通にダメ人間ポイントです。
学業と過度なバイトスケジュールから解放されて自分の自由時間も増え、初めてネット上でのコミュニケーションにも触れました。
顔を見せない交友関係では「高校中退の実家住みフリーター」という肩書を気にせず誰かと触れ合うことができるため、その環境は私にとって非常にありがたかったです。
そんな中で、友人がデレマスというコンテンツを教えてくれました。
脇山珠美に触れたのはその時だったと記憶しています。
自分のこと5,それと脇山珠美のこと
脇山珠美について。
なんというか、悲壮感を感じさせなくて、かわいげがあって元気な、前向きな努力の仕方をする、自分とは真逆な生き方をしてきた子なんだろうな。というのが第一印象でした。
ただ”高校一年生”という立場がどうしても引っかかってしまい、あまり詳しく触れようとはしなかったですね。当時の自分にとって「高校生」という言葉は地雷に近く、その単語を聞くだけで小一時間落ち込むほどです。情けないぜ。助けてくれ。
しかし当時は「桜の頃」イベントの真っただ中。
始めたばかりで無償石が欲しかった自分は、イベントコミュを読み進めることにしました。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30802619 (27:10秒くらいから)
コミュ4で、本格的に脇山珠美が出てきます。
あらすじはこんな感じです。
脇山珠美と浜口あやめが勝負をすることに。脇山珠美は年下であるあやめにどの勝負でも悉くかなわず、それでもあきらめないで食らいついていく。理由は勝ちたいから。
努力を認められるのではなく、勝ちたい。つまり結果が欲しい。
という、脇山珠美の思想が垣間見れるコミュですね。(なぜそんな思想になったかはいつか自論を用いつつ解説したいと思います)
まぁなんというか、気に入りませんでした。気に食わない、といった方が適切かもしれません。
それなりの人生経験をしていた”つもり”になっていた自分は、「出来ないことは無理してやるべきじゃない。この子は無駄な努力をして、これからも自分の時間を消費していくのだろう」とひたすら斜に構えていました。恵まれた人間にだけ許される考え方じゃないか、とも思っていましたね。
当時の自分は、自業自得でしかない部分も含めて自分の人生を踏んだり蹴ったりの不幸続きだと思い込み、その不幸を他人の生き方に照らし合わせ品定めすることでかろうじて自尊心を保っていました。情けないぜ。本当に。
とはいえ実際のところは、気に食わないというよりもただただ悔しかったんだと思います。
いや、ハッキリと書くべきですね。こういうところで歪んだプライドが顔を覗くのはよくない癖だと思います。直したいぜ。助けてくれ。
では気を取り直して、
「私は悔しかったです。脇山珠美の生き方を羨ましく思いました。」
ようやく言えた気がします。誇らしいぜ。褒めてくれ。
やりたいこともなく燻るだけの自分。
失敗を恐れて何の行動も起こさない自分。
境遇を武器に他人を見下す自分。
そんな自分には、脇山珠美の生き方は輝きすぎていたんですね。
失敗してもくじけない。ひたすら結果を求めて努力する。そんな当たり前のような努力を完ぺきにこなす人間。
努力を当たり前と思えない人間には、直視できなかったんです。
ちょっと話は変わりますが、別に脇山珠美は諦めの悪さで全てを解決できるほど強い女性ではありません。
おそらくこちらのコミュを見て頂ければわかると思います。(ついでにちょっとアホなのも分かると思う)
周りの助けがなければ、その諦めの悪さも生かしきれない。危うい存在なんですね。まっこと愛い奴です。
脇山珠美のこと2
ここから本格的に脇山珠美の話が多くなります。お疲れの方はご休憩を。大丈夫な方はよろしければお付き合いください。
そして今から記す言葉は少し厳しくなるかもしれません。でもハッキリと、正直に書きたいと思います。
まず、脇山珠美は明らかに持たざる者の立場の人間です。才能あふれる勇士ではありません。
でもそれだけならきっと、200人余りのアイドルたちの中にもいると思います。
ただ、私の見解では、才能とは「土俵に上がる力」だと思っています。
勝負の場に立つ力。それこそが才能であり、
土俵の上で勝利する力が才能ではない。
・・・・・・というのが持論なわけですね。こうなると少し話が変わると思います。
さて、脇山珠美の情報を少しおさらいしてみましょう。
そもそも脇山珠美は剣道を嗜んでおり、夢は「剣の道を極めること」「誰かを守れる強い人」になること。他にも色々夢と受け取れるものはありますが、大方こんなところです。後者は見方によってはすでに叶っていたりするのですが……。問題は前者です。
そもそも脇山珠美は高校生に至っても初段が取れていません。
毎日のように朝練をこなし、部活をこなし、熱心に自主練習をこなす。しかし夢へと中々近づけない。
主な要因として本人は背丈を挙げていますが、実際スポーツにおける背丈は才覚と直結するところがありますし、納得できる理由ではありますね。
くわえて、夢と呼ぶには大げさかもしれませんが、彼女は大人らしく見られたいと常日頃から口にしています。かわいいね。
ここであえて特定の人物の名前を出します。桐生つかささんです。彼女は努力の人として知られていますね。
「天才じゃねぇから、あがくんだよ」といった言葉にみられる通り、彼女は常日頃からインプットとアウトプットを繰り返し、トライアンドエラーを重ね、成果を出しています。尊敬できるお方です。
社長業、アイドル、JKと見事な三刀流もこなしていますね。流石だぜ。背中の傷は剣士の恥で有名な人もニッコリです。
これで恐らく私が言わんとしていることはなんとなく分かるかもしれません。
二人に土俵の上で勝利する力がなかったのは事実だと思います。
ただ、という話です。
ここから先は、二人の努力を侮辱することにつながるので明言はしません。
(遅まきながら桐生つかささん、ボイスオーディション3位、誠におめでとうございます。)
脇山珠美のこと3,それと自分のこと6
さて、先ほどの話の通り脇山珠美にはそういった力があまりない事が考えられます。
更に付け加えるなら、彼女には別の分野の才能があるんですね。
これはアイドルもその1つと言えます。
「かわいい」と言われるくらい愛らしい風貌をしているのですから、その才能をフルに活かすことも可能です。勿論相応の努力は必要になりますが。
しかし彼女はアイドルとなった後も、カッコよさや大人らしさを出そうと努力しています。これまた難儀な性質をしていますね。
しかも彼女はアイドルという大きな夢を新たに抱えながらも、剣道という夢を諦めることはありませんでした。二刀流剣士の誕生だ。
もともと部活や習い事をしていた、というアイドルは少なくありません。
アイドル活動に専念するために、今まで専念していた習い事を辞める決意をした子もいます。
しかし脇山珠美は無謀にも二刀流をこなしてみせると言ってのけました。自分の実力は自分が一番よく分かっているはずなのに。
剣道の才能がないのに剣道を諦めない。かわいいと褒められてもそこで妥協せず、カッコよくなることを諦めない。成すと決めたことは他のことにすり替えたりしない。
恐らく当時の自分に言わせれば、そんなところがひたすら気に食わなかったのでしょうね。やりたいと思ったことをただやる。どこまでも真っすぐで、どこか危うくて。
気に食わないという大きな感情に隠された淡い羨望の念に、当時の自分は気が付けませんでした。
自分のこと7,それと脇山珠美のこと4
そろそろ佳境かもしれません。
なんやかんやで嫌い嫌いと言いながら脇山珠美に触れ続けた自分は、少しずつ感化されていくようになります。(依然ひねくれてそれを認めようとはしませんでしたが)
そして一つやりたいことができました。
単純な話、もう一度学校に通いたくなったのです。
勉強したい。色々な知識を身に着けたい。今度は素直に、自分のやりたいことを成すために学校に通いたい。
前は親や周囲への当てつけとして学校に通っていたのですから、随分な進歩です。そしてポジティブな衝動というのは強力で、すぐに家を出て住居を決め、通信制高校に入学しました。
その後が今の自分に繋がります。
最後は相当端折りましたが、大体こんな感じです。本当に疲れた。こんな量になるとは思っていなかった。
勿論入学してからのことを語ろうと思えば沢山のことを語れるのですが、今はこれくらいにしておこうと思います。
とりあえずは明るい話で締めようと思います。
相当な紆余曲折を経て父とは口を聞くくらいの関係性にはなったこと。
義母ともギスギスしておらず普通の関係であること。(流石に母の日にプレゼントを贈ったりはまだ出来ませんが)
そして歳の差のある弟二人にはかなりなつかれていて、これまた関係良好であること。
ハッピーエンドですね。
依然として私は一人暮らしですが、まぁこれはこれでいいものだと思っています。
とにかく、脇山珠美にもう一度やる気の火を灯され、もう一度高校生になった。この事実が重要なんです。
脇山珠美のこと5
最後は脇山珠美のことを話して終わりたいと思います。
そもそもなぜ脇山珠美が剣道だけでなくアイドルの道も歩もうと決意したのか?
少し長いですがこちらをご覧ください。
たまたまつけたドラマに強い女剣士が映っていて……。小さくて細い体で敵を切り伏せていったんです!
強気を挫き、弱きを助ける!それがものすごく、格好よかったんです!
誰かを守れる強い人って格好いい……
珠美もそんなふうに強くなりたいと思いました。
その剣士は、アイドルが演じていると知ったのは後の話です。
脇山珠美と申します。
可憐で強い女性になるべくアイドルになろうと決意しました!
大体こんな感じです。(投げやり)
ただこれは、あくまでもアイドルになろうとする動機の側面が強いです。
では脇山珠美は、アイドルとしての活動を続ける中で、一体どんな夢を見つけたのか?
こちらをどうぞ。
珠美はちびだから、うまくいかなくて……。
もっと足が長くてスタイルがよければ……
……すみません、プロデューサー殿。珠美より小さい子だっていて、みんな頑張ってるのに。ちびだから、弱気な言い訳して……珠美、格好悪いです。潔く……ありませんね。
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「こうありたい」と願い、努力する人々がいる。
珠美は弱くとも彼らの珠美でありたいのです。
人を守るだけでなく、人の夢を守る者でありたい。
珠美は剣士であるだけでなく、アイドル剣士なのですから!
いい言葉だと思います。
自分と同じように才能に悩む人間の希望でありたい。
自分の夢や成したいことを大事にしてほしい。
自分がやりたいと思ったことをやってほしい。
そんな思いを感じられる言葉です。
これらを鑑みるに、おそらく脇山珠美は、自身が持たざるものであることを既に自覚しているのでしょう。自身の才能の有無に悩み、それでも剣道とアイドルの2つを極めると決めた脇山珠美だからこそ出てくる言葉だと、私は思います。
正直、脇山珠美は限りなく子供らしい人間です。本来ならアイドルに専念して部活はやめるというのが最適解のようにも見えます。
でもそうはならない。
「可憐で強い女性」「誰かを守れる強い人」「人の夢を守る者」
語る言葉も大げさ極まりないと言わざるを得ないのかもしれません。
ですが、そういう子供らしさを忘れた人間から、人は大人になっていくんだと思います。
やりたい事ではなく、得意なことを自分のやりたい事だと錯覚させて生きる。
やりたい事があっても言葉巧みに自身を騙し、出来ない理由ややるべきではない理由をでっちあげる。
やりたい事から全力で目をそらす。
正直これらは悪い事ではないと思います。
大人になるためには、生きていくためには絶対に必要なことです。
実際私もやりたい事から全力で目をそらしていました。
ただ、
脇山珠美はそんな”大人”にもう一度火を灯す力があること。
夢を諦めてしまった大人が、諦めた自分の夢を託すことのできる人間であること。
そして、
これからなにかを成したい人間の希望であること。
色んな人間の夢を背負って、それでも折れず曲がらずひび割れない。
まさしく器の”大きな”人間。それが脇山珠美だと思います。
最後に
結局私が何を言いたかったのか。
それは、つまり、今まで自分のひねくれが邪魔していたことで、口に出すことも文字に残すこともなかなかできなかったことを言うためです。
だから言います。書きます。
俺は脇山珠美が好きだ!!!!!!
かっこいいと思っている!!!!!!!!!!
なんだかこの言葉をだすのにえらく時間がかかってしまったように思える。こんなに簡単に吐き出せるならもっと早く出すべきだったのかもしれない。でも、そもそも、脇山珠美がいなければこの言葉を吐き出すことはなかったわけで、ジレンマみたいな話なのかもしれない。
ここまで読んでくれた人、ありがとうございます。本当に、心から。