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旅エッセイ【箸と猫】
「日本人だもんね。箸もあるよ」
そう言って差し出される箸は、長くて、太くて。つかんだ麺はするりと滑り落ちてそのままピチャンという音が続く。
「日本人なのに箸が使えないの?」
そんなふうに笑われるもんだから、意地になって。頑張って箸を使い続けてみたけれどやっぱり上手くはいかなくて、日本で箸を使ってご飯を食べる外国人にシンパシーを感じてみたり。
でも大抵のお店にはフォークとスプーンしか置いてないので、いつもはそのふたつを使ってご飯を食べる。麺ものの時はフォークが右手でスプーンは左手。ご飯ものを食べる時は逆。スプーンをナイフのように使ってフライドチキンを切る。骨を取り除く。フォークの背中を使ってご飯とおかずをスプーンに乗せる。
我ながらスプーンとフォークでの食事が上手くなったものだと思う。心の中で自画自賛をしながら得意げに食べ進めていく。カレーソースのかかったご飯と、野菜と、切ったフライドチキンをカラカラと混ぜていっぺんに口に含む。日本ではあんまりしない食べ方だけど、私は今は日本じゃないから。
食べることが大好きなこの国には、24時間営業のご飯屋さんが至る所にある。夜暗くなってから、やっと涼しくなってきたかと人々が集う。
砂糖とミルクがたっぷりの紅茶やコーヒーを片手に、楽しげにお喋りを続けている。この人たちは会話が止まるなんてことは想像もできないんだろうな。
楽しげな声をBGMに、私はというと1人でゆるりゆるりと、ココナッツの香りが漂うスープの中の麺と、箸と、格闘していた。掴んだと思ったらスルッ、ピチャン。ならばと少しだけ力を強くする。鮮やかに麺が切れて、ピチャン。白いTシャツがカラフルになっていく。暗い時間で助かった。
ストンッと机の下から小さな白猫が机上に現れた。じっと私の皿の中を見つめる。
こいつ、私が食べるのが下手なのを分かってやがるな……。微動だにしないその猫と、猫をただじっと見つめ返す私を見て、近くのテーブルの男性が笑う。
「どこから来たの?日本人?」
「そう、日本」
「ああ、やっぱり」
そう笑いながら、サッと猫を追い払ってくれた。
まだまだ、私はとっても日本人であるらしい。
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