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刀ミュで心が壊れヒロアカで救われた話

「僕のヒーローアカデミア」
最終巻を読んだ。

その結果、どうしようもないかに思われた、自分の強いコンプレックスが少しだけましになった話だ。当然のようにヒロアカ最終巻のネタバレを含むため注意。

まず自分の話をする。
自分には強烈な美青年への憧れが、幼い頃からある。

元から性別違和はあった。学生時代に男女で分けられることや女子更衣室やスカートの制服が、耐えがたく苦痛で息もできないほどだった。

男性の肉体になりたい、という願望。
そこに、劣等感から来る、自分には生きる価値がないというありふれた感覚が加わった。
人から好まれる容姿、つまり美青年であれば、生きる価値があるのではないか?と思った。
散々容姿をからかわれいじめられた反動もある。

美青年でありさえすれば人生はもうすこしうまく行く、というか美青年にならなければ人生は始まらない。
そんな思い込みを抱くようになる。

この「美しさ=存在価値」という思い込みが一つのキーワードになっているので、覚えていてほしい。

とはいえあまりにもハードルが高すぎた。
肉体女性で容姿に恵まれず150cmもない小太りの体躯は、美青年から世界で最も遠かった。
化粧やファッションに力を入れたところで、美青年にはなれなかった。
だから自分はその願望を封印し、生きていくことにした。

最近、その封印を暴き、自分を壊してしまうことがあった。
刀剣乱舞ミュージカル、通称「刀ミュ」だ。
SNSのフォロワーから勧められて観てみたのだが、感動した。
容姿が良い青年たちが全力で歌い踊り、キャラクターを2.5次元に具現化している。
その美しさに魅入られたと同時に、突然激しい精神的な苦痛に襲われた。

美青年になりたい。僕も。
その願望が激しく胸を焼き、現実の、美しくもなければ男でもない体に苦痛を覚え、何も手につかなくなった。死ぬことを考えた。

美青年でない自分は生きていてはいけない。
何をしていてもその感覚が消えなくなってしまった。
人前に姿を見せたくなくなった。

必死に気分転換をしても、考えを変えようとしてみても駄目だった。
20年ばかり抱え込んだコンプレックスはなかなか消せるものじゃない。
くだらないと思うだろうか。
でも、内面化したルッキズムの厄介さなら、あなたも知っているんじゃないだろうか。

そんな折、「僕のヒーローアカデミア」の最終巻を読んだ。
ヒロアカは最初から徹底して、「どんな人でも他人を思いやる心があればヒーローになれる」というメッセージを打ち出し続けている。
ここでいうヒーローは職業のことではなくて、人に手を差し伸べること、救おうとする気持ちそのものを指している。

その究極が、作者が「真の最終回」と呼ぶそのシーンに現れている。
それは、過去に苦しむ志村転弧を無視してしまったお婆さんが、時を経て別の似た境遇にある子供に「私が来た」と手を差し伸べるというものだった。
非力なお婆さんの手が、それでも何かをしたいという思いで伸ばされたとき、彼女もまたヒーローなのだ。

そしてまた、主人公のデクもまた、戦いの中で個性を失うことになる。
彼が個性を持っていたのは、人生でほとんど一、二年だけのことになる。
それでも彼は、人に手を伸ばしてしまう。咄嗟に体が動いてしまう。
だから彼は最高のヒーローであり続ける、というお話。

ここで自分は一つの天啓を得る。
ここから突拍子もないかも。
ヒロアカ世界で異能力=個性は「特別であること」のメタファーだ。
あの世界では誰もが特別で、だからこそ特別でない主人公がヒーローになるまでを描いている。

そして、前述したように、自分が思う美青年の美とは「特別な存在価値」のメタファーでもある。
この二つは似ているのではないか?と結びつけたわけだ。
美はヒロアカの個性のように、誰もが持っているわけではないけれど。

誰もが心の持ちようでヒーローになれるとヒロアカは説いた。
なら、心の持ちようで美青年になることもできるのではないか?

思えば刀ミュに感動したのも、登場人物がただ美しいからだけではない。それだけならあんなに真に迫った舞台にはならない。
容姿がいい、キャラクターに似ているという資質に加えて、喋り方や歌や殺陣など、彼らが全力で原作を再現するために努力しているのが伝わってくる、そこに美を感じたのではなかったか。

容姿のいい男になることは難しい。それは仕方がない。
ただ、美青年を美青年たらしめる「美」は、行いや心の持ちようで再現できるのではないか。

ならば、自分も美青年になれるのではないか?

ここまでが自分の、愚かなこじつけと妄想だ。
でも、自分にとっては希望だった。
この希望を絶やさないように胸に抱いていきたいと思う。

美しくなるために具体的にどんな心でいればいいのかはわからない。
心の美しさを目指そうとすることは、自分の心を縛る可能性もある。
ただ今は、好きなことを楽しみ、できるだけ自由であり、自分を許したいと思っている。ヒーローのように人に手を差し伸べられるかはわからないけれど。

自分は容姿が悪いから、自分の物語ですら主人公にはなれず、誰かの物語のモブなのだと思っていた。
その残酷なルッキズムとこじらせたコンプレックスを、いつかデトロイトスマッシュできますように。

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六彦
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