比水流とカント

私は、『K RETURN OF KINGS』に登場する緑の王・比水流というキャラクターがとても好きです。
その理由を考えていた際に、ドイツの哲学者カントの思想に似ていると感じたので少しまとめてみたいと思います。

アニメ『K』『K RETURN OF KINGS』、
映画『劇場版 K MISSING KINGS』『K SEVEN STORIES』のネタバレを含みます。

1実践理性

「自分の王は自分だけであるのだ」
(『K SEVEN STORIES』Episode3より)
比水流の自律を重んじる姿勢はカントの道徳論を想起させます。

カントは、実践理性という自分だけで意思決定できる能力で、普遍的立法となるように行動することを主張します。
誰かのために人助けをするのではなく(これは他人の影響を受けて決定している)、ただ人助けをする(自分だけで決定する)という能力が実践理性です。
そしてその格律の内容が自分だけでなく、他人にも適用されるような普遍的なものとなるように行動するのが道徳的だという主張です。
しかし普遍的なものであるかの判断を行うのが個人であるため、ここで指す道徳が現代の一般常識とされる道徳と異なっていたとしても問題はありません。

比水流はドレスデン石盤を求めますが、その理由を問う伊佐那社にこう答えます。
「人類の進化を促進させる。それだけです」
(『K RETURN OF KINGS』#05より)
伊佐那社はこの答えに納得いかず、さらに理由を尋ねますが比水流の答えは変わりません。
この、ただ行動するという比水流の姿勢は実践理性に基づいていると考えられます。
人類の進化を促進させるという夢に伊佐那社が同意してくれるだろうと考えている点から、比水流が「人類の進化を促進させる」という格律を道徳法則であると考えている可能性はあると思います。
しかし伊佐那社とのみ同盟を結ぼうとした点から、他の二王(櫛名アンナ、宗像礼司)には同意されないと考えていたとも推測でき、比水流の道徳観ははっきりとはしません。

また、目的付けに価値を見出していないセリフは他にも見つかります。
「力そのものに意味などありません。力を持つ者それぞれがそこに意味を与えるのです」(『K RETURN OF KINGS』#07より)

2目的の国

「今まで無力であった民衆が異能の力を得たとき、既存の秩序は覆され、新しい世界が生まれます。自らの運命を自ら切り開くことのできる世界です」
(『K RETURN OF KINGS』#05より)
このセリフから分かるように、比水流の理想はカントの理想とした目的の国に近いものがあります。

カントの唱える目的の国の構成員は、自律という積極的自由の主体である理性的存在者であり、その存在自体が絶対的価値を持つ者として尊重しあう社会のことです。
つまり、自分で自分の行動を決める者には絶対的な存在価値が生じ、彼らが互いに尊重しあう社会が理想的であるということです。

比水流の理想は、ドレスデン石盤を解放し誰でも王になれる可能性を開くことです。
比水流は誰もが王になれる、ではなく王になれる「可能性」がある、と言います。
カントと異なるのは、全員が王になれる世界を理想とはしていない点です。
そのためカントの目的の国が永久平和を語っていくのに対し、比水流は弱肉強食の社会であることを否定しません。

しかし、人間の可能性を信じる理想主義的な一面が見えるセリフもあります。

「なぜです。あなたは人を信じないのですか。だとすれば失望です。幻滅です。かつてのあなたは人の可能性を信じていたというのに」
(『K RETURN OF KINGS』#13より)

3批判哲学


「俺達はお仕着せの人間らしさなどにとらわれずに自分自身を再定義します。その精神の
自由な在り方こそが、人間のもつ可能性です」
(『K RETURN OF KINGS』#07より)
比水流はカント哲学の基本的な考え方である批判哲学の立場を取ります。

カント哲学における批判とは、従来の形而上学の独断や経験論からの懐疑を離れて、純粋に吟味することを指します。
今までは世界があってそれを人間が認識すると考えられてきましたが、人間の認識によって世界が存在すると発想を転換しています。(コペルニクス的転回)

比水流はストレインであるネコ(雨乃雅日)を同胞とみなしますが、白銀の王・伊佐那社や青の王・宗像礼司は含まれません。
行動を共にしている灰色の王・磐舟天鶏も、迦具土事件をきっかけに能力を得たわけではなく、同胞とみなしているのかは分かりません。
カントは批判哲学によって発想を逆転させましたが、比水流は批判哲学であることに価値を見出しました。

比水流のセリフは続きます。
「そして今、その理想に最も近い俺が石盤を受け取りに来たのです」
(『K RETURN OF KINGS』#07より)
ここで、それまで同胞としていたネコとも距離を取ります。
これは想像ですが、比水流は迦具土事件以降も自己の再定義を行っていたのではないかと考えられます。(黄金の王・大覚國常路に敗北したときなど)
定義し直すことで新たな可能性が得られるのであれば、再定義する回数が多いほど可能性は多くなるからです。

まとめ


結論ですが、比水流はカントの思想に似ているところはありますが、独自の考え方を持っていると思います。

美しい生き方をした、美しいいきものが満足していることを祈っています。
「残念です。でも、満足です」
(『K RETURN OF KINGS』#13より)

参考文献
・『用語集 倫理、政治・経済』 (渡部哲治、株式会社 清水書院、2014/9/10)

いいなと思ったら応援しよう!