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伊藤宏樹のライバルは誰だったのか。

 今回の検証は表面的な部分にしか触れないので、当時のエピソードとか知っている方は是非とも教えて欲しいです。
 また「伊藤宏樹のライバルは誰だったのか」と問いを立てたものの、結果的に「伊藤宏樹をライバル視していたのは誰か」という話になってしまったことを、あらかじめお伝えしておきます。

はじめに

 近年川崎フロンターレの広報活動は活発で、中の人が過労死するのではと勝手に思ってますが、公式youtubeの方で先日から「真面目に川崎フロンターレの未来を考える」という企画が始まりました。強化部所属の伊藤宏樹がフロントの考えを語っていて、普段見えない部分が見える面白い試みです。
 その中で「宮代だけでなく同年代の選手が必要、刺激を受けてもらいたい」という旨の発言が興味深かったので、取り上げてみました。

仮説:伊藤宏樹には同年代のライバルがいた

 ここで考えたいのは、伊藤宏樹の「同年代にライバルが必要」という認識は本人の経験からきているのではないかという仮説です。
 そもそもなぜ気になったのか。一つはクラブが何を成功、何を失敗と考えているのかを探れるからです。選手育成に何が必要だと考えているのかという根拠が今回の発言の場合は経験からきているように思います。つまりその背景には自分たちの歴史を振り返った形跡があり、フロントが自分たちの軌跡をどう捉えているのかが見えてくるはずです。
 もう一つは個人的な経験から同期の必要性を感じています。部活や研究室などではどうしても凄い先輩方がいるのでそっちを意識しますが、自分から刺激を与えることは少なく、そのため自分を相対化することが難しいです。そんな時にスタートから一緒に頑張って理解しあっている存在というのは大きく、進むための原動力にも立ち返る原点にもなり得ます。そうしたことから同期と切磋琢磨するというのは、成長のために必要な要素だと私自身も感じているので、今回の伊藤さんの発言に関心をもちました。
 伊藤は2001年に立命館大学からクラブに加入し、その後2013年まで川崎一筋でプレーし続けた選手です。2005年からキャプテンに就任、2007年からゲームキャプテンは中村憲剛に譲るも、2013年の引退までチームのキャプテン。歴代チーム在籍数では17年の中村に次ぐ13年で、J2転落のチームを知る男です。

検証してみた

 さて検証に入りますが、まずは同期入団をチェックしましょう。2001年入団の選手はなんと16人、おそらくJ2転落の影響でしょう。

GK吉原慎也
DF伊藤宏樹、小島徹、飯島寿久、神崎亮佑
MF浅野哲也、ダニエル、エジミウソン、アイルトン、玉置晴一、渡辺匠、林晃平
FW黒津勝、阿部良則、盛田剛平、エメルソン

 このうち新卒で加入したのが神崎、玉置、渡辺、黒津そして伊藤でした。伊藤が唯一の大卒で他はすべて高卒です。入団時点で伊藤は中途半端な位置にいたことがわかります。J2転落のチームに来た多くのプロ選手とまだ18歳でこれからを期待される高卒選手、そしておそらく即戦力として期待されているけどまだ一年目の自分。そのような葛藤があったかもしれません。とはいえ一年目から開幕戦スタメン獲得、年間43試合に出場という十二分のデビューを果たしました。
 さて以上4選手の同期から刺激を受けていたかはもちろんわかりません。プレー面でいえば川崎山脈のメンバーである箕輪と寺田から受けた刺激の方が大きそうです。
 ただ可能性として黒津の存在は考えられそうです。というのも神崎は4年、玉置は3年、渡辺は5年在籍の一方で、黒津は伊藤引退前年の2012年まで川崎でプレーしており、伊藤のプロ生活のほとんどを共にしています。大卒高卒という違いはあれど、練習中にマッチアップすることもあり、互いに刺激しあっていた可能性はあります。

 次に同い年の選手を見てみます。伊藤宏樹は1978年7月27日生まれですが、川崎に在籍した選手で1978年生まれは以下の8選手です。

GK吉原慎也
DF伊藤宏樹、佐原秀樹、中谷勇介、岡山一成
MFティンガ、林晃平、ツゥット

 ここでまず注目なのはGK吉原で、彼は高卒でキャリアをスタートし2001年川崎に加入しており伊藤と同期入団です(8月途中加入)。その後2008年まで川崎でプレー(2007年は東京Vに期限付き移籍)、約8年を伊藤と共に過ごしています。
 吉原は2003、04年にそれぞれJ2で44、41試合に出場しキャリアハイを記録、J1昇格後は05年9試合、06年10試合に止まっています。勝手に想像をすれば、出場機会を求めてJ2の川崎に来たものの出れず、かたや同い年でしかもプロ一年目の伊藤がほぼ全試合に出ている姿は、吉原に影響を与えていたかもしれません。
 ここでもう一人あげるならば佐原でしょう。佐原は創設から所属する古参選手で、総在籍数は伊藤に次ぐ12年。クラブの初期を後ろから支えていた選手です。2009年のナビスコカップの時は複雑な心境だったことでしょう…。
 そんな佐原ですが加入当初はスタメン常連で1999年のJ2優勝にも貢献してくれました。ところが2000年に負った半月板の怪我によって約2年間ピッチから離れることを余儀なくされます。空いたスタメンの座を奪ったのが新卒の伊藤で、佐原は復帰後も川崎山脈の4番手に追いやられます。それでも常にリーグ戦には絡み続け、期限付き移籍のFC東京では川崎を破り優勝を経験しています。
 寿命が短いプロ生活において12年も同クラブに所属は珍しいことですし、佐原であれば他クラブからの声もあったと思います。にもかかわらず長く在籍していたことには、もちろん他の要因もありますが、後に加入した同い年の伊藤の存在があったのではないでしょうか。

おわりに

 というわけで冒頭でも述べましたが、表面的に年数から検証するに留まってしまいました。しかしながら伊藤宏樹の発言の背景には黒津、吉原、佐原あたりが関係してそうというのはわかったので、具体的なエピソードなどを今後集めていきたいと思います。
 また今回伊藤の過去のインタビューを見てみましたが、当然かもしれませんが自身への言及が多く、あまり他選手を語ることがありませんでした。そのため伊藤の他選手への思いはわかりません。ですが今回取り上げた発言の背景には伊藤の中でのライバルの姿を感じます。この点については今後また調べてみたいと思います。

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