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2024夏アニメ中途感想 色彩100億点の若君 / はよセ系ラブコメ / 蛇足物語 / なーにが負けヒロインじゃい! / ギアッチョが暴れ出す

なぁ今年の夏なんか調子乗ってね?
とりまハブろうぜ。

いやネタ抜きで終わってただろ今年の夏。
このクソ暑い中、外で作業するの我ながらイカれとる。
日本政府は全ブルーカラーに酷暑手当を支給しろ!!!


もう最終回も迎えている作品もあるタイミングですが、だいたい中盤までの感想です。

前回

次回

今季のラインナップ

『エルフさんは痩せられない。』
『しかのこのこのここしたんたん』
『小市民シリーズ』
『先輩はおとこのこ』
『ダンジョンの中のひと』
『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』
『天穂のサクナヒメ』
『2.5次元の誘惑』
『逃げ上手の若君』
『僕の妻は感情がない』
『負けヒロインが多すぎる!』
『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』

〜感想のルール〜

  • 評価に応じた順位付けをする。

  • 視聴中のモチベーションの多寡を、タイトル横に補足する。

  • 評価の順位とモチベの高低は必ずしも一致しない。上位であっても視聴モチベが低いことがある。逆も然り。

  • 上記3項に則り下位作品ほど感想が多かったり、上位作品がさらっと済まされることもある。

※評価の基準
基本、映像重視で評価。作画より演出や画面設計が面白いかどうか。ストーリーに関しては、シナリオの巧さよりキャラクターの動機に沿ったドラマが展開できているかどうかを重視。

〜モチベーションの内実〜

  • 特盛 (本編を繰り返し集中して見た)

  • 大盛 (1回は集中して見た)

  • 並盛 (内容を覚える程度には見た)

  • 小盛 (だらっと流し見した)

  • 虚無盛 (ほぼ見てない)




第12位『しかのこのこのここしたんたん』モチベ:虚無盛


ニコニコ漫画で掲載されている内は読んでたけど、まー2巻乙やね、って思ってたらまさか連載が続いているとは思わなかった。マガポケに移籍していたことをアニメ化に際して知ったわけだが、まー連載が続いてるのは良かったねって感じだが、なんでこれをアニメ化したんだ…?

シュールギャグをやりたいのは分かるんだが、ツッコミが説明的すぎて、せっかくのカオスを白けさせてしまう。
長々とした説明口調のツッコミは『まったく最近の探偵ときたら』とかをお手本にしてほしい。
読者にギリギリ伝わるようで伝わらない回りくどい例えツッコミとか、そのツッコミの内容自体にツッコミどころを偲ばせるとか、そういう工夫がないとただ長ったらしいだけのツッコミになる。『しかのこ』のツッコミは「おかしいことをおかしい」と言っているだけなので、こっちとしては「うん、見ればわかる」で終わる。



第11位『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』モチベ:虚無盛


淫夢ネタ、ロシアのプロパガンダ、ニコニコサイバー攻撃の意趣返し、まあなんかいろいろごちゃごちゃした文脈をベタベタとはっつけられて、その外縁だけが膨らんでるだけで、内容自体は全然おもんなくね?

なんだ、この戦場ヶ原ひたぎの百番煎じみたいなヒロインは…。というか全体的に『物語シリーズ』キャラの○番煎じ感すげぇ。
ヒロイン、時々ボソッとロシア語で喋る以外にキャラ立ってねぇー。あとあの妹もどういう立ち位置なんかよーわからん。



第10位『ダンジョンの中のひと』モチベ:虚無盛


割と破綻ない画なんだけど、如何せん内容に興味わかない。



第9位『先輩はおとこのこ』モチベ:並盛


なんかティーンズの人間関係ドラマ、全般的にどうでもよくなってきちゃったな…。

なんていうか、中学や高校の3年間における人間関係って、当人には重大なものに思えるかもしれないんだけど、マジでそこまで入れ込まなくてもいいんだよ、ってことを伝えてやりたい。

こう、人間関係を硬直的に捉えすぎというか、「この人じゃなきゃダメ」っていうのは大半が思い込みで、それを思い込みぬけたら「特別な存在」になるんでしょうけど、マジで今目の前にいる人だけが全てじゃないですよー、ってめっちゃ外野からの意見しか言えんわ…。

言い方悪いけど、友達だろうが恋人だろうが、なんなら家族だろうが、「代わり」って普通にいるんですよね。でもいつか別の誰かがそのポジションを埋めることになっても、今付き合いのある人が友達で、恋人で、家族であることもまた事実なんですよ。それが過去形になるだけで、はじめからなかったことにはならない。だから、友達"だった"、恋人"だった"、家族"だった"ってことにして、また別の誰かを探せばいいんですよ。

もちろん、こんなもうとっくにそこを通り過ぎたやつだからこそ言える意見なんて、今まさに渦中にいる本人達からしたらたまったもんじゃないとは思うんです。
でも、俺も田舎特有の小中ずーっと1クラスの人間関係に閉塞感こじらせまくってたんですが、中学時代の担任に「学校でできる人間関係なんて大したもんじゃないよ」って言われて、めっちゃ肩の力ぬいて過ごせるようになったんで、経験則とはいえ「誰だろうと代わりはいる」ってマインドは結構いいと思うんですよね。
もちろん早い段階で「特別な人」と出会えたら素晴らしいとは思いますが、そんな人マジで指折り数えるくらいしかおらんし、そうそう出会えんよっていうね。

あとなんかこういう青春をこじらせて、「ない過去」を捏造して縋るようになっても予後が悪いと言うか…。まぁ時間が解決してくれることって、悲しいかなあるんですよ。それに、大人になってからの方が結構楽しいこと多いよ。やっぱ10代の感性とか経験を美化しすぎなきらいはあるよね、これ系のアニメというかフィクション全般は。冷静に子ども時代を振り返るとわりとがんじがらめで、なんも自由が効かなったりするから、俺は子どもの頃に戻りたいとは思わんのー。

マジで無責任に言いますけど、10代は自分のこと精一杯やってりゃいいと思いますよ。学校の人間関係とか卒業したら、ってか働き出したら大抵は雲散霧消するもんなんで、無理に他人のこととか背負い込むことないですよー。

まぁ、大人がちゃんと子供の尻拭いをする (叱ることも含めて) のが段々難しくなってきたご時世には、ちょっと呑気な物言いなのは承知してます。
でもなー、マジで最近ガキのやらかしに厳しすぎる気がするんよなー。アナクロな考えですけど、昔ながらの多少のおイタはしばいて手打ちにするってのがダメになって、今はネチネチ社会的制裁で詰めてくってほんとにそれで良いの?って思います。スシローぺろぺろ事件とか、あんなん集団リンチと変わらんと思いましたし。
俺が小学生の時にスマホ無くてよかったーって思います。俺はちゃんと大人に叱ってもらえた方のガキだったし、スシローのガキほどのやらかしはしませんでしたけど、それでも今のSNSで全然オモチャにされそうなやらかしはしてましたよ。
俺いちおうデジタルネイティブだのZ世代だの括られる人間ですけど、子供の時の環境思い起こすと全然そんな実感ない。96〜99年生まれと、00年以降生まれを一緒にくくるの意味ないっすよ。

ちなみにこういうキャラの心情への言及が増えるときって、映像がそこまで面白くないからというのがある。俺は「ぶっちゃけドラマCDとかで良いのに、わざわざアニメにする必要あるか?」と感じる作品を低評価する傾向にあるっぽい (他人事)。



第8位『エルフさん痩せられない。』モチベ:並盛


そういやこれも紆余曲折あって連載続いてるんだった。
15分アニメで正解。『しかのこ』も15分でやれ (ぶっちゃけ5分でもいい)。

OPのCGダンス、シュールすぎる。



第7位『2.5次元の誘惑』モチベ:並盛


熱心なジャンプラ読者だった頃に読んでたけど、スポ根路線に入ってから読むのやめたやつ。なんか俺の求めてるラブコメってこうじゃないのよ…ってなっちゃって。

俺は「ラブコメ」は好きなんですけど、「恋愛ドラマ」は苦手なんです。

「恋愛ドラマ」って人間の欲望を美化して扱ってるのが受け付けないんですよね。愛憎劇みたいなのもこれに含みます。とにかくシリアスに持っていってほしくない。
ちなみにここでいう欲望は「性欲」です。

対して、俺が好きな「ラブコメ」には、欲望が明け透けに描かれているわけですよ。

で、恋は盲目とは言ったもので、恋愛に際して人間ってのは、自らの欲望に振り回されてまったくもって非合理な決断を下してしまうわけじゃないですか。そういう滑稽さを戯画化したものを楽しむのが、俺にとっての「ラブコメ」なんですよね。ちゃんとコメディ要素を持たして、人間の不完全さとかを喜劇的に描いてほしい。

ラブコメの好みについてぐだぐだ言ってるやつ↓

この記事の『道産子ギャルはなまらめんこい』の感想がこちら。

はよセックスしろ
こんな情緒もへったくれもない感想が飛び出すのは、俺がラブコメに情緒もへったくれも求めていないからであり、基本的にご都合主義なラブコメにおいてコメディ部分に力が入っていないのであれば、それはもうさっさとくっついてイチャコラしたらええねんということに尽きるから。

続いて『僕の心のヤバイやつ』の感想がこちら

はよセックスしろ2ツー

そもそもこれってラブコメじゃない気がしてきたので、これに関しては寿司屋に来てラーメンが出ないことにキレてるようなもんだが、それを差し引いても現在の展開はそう言わざるを得ない。

ちなみに俺の好みの店には、一発ネタをあの手この手で擦る類のギャグだったり、おかしな設定のヒロインをメタ的に茶化すギャグが置いてるから、『僕ヤバ』のメニューを開くとそんなものは当然置いてないので本当に入る店を間違えている。

具体的な店名でいうと、ドラドラしゃーぷ#で現在連載中の『王子様の友達』とか『恋はあえての逆バニー』とかの、おおっぴらにエロくて (おおっぴらなのが重要)、アホなキャラがアホなことを大真面目にやってるやつがいいんですよ。

で、冒頭に言った通り、この『2.5次元の誘惑』って途中から「夢」とか「勝負」の話にシフトしていって、スポ根路線に入ってくんですよ。
当初の「2次元こそ命!」みたいなステレオタイプなオタク (俺の思うオタクってこれじゃないけど) の主人公が、いわゆる「俺の嫁」のコスプレをしたヒロインの魅力 (つーか露出) に引っ張られて、おい!2次元こそ命やなかったんかい!みたいな綱引きやってるのが良かったのに、なんかだんだんコスプレイベントを通じて仲間との絆が深まって…みたいな話になりだして、いやいやちゃうちゃう、そっちやなーいっていうね。

ほんでまぁどの道やることは、ヒロインとくっつくのかい!くっつかないのかい!どっちなんだい!くーーー……っつく!なんですよ。

それ自体は別にいいんですよ。様式美だし。

俺はそのくっつくorくっつかないのプロセスを面白おかしく描いてくれって言ってるんすよ。あとエッチなシーンもたまに入れてくると尚良し。

ぶっちゃけ他人の色恋沙汰自体には興味ないんです。誰と誰がくっついてもいいし、負けヒロインがどうのこうのもどうでもいい。

切ないドラマも求めてないし、なんか心が叫びたがってる感じも要らん。これが恋愛ドラマになるとすーぐそういうこと始めるんで。君を傷つけたくない…傷つけてしまった…もう君とは会えない…みたいな、ほなもうはよ別れたらええやんけ。別にその人だけが世界の全てやないんやから、グダグダ自己憐憫に浸る暇あったらスッパリ縁切って次行けや。相手にとっても時間の損失やからそれ。

俺が欲しいのは行動ベースの滑稽さなんですよ。出来事ベースのドタバタ劇なんですよ。好きな相手の気を引くために、あるいは好きであることを隠したいがために、アホなことをしてしまう、そういう滑稽さ。

まぁ、この『2.5次元の誘惑』の主人公はちゃんと性欲あるタイプなんでまだマシ。

ひどいラブコメだと鈍感形主人公通り越して、ヒロインのちょっとエッチなシーンでも無反応みたいな、お前それはフェイクにもほどがあるやろってなるんですよ。下心ゼロの紳士がラブコメの主人公張れるかぁ!

でもまぁ、『2.5次元の誘惑』が路線変更したのって、なんだかんだジャンプ系列の漫画だからってところはあります。
やっぱり読者層的に友情・努力・勝利が需要の根幹なんです。なんぼ「エッチなキャラが大好きで、それが高じてコスプレしてるんです!」みたいな、野郎の妄想200%濃縮みたいなヒロインを看板にしても、結局長期連載を目指すには「バトル要素」は必須なんですよね。コスプレでバトル?ってアニメ勢の方は思うかもしれませんが、マジで途中からバトル漫画になりますよ。
2クールやるらしいんで、路線変更し始めるところは確実に範囲内でしょう。

まーグダグダ言いましたが、画のクオリティは高いほうだし、路線変更後のスポ根も完成度高いんで (俺の好む好まざる関わらず)。多分連載追ってた範囲まではいくんちゃうかなぁ。

「エロ」を売りにしたラブコメの連載継続って超難易度高いんだなってめっちゃ感じます。高橋留美子ってやっぱ偉大。
俺はそういうラブコメ漫画が泡のごとく現れては、2巻乙していくのを見届けるラブコメ漫画送り人やってます (ラノベ原作のラブコメは除外。あれは原作が続刊可能なポテンシャルを持ってることが前提の抱き合わせ商法なので)。やっぱり続くラブコメってなんだかんだで湿っぽいドラマ入れてきて、ストーリーの力でドライブしていくんですよ。

と、つらつら述べましたけども、最近面白かったラブコメは『放課後帰宅びより』っていう、幸薄イケメン×おもしれー女のほのぼのラブコメで (胸キュン要素もあるぞ!)、ひょっとして1話完結でオチがあったら何でもいいのかもしれない。

でもこれだけは言いたい。
『早乙女姉妹は漫画のためなら!?』はねぇ!!最後までエロたっぷりで10巻走り抜いたから、『ToLOVEる』の次点くらいには評価されるべきなんですよ!!
はよ第2部を連載しておくんなまし!!



第6位『僕の妻は感情がない』モチベ:並盛


これもある時期までは連載を追ってたんですが、途中から飛ばし飛ばしになってしまい、もう話の流れを完全に掴みそこねてるやつです。

作者の方がものっそい哲学人間というか、こじらせ人間というか、堂々巡りの思考に決着をつけたいタイプの人らしく、Pixivで個人連載していた『ニセモノの錬金術師』はもうそれがフルスロットルに出ていて、あーこっちをホントはやりたかったのかなーとか思ってたら、この『僕の妻は感情がない』にもだんだんとその気が出てきて、今や『GHOST IN THE SHELL』の衒学部分 (「私は情報の海から発生した生命体だ…」的なやつ) を、平凡なサラリーマンの生活圏内と人間関係でやりますみたいな感じになって読むのが億劫になってしまった。

プロジェクト2501人形使いと草薙素子が、ミーナとタクマに置き換わったみたいな感じ。
マモルが登場したときには、もう完全に『攻殻機動隊』に出てきた、AIが自己複製の限界を突破するために、他の情報生命体と融合して「揺らぎ」を獲得する話やんって思いました。

んまー、孤独な独身男性がロボット相手に一人相撲する様子は『イノセンス』のバトーじみているところもあるし、最初からそういう話だったと言われればそうかもしれない。

俺はタクマのキモさと、ミーナのロボットネタを楽しんでた所あるから、どんどんややこしくなっていく話についていけなくなってしまった。

アニメ化される範囲はまだそこまで踏み込んだところにはいかないと思うので、最初のほうはこういう話だったなーという確認がてら見ている。

1個だけアニメの不満点を言うと、ミーナのキャラデザで、ほっぺに色足したのはいただけませんね。
あくまで「感情がない」ことを逆手に取らないといけないのに、血色よく見せたら最初から「実は感情があるかのように」見えるじゃないですか。やっぱりツルッとした無機物感があってこそだと思うんですよね、『BLAME!』のサナカンみたいに。



第5位『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』モチベ:並盛


『ロシデレ』がこれの百番煎じみたいな、とは言いましたが、では真打ちのこれはどうかというと、蛇足に蛇足を重ねて蛇どころか百足の如き有り様…。

いきなりボロクソ言うてますけど、俺自身、10代は『物語シリーズ』と過ごしたと言って過言ではなく、ラノベ読まず嫌いだった俺がガチで唯一読んでたラノベだったんですよね。

それこそ中学時代にラノベという存在を認知してはいたんですが、『涼宮ハルヒ』とか『とある』シリーズはちょい上世代の作品なこともあって全然興味持てなかったし(『ハルヒ』はアニメを後に見た)、そもそもラノベ全般に忌避感あったんです。
その読まず嫌いの理由の一つが「説明的な作品タイトル」。

最近は「なろう系」の台頭で、説明的でクソ長ったらしいタイトルの作品は当たり前になりましたが、当時の俺は今の「なろう系」に比べりゃ全然マシなレベルのタイトリングでも、「けっ、こんなタイトルで説明してまうようなら、『内容で伝えることに自信ありません』って言うとるようなもんやんけ」と毛嫌いしてたんです。

そんな折に、アニメ『偽物語』の放送にたまたま出会した俺は、初めて体験する西尾維新節の会話劇と、シャフトの奇天烈な演出の生み出す独特な世界観に心を奪われ、セカンドシーズンが放送される頃にはもう原作を読み終えた状態で視聴するほどにはどハマりしていました。
ぶっちゃけ、タイトルが簡潔なのと中学生にはちょうどいいレベルの衒学的文体が、厨二病を俯瞰したがっていた当時の俺の自意識にやたらフィットしたってだけですが。

ただ純粋にハマっていた部分があったのもまた事実なので、当然『傷物語』3部作も映画館で見たし、同じく物語シリーズを愛好していた友人とは作中ネタを交えた会話を教室で人目も憚らずやってたし、弟に布教するために原作を朗読して読み聞かせたてたし (もちろん神谷浩史ボイスに寄せて)、もうそれはそれはイタいほどに影響受けまくってたんですよ。

しかし熱を上げていたのも『傷物語』劇場版が上映されたあたりまで。
さすがに原作の引き伸ばし商法に若干辟易としていた俺は、『続・終物語』のハンパねぇ蛇足感と、それ以降にも新シーズンを追加していくという続報に、「あーこりゃ続けるためのシリーズだ」と思って急激に熱が冷めてしまいました。『エンドゲーム』以降のMCUシリーズも似たようなもんですよね (『ノーウェイホーム』だけは良かった)。

さらに拍車をかけたのがアニメシリーズにおけるシャフト演出のマンネリ化。
セカンドシーズン時点でもう無理が祟っていたというか、単なるリソース不足を誤魔化しきれず、奇抜な画面を構築することが目的化してしまったそれに、惰性をだんだんと感じるようになってきました。

そして決定的だったのは、これは『物語シリーズ』ではないですが同じく西尾維新原作の『美少年探偵団』を見た時。クリエイターというのは自己模倣を始めたらもうおしまいなんだなぁ…というのがひしひしと伝わる画面で、同じく自己模倣的な西尾維新の作風と相まって、めちゃくちゃ退屈な仕上がりになってました。良かったのOPのアニメーションくらいです。あのダンスは良かった。

俺はこのだらだら続くシリーズに割と付き合った方だとは思うんですよね。『化物語』と『傷物語』で十分だろって人もいると思う。俺はセカンドシーズンはファーストで先延ばしにした問題や、見て見ぬ振りした問題に落とし前をつけるって意味では必要だったと思うんです。

まぁそのセカンドシーズンにも蛇足っぽいのはありましたが (『傾物語』と『鬼物語』要る?)、『猫物語・白』と『囮物語』+『恋物語』は重要な章だと思いました。
前者は羽川翼の落とし前、後者は千石撫子の落とし前に見せかけて阿良々木暦の落とし前 (をつけさせない)、っていうこの物語シリーズの始まりの2人が残した禍根にフォーカスを当ててるので。

『花物語』は俺が沼地蠟花がめっちゃ好きなので要る。物語シリーズのヒロインズ、基本的にあんま刺さってなくて (完全体キスショットは好き) 、でも沼地蠟花はガチで物語シリーズで唯一めっちゃ好きなヒロイン……んまぁ、ヒロインというと厳密には違うが、まぁヒロインってことにしてくれ。俺はそこそこ才能があったけど落ちぶれちゃったやつが、人生に折り合いをつけるためにアレコレ理論武装する話が大好きなんだ。

で、ファイナルシーズンはまぁ広げた風呂敷畳むために要るかなぁ…くらいで、でも『続・終物語』はマジで要らんかった。

『愚物語』までは原作も揃えてましたが、こいつを読んでいよいよ「もうええかな」ってパッタリモチベが消え去り、断捨離の際に原作も売っぱらって、いまや『物語シリーズ』に対する未練もなにもない状態です。

当然このアニメ化範囲は俺が「もうええかな」って思った部分ど真ん中なので、マジでストーリーにもキャラクターにも興味が持てない。じゃあ画面を見て楽しもうかと思っても、マンネリ化した"いつもの"シャフト演出を見せられてほぇーって感じです。シャフト演出ってこんなつまんなかったっけ?って思うくらいマジでびっくりしてます (シャフト演出っていうか新房昭之イズムといった方がいいか)。

『さよなら絶望先生』、『荒川アンダー ザ ブリッジ』、『それでも町は廻っている』、『魔法少女まどか☆マギカ』、『電波女と青春男』etc…。00年代中期から10年代前期を彩った気鋭のアニメスタジオ、なんていうのは俺の美化された記憶なんでしょう (そういや『まほろまてぃっく』ってGAINAXと共同でやってたっけ)。

ヌーヴェルヴァーグがどうのこうの、作画に頼らない演出論だの、メタフィクションだの、もうなんでもいいので見ててハッとするような、思わず巻き戻してもう一度見返したくなるようなそんな映像が見たい。

円形モチーフくるくるさせたり、おなじみのシャフ度で見得を切ったり、時系列をまぜっ返したモンタージュやったり、そういうのはここぞってとこでやるべきであって、乱発したらそりゃ味気なくなっていきますよ…。全体的にこれやってりゃいいや感すごいんですよね。

なんか最近、好きだったクリエイターに幻滅していくの多くなってきたなぁと思いつつ、でも新しい若手クリエイターの台頭にワクワクもしているので、プラマイゼロってことにしておきましょう。



第4位『負けヒロインが多すぎる!』モチベ:並盛


頭抜けたキャラデザと上質な画作りから繰り出されるとてつもなくしょうもない話。

いいですか、もう「負けヒロイン」は勝利する時代なんですよ。

『五等分の花嫁』だって、負けヒロインポジからの大逆転やってたじゃないですか。

「負けヒロイン」なんつーのは「勝ちヒロイン」とバチバチにぶつけ合ってこそ真価を発揮するもんなんですが、もはや先行研究の進んだ昨今のラブコメ戦国時代においては、「こういう特徴を持ってるのが負けヒロイン」という類型化が進んで、ストレートな失恋物語をやってもウケないというのはあるんでしょう。だからこういうパロディで勝負する作品が出てくる。

いーや、それでも俺はストレートな失恋物語もやるべきだと思いますけどね。
『厨二病でも恋がしたい!』は大変よかった。
恋って戦争なんで。ということで……


戦闘、開始。


主人公しゃらくっせぇーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッ!!!

俺はこの手の状況に深くコミットせずに、言語化に特化してます、俯瞰してものごと見てますみたいなやつがいっちゃん嫌い。
読書家気取りもムカつくぜぇ。

あ、でもこの主人公はラノベしか読まんっぽいので、読書家ではないんかな?ねぇ読書家の皆さん、「読書離れ」とやらを憂いてますけどもどうなんです?ラノベは、漫画は、ファッション誌やらハウツー本は、読書じゃないんですかね?理系の書籍とかはどうなんでしょう?
ブンガクとかコテンとかテツガクが読書なんですかね?

「課題図書」とかいう物語至上主義者どもの権威付けのためのクソレギュレーション、子どもたちに課すのいい加減やめろ。俺はガキの頃かろうじて児童文学が好きだったりしたから、『ゲド戦記』とか読んで感想文提出してましたけど、読書自体が好きだった訳ではない。
「読書」という言葉の指す範囲が恣意的すぎる。
「クラシックこそが音楽」とか言ってるやついたら、いくらなんでも時代錯誤だって分かるだろうに。

俺がアンチ「文学」アンチ「文学的」の立場をとってるのは、いわゆる「読書家」とか「本好き」みてぇなのが、言葉の力を過信して、言葉で全てを詳らかにできると思ってるその傲慢な態度が気にくわねぇからですねぇ!
俺は「文学的だなー」とか、「これもう文学だろ」みたいな褒め言葉が嫌いです。化石と化したハイカルチャーが上からもの言ってんじゃねぇぞ。ポップカルチャーの物量作戦の前に全て灰となれ。

俺は最終的には肉体がものを言うと思ってるんで。反知性主義者 (誤用の方でいいよ) なんで。隙あらばインテリとか、斜に構えた文化人どもをボロカス言いたいと思ってるんで。
AI時代を生き残れ!!ブルーカラー万歳!!
別にブルーカラーもAIに取られかねない分野もあるでしょうが、俺は俺の肉体の動く限りがんばりますよ。

発作はそろそろやめにして。


モノローグでツッコミ入れるタイプの主人公ってもう古いでしょ。言いたいことはハキハキ声に出さんかい!
キョンを薄め、阿良々木暦を薄め、そして「男らしさ」を薄め、搾りカスになった語り部ポジションは毒に薬にもなりはしない。ラブコメ主人公っつーのは徹底的に好かれるか嫌われるかの2択だよ。
この主人公に限らず、こういうヘイト買わないようにしただけのキャラ造形、むしろムカつくんだよな。こっちの感情を介護されてるような気持ちになる。ピクルのへなちょこパンチにブチギレる刃牙と同じ気持ち。で、あからさまなヘイト集めキャラが出てきて相対評価で良い奴風になんのよ。誰も傷つけないことが無条件に善だと思ってんのか、Z世代 (とかいう意味わからん区分) のヒョロガキがよぉ!!!

てか……

お・ま・え!!

ブラコンバブみ妹おんのかい!!!

ぶっ飛ばすぞ!!!!


主人公に限らず、どいつもこいつもキャラ立ってないよ。

とりあえず「負けヒロイン」という類型に沿う形で話が進むものの、当然ながら起こってることは好きな人にすでに恋人がいるor両片思いの人がいるパターンの繰り返しなので、こいつら1人1人の5W1Hの差分にまるで興味を持てない。

感情移入できないという感想は封印しているので、感情移入できないことがダメだといっているわけではない。俺がキャラクターに求めてんのは、こいつが何を次はしでかすんだろうっていう関心を持つためのフックなんですわ。感情移入できるかどうかはマジでどうでもいい。できたら楽しいし、できなかったらそれだけの話。

「負けヒロイン」であること以外にドラマを牽引するフックがないから、どいつもこいつも同じキャラに見える (作劇上の役割の意味合いで)。

マジでヒロインズ (負けインも勝ちインも) の顔と名前を一致させることができねぇ。名前だけが会話に出た時に「そいつ誰だっけ?」ってなる。キャラいっぱい出したの失敗でしょ。誰か1人に絞ってじっくりやれよ。群像劇を扱いきれてないのが見づらぁてしゃーない。

今んとこ「負けヒロイン」をいっぱい出す必然性が見当たらんし、なにより主人公の存在感が皆無。あれだろ?ラノベ的な恋愛をメタに眺めるための観測者ポジションだろ?クソつまんねぇよ、そういうメタ視点キャラ。お前も降りて来て戦えや。好きな人がいるなら好きと言えぃ!!

作劇に貢献してない主人公が、負けヒロイン1号 (青髪の子) の片想い相手に正論かますシーンでなんも感動がなかった。そりゃ言ってることは正論ですが、そこに至るまで全然ドラマの歯車として機能してないから、お前べつになんも関係ないやんっていう気持ちの方が勝つ。何を言うかより誰が言うかだろ、こういうのは。そもそもこんだけパロディ要素で固めてんだから、 全部ギャグで突っ切れ。シリアスなドラマがことごとく滑っている。

てか主人公のやってることって、「どしたん?話聞こか?」のセックス抜きみたいなことよな?
『とらドラ!』前半の逢坂大河と高須竜児の共闘関係でもなければ、『クズの本懐』の爛れた代償行為による依存関係でもない。サポーターみたいなポジションに立てばヘイト買わないと思ったか?そういうせせこましいやりかたの方がよっぽど腹立つ。
ラブコメの男主人公なんてのはな、大なり小なりヘイト買うんだから (なんだかんだ美少女と絡むため)、無駄な足掻きはやめろ。


ふと思いついたけど、この主人公のキャラ造形って『クズの本懐』の

「興味のない人から向けられる好意ほど 気持ちの悪いものってないでしょう?」

に対しての回避に回避を重ねた、他人を傷つけることを過度に恐れる (本当は自分が傷つきたくないだけな) 人間のロールモデルだろ。

ああやって「周辺人物」のポジションに収まってりゃ、そりゃ相手にとってもお前にとってもノーダメージだわなぁ?好かれることもなけりゃ、嫌われることもない。でもそういう態度でいる人間がなんでキーマンみたいなポジションになれるんだ?その辺の辻褄がまるで合ってない。

『クズの本懐』の話したくなってきた。するわ。

あの台詞ってコマの切り抜きが独り歩きしてる典型例なんよね。
ちゃんと本編読んだら分かるけど、あの台詞言った主人公がまさに叶わぬ片想いをしてる側の人間で、そんな自分の精神的自傷行為に告白してきた相手を道連れにしたシーンなわけ (あの台詞の大ゴマのあとに、ちっこいコマで「あ くそ  ブーメラン」って内省してる)。
あの台詞に込めた思想がそのまま主人公を縛り上げ、好きでもない男との爛れた依存関係に走ることになるんだが、マジでバカじゃねぇの。お前の好意を他人がコントロールできないように、他人からの好意もお前にはコントロールできないんだよ。こんなん恋愛に限らずコミュニケーション全般の基本だろ。

……というツッコミを入れながら『クズの本懐』は読みましょう。

あの漫画の登場人物、基本的に他人からの感情をビュッフェみたいに選り好みできると思ってて、自分の感情が拒絶される場合のことを考慮に入れてない (自己評価だけは高い) から、いざってときの防御力はカッスカスなのがマジで笑える。作者もその辺ちゃんと分かって描いてんのよ。

『クズの本懐』の話おわり!!


甘夏先生好き。
甘夏先生だけ映してくれ。ガキどもの色恋沙汰どうでもいい。
『甘夏古奈美の教員日誌』みたいな番外編を出そう。主要キャラクターがペラッペラなせいで、数秒出ただけのサブキャラの方に興味湧いてきた。

なんかちょっとだけ挟まってきた牛尾憲輔みたいな劇伴 (ピアノの中にマイク仕込んで、内部機構の雑音ごと録るやつ) も合ってなかった。そんな山田尚子作品みたいな作劇やってないだろ。

何でこれで4位なんだろう…って自分でも思うけど、画はそれなりに良いからですねぇ!!色彩も好きな方だし (でもちょいちょい『チェンソーマン』っぽくなるのは気になる)、カット割るごとの変化も楽しい。

でもひたすら作劇がつまらねぇ、キャラクターが味気ねぇ、なによりギャグがおもんねぇ!!!

ラブコメってラブ・コメディなんだわ!!!!!!
コメディとしてつまんねぇならラブしかないだろ。じゃあTwitterの1ページ漫画でいいだろ。はよ誰かと誰かをくっつけておしまいにすりゃええんじゃい!!

はーボロカス言ってだいたいスッキリした。

『LOVE 2000』のカバーは良かった。
やっぱいつの時代もリバイバルってのは文字通り繰り返すもんなんですね。



第3位『小市民シリーズ』:モチベ:並盛


シネスコサイズしゃらくせぇ。
『アークナイツ』もこんなんやってたけど、30分弱のTVアニメでこれやる意味ある?
高級感出すためっすかね?別に映画見てる気分にもならんし、このサイズでやるのよく分からん。ロングショットが映えるとかそういう意図?

シャフトもどきみたいなイメージカットやめてくりゃれ〜…。映像にリズム作りたいのかもしれんけど、単に混乱するだけだ。


そして再び戦闘、開始。


主人公しゃらくっせぇーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッ!!!2ツー


こいつが喋るたびにマジであ“ぁ”?ってなる。

な・に・が、「小市民」じゃボケェ!!!!

『負けイン』主人公が消極的にその手のポジションに収まっているとしたら、こいつは能動的にそのポジションに収まろうとしている……わ・り・に・は、「自分はその他大勢とは一線を画す人間だ」みてぇな自意識がジョボジョボ漏れ出してんだよなァ〜〜〜??
俺の中のギアッチョがコンテンポラリーダンスばりにグネグネと暴れ回っている。

すげぇや、どいつもこいつも洒落臭くてびっくりする。同作者の『氷菓』は見たことあるけど、ここまで洒落臭くなかった気がする。いやもう記憶が曖昧だし、アレもこんなもんだったんかもしれん。でも見返したくなるほどのアニメでもないんだよな『氷菓』。

主人公を3秒に1回はぶん殴りてぇ。「文学くん」の匂いがプンプンするぜぇ…。

いや、こういう洒落臭い人間が今後どうなっていくかを追っかける話なのは分かるんですよ?分かった上でしゃらくせぇのは変わらんってだけ。


ちょっと最低な発言したくなってきた。するね。

小山内さん、「寝取られ報告」音声作品にめっちゃ出てきそうなキャラしてる。ポソポソボイスで間男とのエッグいプレイ内容を鼓膜に流し込んできそう。

NTRを中心にやってるサークル (バイコーンの森とか) のそれはウキウキで楽しめるけど 、普段はイチャラブもの中心でやってるサークル (Whispとか) が突然出してくるNTR音声ってNTR慣れしてても意外とダメージがでかい。
唐突なシコリティ・オブ・ライフの話はこの辺で。


もう小佐内さんのキャラデザだけで保ってるようなもんだろ、このアニメ。3位の理由は小佐内さんのカットでバチっと決まってるやつがそこそこあるからです。マジでそこだけとびぬけてすごい。

初めてのルーブルは
なんてことは無かったわ
私だけのモナリザ
もうとっくに出会ってたから


「行間を読めることは凄いことだ」みたいな自意識をダダ漏れにしてアニメやるのやめてほしい。こっちは小説読んでるつもりじゃなくて、アニメ見てるつもりなんだよ。
『インセプション』あたりからのクリストファー・ノーランみたいな、ただ捻った構成を見せたいがための時系列シャッフルとか、ミスリード演出を、こんな安楽庵探偵みたいな話でしないでくれよ。ややこしいもんをさらにややこしくして、見てる側が「ややこしくてだるい」って感想になってもなんも悪くないから。


もう最近こういう演出を見ると、「おっ挑戦してるなぁ」とかは思わずに、「あ、「わかりやすい演出」から逃げたな」って思うようになってきた。視聴者にキャラクターの心理線を辿らせ、どんな目的意識を持ってどんな状況にコミットしているのかを要所要所で意識させるのって、むしろ難しいと思うんですけど。そこしっかりしてたら別にシナリオが凡庸でも面白く見れるんだが。

もうとにかく主人公がしゃらくせぇ。それに尽きる。
「小市民になる」って目標がよォ〜〜〜、自分のことをその他大勢よりも一段上に、いや二段も三弾も上に置いてるってことの証左なんだよなァ?ナメやがって、クソガキがァ。

だいだい、そもそもが小市民だっつーならよォ…、一角の人物にのし上がってやろうっていう俗物根性が多少なりともあるんだよなァーーー?

「自分は波風立てないようにしたいのに、この溢れる“才能“ってやつがそうさせてくれないんだ……」みてぇな態度が反感買わねぇと思ってる時点で、てめぇは小市民になろうと思ってもなれねぇんだから、大人しく「傲慢な天才」をやっていけっつてんだよォーーーーーッ!!!

まぁでも、探偵ごっこが得意ってだけのことで自分をそこまで特別だと思い込めてる様は面白かったぜェ…? (ここでホワイトアルバムを身に纏う)




第2位『天穂のサクナヒメ』モチベ:並盛


画良し、筋書きスッキリ、主人公がしっかり動く。
もうこれだけで2位です。

マジでなにがしてぇのか分からん「人間ドラマやってます感」だけあるアニメを見せられると、こういう普通のことをやってるだけでめちゃくちゃ良いもの見た気分になる。

豊穣の神としての仕事せぇよ → 仕事場で問題発生 → 問題解決 → 仲間との絆も深まって良かったね。

これやってるだけなのに見た後めっちゃ満足感ある。

サクナヒメ見てると、「あーアニメ見てるわー」って気持ちになる。
なんかもう捻ったインテリアニメ全然すごいと思わん。こういうアニメをストレートにやるほうが凄いって、マジで。



第1位『逃げ上手の若君』モチベ:特盛


色彩設計が好きすぎる。

CMでちらっと見た画がめちゃくちゃ良い色じゃん!って思ったら、わてが大好きかつ不完全燃焼で終わったことを度々愚痴っている『ワンダーエッグ・プライオリティ』の色彩設計をやってらっしゃる方だそうで、そら目に留まりますわ。

ほんまこういうパキッとした色合いが好きすぎる。
影もしっかり境界があって、グラデーションつけた仕上がりにしてないのも良い。

庵野秀明に珍しく同意できたやつ。


撮影処理も抑制的で、線の動きが映えるようにしてあって大変素晴らしい。

マジで最近のアニメの「実写」を意識した画作り&作画 (芝居) が気にくわねー。実写>アニメみたいな上下関係のもとに、「高級感」を出そうとしてるところが、はなからアニメは実写に敵わないことを是認してるようでムカつく。ケレン味を排除することがスマート、みたいなね。
俺はそういうのせせこましいと思う。堂々とアニメの記号的な表現や省略の効いたアクションの美を押し出していくべきだね。

最近は話題作の方がこういうパキッとしてケレン味のあるアニメやってくれるから、いちいち「隠れた名作」探さなくて助かる。いや〜マジでClover Worksさん最近調子良さげっすね!俺の好きな漫画みんなこういう色彩でアニメ化してくれねぇかな。それか『Do It Yourself !!』の色彩で。


1話のふすま開けながら逃げるシーンめっちゃよかった。

3Dの背動と奥方向に逃げる若君を追っていくカメラの組み合わせ。こういうの『進撃の巨人』の立体機動装置のアクションでも見たけど、あれはちょっと動き激しすぎて見疲れしちゃうんだけど、『逃げ若』は小ぢんまりしたアクションを見映えさせる方向性で使うので、何が起こっているかを把握しつつ、画面内の運動の驚きも感じられて良い。
こういう要所要所で「おっ!」ってなる画があるの大変助かる。
テンポよくふすまを開けながら暗がりから明るみへと出る緩急も素晴らしい。

若君のおみお尻を追いかけまわす大変不敬なカメラワーク


蹴鞠と打ち首のマッチカットもぎょっとしましたねぇ。
あとで原作を読むとシームレスに蹴鞠→打ち首でシームレスに時系列が進んでたんですね。それをアニメでは時系列を一部先取りしてたので、初見の俺は「え?今の首って…」って不穏な感情を覚えましたわ。
こういう時系列シャッフルはいいんですよ。話の筋を混乱させるんじゃなくて、のちにおこる展開に期待を持たせるやつ。未来を見ることができる諏訪頼重がいるおかげで、「あー、あいつの見た未来か」って納得もできますし。

ひゅーん
ごとっ


崖から突き落とされてからの殺陣もよかった。
モブ兵士の芝居が細かく演出されてて、若君の回避能力に翻弄されてる様を見事に表現している。

ジャッキー・チェンの一対多のアクションにも似た痛快さがありますね (躱した攻撃が別の敵に当たったり)。


ここシンプルに美しい
彩度のコントロールが全部ツボ



クソ叔父上とのバトルシーンもよかった。
草むらを抜けるまでは若視点のPOV+マッピングで、抜けた瞬間から3人称+手描きになるなど、1カット内で視点・技法・テクスチャが大胆に切り替わるのが面白い。素材を貼り付けて固定した画面から、線が生き生きと動き回る画面になった瞬間のカタルシスが半端ない。

この回のコンテ、めっちゃいいなと思って調べたら『ぼっち・ざ・ろっく!』のライブパート演出した方で、ほえーってなった。もっとこの人の演出見たいねー。

ここまでカメラマッピングで
草むらに突っ込む瞬間に手描きに
バサッと抜けて
波打つ草地を疾走する若君
ふつくしい…


あと良かったのは血しぶきの美しさ。

背景の夜空を、ズバッと断つような血しぶきのビビットな赤は良い。ここ、血しぶきに単色でのっぺりとした塗りが選択されていて、異様な存在感を放っている。


そうそう、足利尊氏が無双するシーン、ここの血しぶきもよかった。尊氏の禍々しさも伝わるけど、それ以上にこの『逃げ若』の血のバリエーションに目を奪われます。

若が叔父の首をはねた時のような単色の彼岸花や……

影とハイライトを足して、固形物なタッチが強いドロッとした血や、地面や土壁に染みついて赤茶けた血。


皇子と尊氏の社交ダンスみたいな殺陣も面白い。
ついでのように切られていく兵卒の血が2人のダンスを彩る。

完全に尊氏が皇子をリードしながら踊ってんのよ
くるっとターン

人がポンポン死んでるし、グロテスクな場面なのは確かですが、ここの血しぶきはただ単に美しいんですよね。
異化効果を狙った演出でしょうけど、そういう狙いを探る以前に色合いがやはり素晴らしいんですよ『逃げ若』は。
このシーンを見て「きれいだなー」って思うのもまた自然なことだと思いますね。

キャラも濃いし、史実のアレンジもまた面白いし、注目すべき点はいっぱいありますが、まず目に飛び込んでくる様々な色の美意識を味わうだけでも十分に面白いアニメだと思います。



こっからスーパー下品話につき注意。

なんか時行きゅんは男の娘だ!いや女の子にちんこつけただけだ!とか論争起こってたけど、俺はなんだろうと等しくシコる。
男の娘だろうと、女装男子だろうと、女の子にちんこつけただけだろうと関係ない。なぜならちんこそのものがシコれるから。

あくびんす、あやとあやり、ありあけひばり、池咲ミサ、キルシーエンジン、ごまぶら、至室至、しろー (奇械田零士朗)、まりお、十はやみ、もり苔、ゆるやか島……。男の娘、ショタ、女装男子、シーメール、女の子にちんこつけたやつ、これら全てちんこ、いや、ちんぽに対する愛は共通している。
ちんぽを愛していれば全てシコれるはずだ。俺はリアルでもちんぽ咥えたし、マジでちんぽ愛だけで全てシコれる。

最低最悪なオチと相成ったところで、此度のアニメ感想はここまで。しからばごめん。


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