汚れてしまったこの血潮は何のため
僕の血液はどうやら汚れているらしい。
そのことを知ったのは、確か大学1年生の頃。
講義の空きコマで、時間を持て余しており、
何をして過ごそうかと考えていたら、
大学の敷地内で、献血を実施していた。
高校で精神疾患を抱えて、福祉の世界を志して以来、
自分の命は誰かのために使うと決めた。
それに強い使命感すら感じていた。
献血なんて、まさに人を救うための行動じゃないか。
僕はAB型だから、多少貴重な方かもしれない。
なんてことを考えながら、献血の受付に向かう。
受付では、問診のようなことを先に行うらしい。
「現在服用している薬はありますか?」
今もではあるけれど、当時から既に数種類の向精神薬や睡眠導入剤を服用していた。
こんな薬を飲んでいます。と、飲んでいる薬の種類を伝えた。
受付の方が分厚い資料を取り出し、薬の名前を目次から探して照らし合わせる。
「申し訳ありません、その薬を服用されている方は献血ができないように指定されております。お気持ちだけ頂きます」
「はぁ、分かりました。ありがとうございました」
受付で弾かれ、肩を落としながら、とぼとぼとその場を離れる。
「僕の血はもはや汚れてしまったのか」
献血で役に立つことすらできない体になってしまった。
別に誰が特別悪い訳でも無い。
薬を処方してくれている精神科の先生も悪くない。
受付の方も、当然悪くない。
強いて言えば、薬を飲まないと、どうしようもなくなった自分を恨むしかないか。
僕の身体を巡る血はもはや綺麗とは呼べる代物ではなくなったのだな。
薬を常用しているのは、献血以外でも不利である。
例えば、医療保険も、日常的に薬をこれだけの量と種類を服用していると、
どの保険にでも自由には入れなくなる。
事実、僕は今も医療保険には入れていない。
きちんと探せばあるはずではあるけれど。
今後も恐らくしばらく長くは続くであろう僕の人生。
その人生は僕のこの汚れた血が巡ることで送れるのだ。
それならば、受け入れるしかないか。
そんなことを考えているこの今も、頓服の薬を服用している。
こんなんでこの先、僕の人生は大丈夫だろうか。
いささか不安を抱えつつ、その想いを書き記しておく。
いつか薬が必要無くなった時に、この記事を見てあの頃は、って懐古(かいこ)の念に浸れるくらいに。
それまではまずは僕が生きていないといけない。
そもそもそれが大前提なのだ。
ひろき