
【原神】スメールにあるサンスクリット語由来の地名を読み解く vol.1
Ver3.0のアップデートにて実装されたスメールはインド・イラン~エジプトのあたりをモチーフに設定された国です。各地の地名には様々な言語が使用されており、インドからは古典語であるサンスクリット語(古インドアーリヤ語)、イランからも同様に古典語のアヴェスタ語(古アヴェスタ語/新アヴェスタ語)、その他の地域の言語としてペルシャ語やアラビア語などが使用されているようです。
この記事ではスメールの主なモチーフとなっているインドにフォーカスして、インドの古典語であるサンスクリット語で命名されている地名の意味や由来について解説していきたいと思います。
今回はvol.1ということで、スメールという国の名前の意味と、この国で最初に足を踏み入れることになるアビディアの森について解説していきます。
スメール Sumeru
スメールという国名はインドの様々な宗教の世界観に出てくる「スメール山」(もしくは「メール山」)という巨大な山の名前に由来します。仏教においては漢訳された際に「須弥山(しゅみせん)」と発音に即した訳(音訳)が当てられました。中国語表記でスメールが「须弥/須彌」となっているのはこれに由来します。
この神話的な巨山をスメール sumeru と呼ぶかメール meru と呼ぶかはその文献の宗教や時代によっても分かれますが、仏教では主にスメールと呼ぶ用例が多いようです。
須弥山を中心とするインドの世界観については定方 晟先生の『インド宇宙論大全』(春秋社)にて詳しく説かれています。興味のある方は読んでみてください。
テイワットにおけるスメールは様々な国がモチーフになっていますが、国名が仏教由来であることから、メインのモチーフはインドであることが推察できます。特に雨林の各地域の名称はほとんどがインドの古典語であるサンスクリット語で、そのほか一部のエリアにイランの言語が用いられているといった形です。
各地域の名称に用いられている言語は以下の通りです。
アビディアの森……サンスクリット語
ローカパーラ密林……サンスクリット語
アルダラビ河谷……サンスクリット語?※
アシャヴァンレルム……アヴェスタ語
ヴィシュッダ辺土……サンスクリット語
※実際の用例が存在しない単語(学者によってアヴェスタ語から再建された語形)が元になっていると思われます。少なくとも主要な辞書には対応する単語が載っていませんでした。
この記事のシリーズではこれらの地域を順番に解説していく予定です。
私はサンスクリット語を専門としているので他の言語については詳しくありませんが、必要に応じてアヴェスタ語の地名についても言及することになるかもしれません。
諸法の森 Dharma Forest
諸法の森 Dharma Forest はVer3.0アップデート直後の新エリア解放通知に記載されていたスメールの雨林地域に対する呼称です。
ダルマ dharma は一般に「理法」と訳される語です。法律、宗教的な教説/教理、功徳、本質……といった様々な語義を持つほか、現代インドの言語では宗教そのものも dharma と呼ばれますが、原義は「支え保つこと」です。
また、ダルマという概念は古代インドより続くヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の各宗教において重要なキーワードであり、様々な文献において「これからダルマについて語る」というような表現が出てきます。
ここでは、 dharma という語が持つ様々な意味を実際の用例とともに見てみましょう。
mithilāsthaḥ sa yogīndraḥ kṣaṇaṃ dhyātvābravīn munīn /
yasmin deśe mr̥gaḥ kr̥ṣṇas tasmin dharmān nibodhata // YājñSmr̥ 1.2
ミティラーに住する、かのヨーガ行者たちの王(ヤージュニャヴァルキヤ)は一瞬思案したのち、ムニ(尊者)たちに語った。
「黒カモシカの住む土地における諸々の正しい生き方を君たちは学べ」と。
日本語訳は筆者による
『ヤージュニャヴァルキヤ法典』はダルマシャーストラ(法典)の一つで、ヒンドゥー教のダルマシャーストラの中では『マヌ法典』に次いで有名なものです。
ここでいう「ミティラー」や「黒カモシカの住む土地」というのはインドの東側のあたりです。アーリヤ人は移住遊牧生活と定住を繰り返しながらインド亜大陸の北西から進入し、東へ向かって突き進んでいきました。その名残からか東側の地域を聖なる土地(アーリヤヴァルタ)と考えるようになり、法典などではそういった土地における dharma が「正しい生き方」なのだと説明されているというわけです。
nāmutra hi sahāyārthaṃ pitā mātā ca tiṣṭhataḥ /
na putradāraṃ na jñātir dharmas tiṣṭhati kevalaḥ // ManSmr̥ 4.239
というのも、あちら(死後の世界)には父も母も、妻子も親族も連れ立っては行かず、(生前に積み上げた)功徳だけが連れ立って行くから。
mr̥taṃ śarīram utsṛjya kāṣṭhaloṣṭasamaṃ kṣitau /
vimukhā bāndhavā yānti dharmas tam anugacchati // ManSmr̥ 4.241
tasmād dharmaṃ sahāyārthaṃ nityaṃ saṃcinuyāc chanaiḥ /
dharmeṇa hi sahāyena tamas tarati dustaram // ManSmr̥ 4.242
死体を木片と土とともに地中に放ってから、顔を背けて親族たちは [去って] 行く。彼(死んだ者)に功徳が付き従う。
それゆえ連れ立ってゆくことのために功徳を常に地道に積み上げてゆくべし。というのも、功徳という連れ合いによって [人は] 越え難い暗闇を渡ってゆくから。
日本語訳は筆者による
ヒンドゥー教を代表するダルマシャーストラの『マヌ法典』には、死後の世界に連れ立ってゆく(sahāya)ダルマというものが語られます。
基本的にダルマシャーストラの"ダルマ"は最初に示した用例のように「正しい生き方」のことを主に指しますが、ここでは生前に積み上げた功徳(すなわち正しい生き方を行った結果・善業の果報)を意味しています。
te punaḥ saṃskr̥tā dhārmā rūpādiskandhapañcakam / VAkK 1.7ab
また、有為法とは色などの五蘊(skandha)である。
日本語訳は筆者による
仏教における法 dharma は、文脈によってその意味するところが大きく異なります。
時には「釈尊の教え」であったり、時には「物事の本質」であったり、時には上に示したように「現象」や「構成要素」を指すこともあります。
Atha kho bhagavā bhikkhu āmantesi: "bhanda'dāni bhikkhave āmantayāmi vo. Vayadhammā saṅkhārā. Appamādena sampādetha. …
すると世尊(釈迦)は比丘たちに語りかけた。「さて今、比丘たちよ、私は君たちに語る。構成された諸要素は消滅を本性とする。慢心することなく君たちは [修行を] 完成させよ。…
日本語訳は筆者による
この一節は非常に有名なので、仏教に詳しい方なら聞いたことがあるかもしれません。
これはサンスクリット語ではなく、姉妹言語であるパーリ語による仏典での用例です。パーリ語についての詳しい説明は省きますが、主に初期仏典や上座部仏教で使われる言語として今は理解しておいてください。
ここでは dhamma (= dharma) が「事物の本質」として用いられています。
ダルマ dharma という語の示す意味の広さを語るにはnoteは少々狭すぎるのでここらへんにしましょう。
さて結局のところ、諸法の森 Dharma Forest という名称は「草神の教えが根付く森」を意味していると考えられます。
そしてそれは、スメールの国土において東側に位置する雨林地域の生活こそが「正しい生き方」であるということを示しているのかもしれません。
アビディアの森 Avidya Forest

アビディア Avidya は「無知」を意味する avidyā から来ているものと思われます。この単語はしばしば「学識」に関する無知、無理解を意味します。
仏教用語としてもよく知られ、漢訳では「無明」とされます。
ところで、スメールの固有名詞には、しばしば原語の発音から母音の長短が入れ替わるような形で語彙が取り入れられることがあります。たとえば代表的な例として、本人の亡き後もスメールで信仰を集めた先代の草神マハールッカデヴァータの"デヴァータ"は、パーリ語のデーヴァター devatā (「神格、精霊」)をそのまま用いるのではなく、母音の長短を入れ替えた形で名前に取り入れられています。
それを考慮するとアビディアもこのケースに倣ったものと見ることができるので、上記の語形で解釈しても問題ないはずです。
ですが、敢えてここでは念のためもう一つの可能性を考えてみましょう。
要するに、実際にアビディアという表記に即して短音の語形が元になっている可能性です。
もしアビディアという名が avidyā ではなく、ゲーム内の表記と同一の avidya という形から来ていると仮定すると、これは「無知」という実体詞(いわゆる狭い意味での"名詞")ではなく、「知識(vidyā-)を持たない」という意味の形容詞になります。
語末が短い母音になっているのは、印欧語の形容詞の性はその単語が修飾する実体詞の性に引っ張られるからで、 avidya の場合は、「人間」を意味するいくつかの男性名詞に掛かることが想定されます。(サンスクリット語においては -a- という短い母音の語幹は男性名詞もしくは中性名詞になります)
ちなみにこの avidya という語は『マヌ法典』の第9章に用例があります。
avidyānāṃ tu sarveṣāṃ īhātaś ced dhanaṃ bhavet /
samas tatra vibhāgaḥ syād apitrya iti dhāraṇā // ManSmr̥ 9.205
他方、 [息子たちのうち] 全ての人々が学識を持たず、もし [彼らの] 努力(肉体労働)から財産が生じるならば、 [それは] 父に由来するものではなく、 [財産の] 分配は均等になるべし、というのが確立した決まりである。
日本語訳は筆者による
仮に「アビディアの森」の由来がこの avidya という語形だとすれば、その意味は「知識(学識)を持たない人々の森」と解釈することができます。
この場合の「知識を持たない」というのは、アビディアの森に位置するガンダルヴァー村の人々が知識の探究にさほど興味を示さない暮らしをしていることを指して、そのように呼んでいるのではないかと私は考えました。
ガンダルヴァー村に暮らす人々はアーカーシャ端末を付けずに暮らしています。ガンダルヴァー村に特有の生活形態の人々である「ヴァナラ」(vanara: vana "森" + nara "人間"による造語)の中には、かつて学者であったものの教令院から離れ、村で余生を過ごす老人もいます。
アーカーシャによる知識の集積を行い、真理の探究を目指している教令院から見れば、それはまさに「学識から離れた」暮らしであり、それを指してアビディアの森と名付けられた、というのが私の推測です。
ガンダルヴァー村 Gandharva Ville
ゲーム内では「ガンダルヴァー」と音を伸ばす表記になっていますが、元になっている語は「ガンダルヴァ」 gandharva です。スメール実装直後はゲーム内でも字幕は「ガンダルヴァ村」となっていましたが、3.2あたりでボイスでの発音に合わせる形で長音の表記に変わったものと記憶しています。
ガンダルヴァとは天界に属する存在です。天界(dyaus/div)に属する(divya)存在ではあるものの、神々(deva)とは異なる存在として語られ、祭式に用いる重要な供物の一つであるソーマ(soma)を守護する者、音楽を奏でる者であることが様々な文献に示されています。
古代インドの神話にある「プルーラヴァスとウルヴァシー」の説話では、かつて祭火(agni)を持っていなかった人間にガンダルヴァたちが「祭式に適う火」を分け与える描写も見られます。
sā hovāca gandharvā vai te prātarvaraṃ dātārastaṃ vr̥ṇāsā iti taṃ vai me tvameva vr̥ṇīṣveti yuṣmākamevaiko'sānīti brūtāditi tasmai ha prātargandharvā varaṃ daduḥ sa hovāca yuṣmākamevaiko'sānīti // ŚB XI 5.1.12
彼女(ウルヴァシー)は言った。「ガンダルヴァたちが明朝、君に贈り物を与えることになっているのだ。それを君は選び取るがよい。それを私のために、他ならぬ君が選び取れ。『まさしく君たちの一員でありたい』と言え」と。彼(プルーラヴァス)にガンダルヴァたちは贈り物を与えた。彼は言った。「まさしく君たちの一員でありたい」と。
te hocuḥ na vai sā manuṣyeṣvagneryajñiyā tanūrasti yayeṣṭvāsmākamekaḥ syāditi tasmai ha sthālyāmopyāgnim pradaduraneneṣṭvāsmākameko bhaviṣyasīti … // ŚB XI 5.1.13
彼ら(ガンダルヴァたち)は言った。「人間たちには、そういう"火の祭式に適う姿"がないのだ、それを使って祭式をして、我々の一員になれるような [そういう姿は] 」と。彼に、平鉢に移してから祭火を差し出した。「これを使って祭式をしたあと、君は我々の一員になるだろう」(以降省略)
Śatapatha-Brāhmaṇa (Mādhyandina)
日本語訳は筆者による
また、ガンダルヴァたちは水の精霊アプサラス apsaras たちと親しい関係にあります。上に示した「プルーラヴァスとウルヴァシー」の説話の中にも、人間であるプルーラヴァス王と結婚したアプサラスのウルヴァシーが何年もそこに留まっているのを憂い、ガンダルヴァたちがウルヴァシーをプルーラヴァスのもとから取り返そうと画策する場面があります。
… tato ha gandharvāḥ samūdire jyog vā iyam urvaśī manuṣyeṣvavātsīd upajānīta yatheyam punar āgached iti … // ŚB XI 5.1.2
それゆえガンダルヴァたちは議論した。「このウルヴァシーは人々のもとに長く留まったのだ。彼女が再び戻ってくるように君たちは思案せよ」と。
Śatapatha-Brāhmaṇa (Mādhyandina)
日本語訳は筆者による
ガンダルヴァとアプサラスが並んで出てくる用例をもう一つご紹介します。
(…) taṃ puṇyaṃ gandhaṃ gandharvāpsarasā upa jīvanty
upajīvanīyo bhavati ya evaṃ veda || XVI,135.6
(前略)そういう良き香り(puṇya- gandha-)をガンダルヴァたちとアプサラスたちは糧として生きる(upa-√jīv)。以上のように理解している者は、 [良き香りが] 糧とされるべき者となる。
Atharva-Veda Paippalāda-Saṃhitā
日本語訳は筆者による
上に示した例のように、ガンダルヴァはその名から「香り gandha を糧とする」とされることがあります。ガンダルヴァー村のすぐ近くにはガンダ丘があり、ガンダ丘の名はまさにこの「香り」を意味していることから、この2つの地名には密接な関係があることが窺えます。
ちなみに、ガンダルヴァー村の名前は単にガンダルヴァから来ているのではなく、ガンダルヴァナガラ gandharvanagara (ガンダルヴァたちの都市; 蜃気楼)から来ているのだという説もあります。(海外Fandom wiki参照)
これは中国語表記の「化城郭」が『法華経』の「化城喩品」(けじょうゆぼん)に由来するようです。残念ながら私は仏教説話に関しては専門外なので、ここでは化城喩品がどういったあらすじなのかは省略させていただきます……。詳しく知りたい方はご自分で調べてみてください。
ガンダ丘 Gandha Hill
ガンダルヴァー村の項目で少し触れたとおり、ガンダ gandha は「香り」です。良い香りも悪い香りもひっくるめて gandha といい、また香りを放つものも gandha です。(香木、塗香に用いる軟膏など)
インド神話におけるガンダルヴァたちが「香り」を糧として生きるということを考慮すると、ガンダルヴァー村の人々はガンダ丘から得られる自然の恵みによって暮らしていることが窺えます。
ガンダ丘の中国語表記は「香醉坡」です。この由来はガンダマーダナ山 gandhamādana (香りに酔いしれるもの、酔わせる香り)という伝説上の山とされています。
ガンダマーダナ山にはガンダルヴァたちが住むとされていることと、ガンダルヴァー村の名前から、これがモチーフとなっている可能性はあるかもしれません。
また、ガンダマーダナ山は辞書によれば「メール山の東にある」とされています。(参考文献のMonier Williams 1899を参照; Kyoto-Harvard方式で入力する場合は"gandhamAdana"で検索すると結果が出てきます)
N. of a mountain (forming the division between Ilāvṛta and Bhadrāśva, to the east of Meru, renowned for its fragrant forests), MBh. ; Hariv. &c. (once gandha-madana, Hcat. i, 6, 24 )
これはちょうどガンダ丘がスメールシティの東にあるという地理関係と対応しているようにも思えます。(スメールシティをメール山=須弥山に見立てる)
ガンダルヴァー村とガンダ丘の名称については、単に gandharva と gandha の関係性から見ても密接な関連は説明できますし、ガンダマーダナ山を由来として見ても良いでしょう。どちらで解釈しても問題はないんじゃないかと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。これまではみなさんにとって呪文のように見えていた、得体の知れない言語の覚えづらい地名も、その背景にある意味がわかったことで少しでも覚えやすくなったことではないかと思います。
アビディアの森の中で今回触れなかったチンワト峡谷やヤザダハ池については、どなたかこの記事を読んだ方の中でアヴェスタ語やペルシャ語について詳しい方がいらっしゃったら補足していただけるとありがたいです。私はあくまでサンスクリット語の地名に専念したいと思います。(なぜならそれしか分からないので……)
さて、軽い気持ちで記事を書いたらだいぶ長くなりました。地名の解説というより語句の解説に重きを置いてしまったような気がします。用例を挙げる際には自分で日本語訳も付けてみましたが、正直これで合っているかは不安なものもいくつかあります。(手元に日本語訳が無いため正誤を検証できないものもいくつかありました。『アタルヴァ・ヴェーダ』とか『大般涅槃経』とか)
初めてのnoteということで少し気合が入りすぎたかもしれません。
次回(ローカパーラ密林とアルダラビ河谷を予定)はもっと短く、読みやすくまとめたいと思います。
この記事が少しでも皆さんが原神をより深く楽しむための一助となれたら幸いです。
参考文献
当記事で説明した内容についてもっと詳しく知りたい方は以下の文献を参照してください。特に重要な文献は太字で示します。
辞書については、オンライン版が存在するものはリンク付きにして示しました。
概説書・論集
Benjamin W. Fortson IV "Indo-European Language and Culture: An Introduction" 2nd Ed. 2010
藤井正人、手嶋英貴編『ブラフマニズムとヒンドゥイズム』全二巻, 2022
辻直四郎『インド文明の曙―ヴェーダとウパニシャッド』1967
定方晟『インド宇宙論大全』2011
文法書
後藤敏文 "Old Indo-Aryan Morphology and It's Indo-Iranian Background" 2013
W.D. Whitney "Sanskrit Grammar" 1924
A.A. Macdonell "Vedic Grammar" 1910 (Reprint 2007)
J.ゴンダ著, 鎧淳訳 『サンスクリット語初等文法 練習題, 選文付』
Berthold Delbrück "Altindische Syntax" 1888
J.S. Speijer "Sanskrit Syntax" 1886
辞書
Monier Williams "Sanskrit-English Dictionary" 1899
Otto von Böhtlingk, Rudolph Roth "Sanskrit Wörterbuch, herausgegeben von der kaiserlichen Akademie der Wissenschaften" 1855
Manfred Mayrhofer "Etymologisches Wörterbuch des Altindoarischen" Band 1-2, 1996
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