いい表情で生きていく
私は、この先、とてもいい表情で生きていきたいと思っている。
今の自分の顔には、今の自分というものが隠されることなくそのままでているんじゃないかと思う。
私が仕事をしていたときの話。
すべき事や考えなくてはいけない事だったり、職場の雰囲気、色々なことからストレスを受けていたんだと思う。
仕事を始めてから、春と秋にくる咳喘息みたいな症状が始まった。しかも、この時期が繁忙期だったから、咳や花粉症の症状とともに忙しさに追われ、体調の悪さも常に一緒だった。
(職場にいた皆さんも文句も言わずにいてくださってありがたかった)
さらに、働き初めて1年後くらい。
急遽、先輩が来れなくなり、その先輩の仕事を戻ってくるまで受け持つことになった。
担当させていただいた仕事もなんだか中身がグダグダでどうしたらいいかわからなかった。
とにかく1人分の穴をみんなで必死に埋めようとしていた。
そんなに人数がいない中、みんなで手を合わせて走り続けていた。
誰かが急に来れなくなってもおかしくないと思っていた。
みんな不調を抱えていた。
私も、仕事を受け継いでから1ヶ月後くらいに、仕事中に突然、涙が出る日が続いた。
その後も毎月ではなかったけど、退職を決意して伝えるまでに何度も何度もあった。
バレないように必死で毎回止めてたけど、1回だけ、涙を止めることが出来なかった。
その先輩が辞めると聞いた日だった。
私だけでなく、他の先輩も辛い状態だった。
その時の私は酷かったと思う。
余裕がなさすぎて、言葉がキツくなってしまったり、目がキツくなっていった。
次第に顔までキツくなった。尖っていた。
余裕がないせいで、関係ないはずの家族にも当たっていた。
鏡で顔をちゃんと久々にみた時に凄く驚いた。
私はこんなに怖い顔をして生きていたんだって。
その当時の私は、聞いたところによると、常に不安そうな顔をしていたと先輩方はおっしゃっていたけど。
その時に思ったことが、
私はこんな表情でこれからを生きていたくはない。
人相が悪すぎる!!!
ってことだった。
多分、私は息抜きの仕方も下手くそで、休みの日に自分の中にある毒を全部抜けきらないまま、さらに仕事で、毒を重ねて行ってしまったんだと思う。
自分のことしか考えられなくて、一緒に働いてくれてる人を両目でみずに片目でチラッとしかみれてなかった。
表情に気づいてからは、自分の機嫌を100%は難しくても、少しでも毒が抜けるように好きなもの=音楽をとにかく流した。
余裕がないと、
『普通はここまでの範囲が仕事って認識じゃないの?』
と、自分の中にあるルールみたいなものが世の中の常識だと勘違いをしすぎてしまう。
だから、その考えを押し付けようとしてしまい、互いに上手くいかなくなる。
みんな、性格も育ってきた環境も考え方も違うってことの方が“当たり前“。
自分視点ではなく、相手の視点で考えるようにして、否定するんじゃなくて、自分と違う考え方もあるよね。と一旦受け止める。
忙しい中、少しでもやってくれてありがとうと考え方をポジティブに持っていくように気をつけた。
そして、一番大事な表情も。
口角を上げることをマスクの中でも意識した。
目にも自分が出やすいから、鋭くならないように気をつけた。
そうしたら、だんだんとよい方向に向かっていった。
辛くても苦しくても、今のその感情にばかり振り回されてしまうんではなくて、
どこかに余裕の置き場所をちゃんと取っておく。
ふと、鏡をみたときに好ましくない表情であっても、私が落ち着ける表情への帰り方をわかっていたらいいなと思う。
表情や目は何よりも自分の内面を映し出していると思うから。
だから、内側が苦しくても、外側でいい表情ができているならば、希望がある気がする。
学生のとき、通学のために電車に乗っていた。
暗い表情で死んだ目をした大人もたくさんみた。
日々、自分の中に生まれる感情を隠したり、消すように、必死で自分を抑えなきゃいけない。
でも、そうすると、だんだん当たり前じゃなかったはずなのに、我慢が当たり前になって、自分だったはずの子が迷子になってしまうように思う。
言いたいことを全部言いづらいし、隠さなきゃならないことも多いけど、そこに自分の全てを持っていかれたくない。
小さな頃から大人になりきれない自分だったり、自分という存在を見失わないように、そこは守れるように、線を引く。
怖い表情になってしまった人よりいい表情で生きていける人の方が素敵にみえる。
だから、私はいつでも口角が上がっているようになりたい。
よく笑っていたい。
目もいきいきした目でいたい。
声も小さくて、暗い感じじゃなくて、ゆっくり話して、ある程度は聴こえやすい声でいたい。
雰囲気も明るくいたい。
人生を楽しんでいたい。
それが表情からわかるような人になりたい。
そうした方が、
雰囲気もとてもよいし、話かけやすくもある。
いつでもが難しいなら、そこまで気をつけられない日があるなら、
せめて、私は、
人生を生きることに前向きな表情でいたい。
辛さに私がやられて、人生を諦めたような表情では生きていたくない。
だから、私はいい表情で生きていきたい。
自分の中の小さな自分を守るためにも、私が私を嫌いにならないように。
表情(自分)が帰り道(自分)を見失わないように。