世界は優しい人だらけ


もともと悪い人はいないんだろうな…と思い始めている。
きっと、人間はみんな優しさを持っている…
と、25歳の私は考えている。

でも、この人、なんか嫌だなと感じることだって当然何度もある。それは、私には優しさを向けられなかっただけ。
その人にとって、優しくしたいと思う人やその対象には向けられるものなんだろうな。と思う。

だから私からみて、私に対して優しい人もいるし、嫌な人もいる。
でも、私からみて嫌な人は、誰かにとったら、優しい人なんだろうな…
と、嫌な人に会うたびに自分を落ちつける。
気分はよくないが、そのことで頭を占領される方が嫌だ。
振り回されるな!同じ態度をしたら、同じような人間になってしまう!この人間によって、私の中の感情に翳りを差してしまうものか!と、心の中の私がメラメラしそうな私を鎮めている。

もしかしたら、なんだこの人!嫌いだ!と思っても、その人にとっての優しさを私が優しさとは定義していなかったりしたりするってこともあったりしたかもしれない…。


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知らない人に対しては、噂だとか、誰かを通したフィルターからその人はこういう人らしいよって、裏に隠れてる断定と一緒に受け取ることが多い。

噂 というものが私はあまり好きではない。
とくに悪い噂なんだけれども。
私は私の目でみて聞いて感じたことを信じたいと思っているから。
いい噂なら、気持ちの60%くらいで信じることもあるけど、悪い噂なら全てを鵜呑みにしたくはないと思う。
噂されるくらいだから、少しはその要素を含んでいるんだろうけど。

噂は、多分、その噂をした人の主観がよく反映されてるんじゃないかと思う。
同じように感じる人が多くいる場合、色々噂にくっついて、それが真実かのように広まるんだろう。
(もしかしたら、私もそう感じるかもしれないけど)

なんか、それは悔しい。
もし、本当だとしても、
誰かの主観により、影響されやすい私は自分で考えることよりも、その考え方ばかり頭に浮かんでしまうから。
なかなか消すこともできないし…

私はまっさらなまま私にその人やモノ・コトがどう見えるかを知りたいんだ。
私が好きか嫌か、普通かを判断したい。

だって、私だって、仲良い友人だって、多分たくさんの面を持っていて、全ての面にお会いできるとも限らない。
私にみせてる顔、見えてる顔、
他の人にみせてる顔は、多分違う。
私はそう。
意識してる時もあれば、意識してない時もある。
偽物じゃなくて、全部私なんだ。
ある人は、私を長女っぽいといい、
ある人は、私を末っ子っぽいという。
わざとじゃない。

でも、友人や知人によって接し方は違うのも覚えがある。
この人は、憎まれ口を聞きながらがお互いいい関係だ、とか。
この人は、私にあまりに優しいから、つい甘えてしまっている、とか。
この人と仕事をするためには、私の話をちゃんと聞いてもらえるようにしないといけないから、出来るだけ下手にならないよう、しっかりした態度で仕事もちゃんとやらないといけないと、とか。


それぞれの人にみせないようにしてるわけではないけれど、出す必要がなかったり、無意識だったりで、友人も知人も私に対して知らない面が出てきてしまうだろうし、全部を知ってます!は、それは難しい気がする。知っていると思っていても、つきあう人が増えれば、私の‘面’は増えていくかもしれない。


それと近いんじゃないかと思う。
だから、
私は、優しさを持っていない人はいないんじゃないかと思う。
ただ、優しさを向ける対象に私が入っていないだけ、私の優しいがその人の優しいと定義が違うだけ。
私がその人に対して知ってると思っている面が少ないだけで、みる必要がなかっただけ。

ただそれだけ。

だと、25歳の私は思っているんです。

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