[日記]慢性的苦しみを解いて
11月17日(日)の日記
9時起床。昨日は夜更かしするつもりで、リビングで母とYouTubeを観ながらだらだらと話していたが、日付を回る頃に眠気の限界が来て落ちるように眠ったのだった。大事な就職活動をしているのに本番で寝坊ばかりしてしまう夢を見た。起きて、夢の中で抱いていたどうしようもない不安の塊みたいなものがまだ肺の辺りにあることを感じつつ、顔を洗ってサーモンのオープンサンドを作って母と食べた。食べ終わる頃には不安の塊は消えていた。
金曜の夜から帰省してきている。大学時代まで22年間住んだ家を、就職活動を機に出てから半年が経った。地元の友達は少ないし、人並みに親とも妹とも喧嘩した。途中で犬を飼いたいと私が言い出したために現在は13歳のトイプードルもいる。自分の家が「実家」になるまで、家族のことを考えたことはなかった。そんなに好きでもないなとさえ思っていたかもしれない。不自由はしていないが特に裕福なわけでもないと思う。夫婦喧嘩もそれなりにあったし、家族に対して不満も多かった。唯一の味方は白色のトイプードルだけだと思い、受験や就活を乗り越えてきたように感じる。でもきっとみんな味方なのだろうな。「実家」になってから露骨に自分の中での家族に対する想いが変化して恥ずかしいので誰にも言えない。誰にも言えない代わりになるべく帰省するようにしている。
午前中に祖母が訪ねてきて、昨日私が作っていたバスクチーズケーキをみんなで食べた。ちゃっと作ったケーキだったけれど喜んでくれて嬉しくなった。お昼には母と近所のカルディに出かけてクリスマス仕様の店内に浮かれた。恋人と住み始めたら、ホットワインをちまちまと飲んだりシュトーレンを買ったりしたい。ひとりでもすればいいのだけれど、やっぱりふたりでしたい。
愛犬の具合は相変わらず芳しくないけれど、一時期ほど終わった感じでもなくなった。薬が効いている時間は見慣れた姿で干し芋をねだるし、冷蔵庫の音に反応するくいしんぼうな面も見せてくれる。ずっと元気でいてくれ、なんてエゴかもしれないが、エゴを押し付けたくなるほど好きなことを、犬はわかってくれているかしら。
近所の古本屋に散歩がてら行ってみた。行くたびにゲームやカードのコーナーに古本コーナーが侵食されている。寂しさもあったけれど、この古本屋がここにあるためなら仕方ないような気もする。古本コーナーがなくなる日までは通いたい。3冊の小説を買って帰宅。適当に履いてきた妹の靴が合わなくて痛いので寄り道はなし。
夕食は肉じゃがとかつおのたたきだった。ひとり暮らしではありえない豊かな食事。妹はバイトらしいので、父と母と3人で食卓を囲む。父はあまり喋らないので私と母が主に会話をしている。母は父にも話してほしそうにしているが、それを言ったところで頑固な父は何かを話すようにはならないだろう。諦めればいいのになあ、と思いつつ、諦めればいいのにと思うなんてなんて冷酷なんだ、とも自分に思う。期待しない、とか、人は人、みたいな風潮にうんざりしている。そんな寂しい世界で生きていたくない。けれども私は人生で何度も「ドライだね」と言われてしまったことがあるし、自分でも優しくない人間だと思う。世を、他人を冷笑して自分を守っているのは誰よりも自分なのだろう。かなしい。
愛犬とのツーショットを撮って、父に駅まで送ってもらった。ずっと聴きたかったパンプの「花の名」を聴きながら帰る。私は一体何をしているのだろう。私のことを好きでいてくれている家族を置いて、恋人とも遠い地で、したくないことをしている。それがどんなに苦しくても、「すべきこと」であることは理解している。どんなに理解しても、それが無駄にはならなくても、ただ今が苦しい。今が苦しいと言いつつ、好きなYouTubeを見て笑い、読むのが楽しみな小説がカバンの中にはある。苦しいという権利はないと思う。てか、ほんとうに苦しいのだろうか。苦しいということが口癖にはなっていないか。味方は多い。明日は明るい。働いて、好きなものを買って、好きな人を喜ばせよう。頑張らないけれど、やるしかないことをやろう。自分に負けない強さを、一日も早く手に入れられますように。魔法は努力しかないこの世で。
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