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ふたりだけになりたい


恋人が東京から広島まで会いに来てくれた。遊びに来たとか、何かを観に来たとかでなく、私に会いに来てくれた。忘れたくない思い出を記します。


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新幹線改札から出てきた恋人は、最後に会ったときにプレゼントしたポロシャツを着てくれていた。お互いの形を確かめ合うように確かに、それでいて触ってはいけないものをこっそり撫でるみたいに柔らかく手を繋いだ。1ヶ月半も会えていなかったから、さすがに少し緊張した。彼の脳内の私よりも可愛くなかったらどうしようとか、前髪の生え際のうねりが見えちゃってないかなとか、色々が不安になったけれど、何よりもの直接目を見て話せる喜びで全てがかき消された。会えた、会えた、やっと会えたんだ。


「チェーン居酒屋でふたりで飲んだことないよね」という話が前からあったので、私の家の最寄り駅の大衆居酒屋へ。唐揚げやお造りや山芋の何かやら、雑多に注文してお酒を飲む。私の好きな人は居酒屋で一杯目にジンジャーハイを飲む人だった。なんかもっと好きになってしまった。合コンごっこと言って足を踏んだりふくらはぎをつついたりした。日が変わった頃にお店を出て、夜の道をふたりで歩く。途中、ファミリーマートに寄って、彼がデザートにプリンを買ってくれた。彼が私の部屋に来た。彼が私のソファに座った。なんだか現実味がなくて、CGで彼を投影しているみたいに感じた。話し足りなくて、プリンを食べながらダラダラしていたら明け方4時になっていた。慌てるように眠る。会っていない間に、何度も小さなベッドにふたりで眠っていることを想像した。想像の中では狭すぎてどちらかが落ちていたのに、現実ではパズルのように組み合って眠ることができた。



翌朝、想定より早く起きることが出来たので身支度をしてパン屋さんへ。彼が青色のシャツを着ていたから、私も青いチェックのスカートを履いた。パン屋さんには海外からの観光客も多くいて、6,000円分ほどの大量のパンを買っていた。街のパン屋さんではあまり見かけないパンも多くあって海外っぽい雰囲気にふたりで浮かれた。計4個のパンとドリンクを手に入れ、お店の前のテラス席へ。ひとりだとせいぜい2つしか食べられないけれど、ふたりでいると4種類のパンを食べられる。小さいけれど大切な幸せ。

彼がこのバゲットを振るおじさんの真似をしていた


お昼前の「金曜ロードショーとジブリ展」のチケットを予約していたため、路面電車に乗って美術館へ。展示はジブリの歴史だけでなく、タイトル通りに金曜ロードショーのこれまでも辿るようなものでおもしろかった。スタジオジブリはなんだか部室みたいだ。熱のある青春を感じる。「風の谷のナウシカ」のコーナーで子供が怖い怖いと泣き叫んでいた。そりゃ怖いよな。慰めの視線を送る。

なりきりもできました


美術館を後に、まっすぐ宮島へ向かう。ほんとうは明日行く予定にしていたのだけれど、天気が悪そうだと話していたら彼が「今日行っちゃう?」という名案を出してくれたので従った。私の思いつかないことを彼はいつもたくさん思いついてくれる。それが助かることだったり、楽しいことだったりする。ふたりの脳みそが違っていてよかったな。


路面電車でフェリー乗り場まで約1時間。田舎道を進む。なんだかこういう時間を楽しく過ごせるって当たり前じゃないよなと思う。話してたらあっという間だった、なんてふたりの間では当たり前みたいになっているけれど、きっとこれは普通に奇跡だ。


電車を降りてフェリーに乗る。強い風には潮がたっぷりと含まれていて前髪がベタベタになったし、オールバックで可愛くなかっただろうけれど、それでも彼の目を見て笑った。楽しくて、それを共有したかった。彼もオールバックになって笑っていた。厳島神社の鳥居は小学生の頃に祖父母と行ったときの記憶よりも神聖な感じがして、山の緑と海の青に、鳥居の赤が映えていた。


到着すると鹿が出迎えてくれた。触ったり餌をあげたりすることはできないけれど、見ているだけで癒された。犬や猫に比べたらかなり大きい動物なのに全く恐怖心がないのは鹿の穏やかな表情のおかげだろうな。焼き牡蠣にレモンソーダ、揚げもみじまんじゅうを食べ歩きした。焼き牡蠣はひとつが大きくて、飴みたいにずっと口の中で転がしたいほど美味しかった。美味しいものを分け合って食べられるの、かなり嬉しい。


帰りはJRで私の家の最寄り駅まで戻って、夜に餃子定食を食べた。地元の人の間で有名なようで、持ち帰りでたくさん買っていく人が何人もいた。店主の都合でしばらく休業するらしく、その前に来られてラッキーだった。猫舌の私はひいひい言いながらになってしまったけれど、美味しい餃子だった。彼とは餃子を手作りしたこともあるけれど、今日また餃子にまつわる思い出が増えた。


夜、アイス屋さんまで散歩をした。私が調べた限りでは閉まっているようだったけれど、彼がもしかしたら営業中かも、という情報を見つけてくれて「無駄になるかもしれないけど行ってみよう」とふたりで夜の街を歩いた。「開いてなかったらハーゲンダッツ買っちゃおうね」と話した。ふたりでいたら楽しいことだけを考えていられる。夜の風は少しぬるくて、川の水面に映る街灯が小さくて可愛かった。

営業中でした🍨😼


翌日は朝から雨だった。バゲットを使ってフレンチトーストを作る。フレンチトーストを食べながら東海オンエアを観る。先に支度のできた彼が洗い物をしてくれたり、私のスマホで自撮りをしたりしていてありがたかった。後から見たら支度している私を撮ったものもあって、それはひどい猫背で髪を巻いているいいとは言えない姿だったのだけれど、彼が撮ってくれたというだけで特別な気がするから彼はすごい。


予定していたお好み焼き屋さんには長蛇の列ができていたため、近くのつけ麺屋さんに入った。急に予定が変わっても楽しめるのが嬉しい。サイドのからあげも頼んで分け合った。なぜか店内には同じ日付の三四郎のサインがふたつあった。映画館に行くための電車は発車が遅れて、日曜日の昼間とは思えないほど静かな車内が、雨の日に早く登校して濡れた靴下を履き替えながら隣の席の人と文句を言うみたいな、カジュアルな静謐さを思わせた。



ルックバックを観た。何度も泣いた。漫画で読んでいた時よりも藤野のかっこよさが際立っていた。メタ的だけれどこんな作品をチェンソーマンの作者が描いてくれているという事実に人間の素晴らしささえ感じた。原作も短い漫画だし、映画も1時間しかなかったのだけれど、2時間あっても楽しめただろうと思う。隣の席の人がやたらスマホを見ているのだけがノイズでしたが、好きな人と映画を観るって素晴らしい思い出なので。そんな小さな雑音、私の世界には入れてやんない。


無印でカオマンガイの素を買って帰宅。家に着くまでも電車の乗り場を間違えたり、降りるべき駅で降りそこねそうになったりといつものヘンテコを重ねまくっていたが全てを彼が救ってくれた。こういうとき、私はどういうところで彼を救えているんだろうと少しだけ不安になる。あまりにも自分が無力で。


無印のカオマンガイはお手軽なのにかなり美味しくてよかった。添えるためにカラフルなミニトマトを買ったのが功を奏して夏の一皿として完成していた。夜、ここには書けないふざけをかまして睡眠。今日も一緒に眠れて嬉しいよ。


翌朝、彼の体があったかいというよりむしろ熱くて、熱を測ると40度近くあった。力づくで病院に向かわせて、重病でないことを確かめてもらって、今日は私の家で寝る日にした。ずっと汗をかいてしんどそうなのにかなり不謹慎だけれど、腕の中であつあつの彼が眠っていることに幸せを感じてしまった。彼は強がりなので、今日もへらへらしていたし病院に行くことも拒んでいた(実際、見知らぬ土地で病院にかかるのは怖いことだと思う、配慮が足りずゴリ押しで病院に向かわせたので反省しています、ごめんね)。そんな彼がこんなにも近くで健やかに、とはあまりに言えない姿ではあるけれど、眠っている。いちばん弱い姿をずっと見せてね。


思いがけず彼の広島滞在が延長になって嬉しい気持ちもあるけれど、それよりも心配もあるし私は明日から仕事がある。家のことを済ませてふたりで早めに就寝。


翌朝も彼は寝込んでいたが、私は仕事へ。心配な気持ちはもちろんあったけれど、家に帰れば彼がいるという嬉しさが足を動かしてくれる朝だった。そんな日を2日くらい過ごして、彼の熱も下がって、私が仕事に行っている間に洗濯をしたり買い物に行ったり晩ご飯まで作ってくれたりした。わざわざバターを買って作ってくれたオムライスは洋食屋さんの味がした。もう数え切れないくらい思っているけれど、一緒に住みたいなと思った。それは家事を分担できるからとか、生活の負荷が減るからとはではなく、じゃあなぜかと問われたら稚拙にも「好きだから」としか答えようのない感情から思ったことだった。


彼が東京へ帰る日は、昼間に喫茶店でカレーを食べて、カフェに行って、あまりの街の暑さに茹だり、駄菓子を300円ずつ買って家に帰って2人で麻雀ゲームをした。ふたりで住んだらテレビを買おうねという話もした。ある夜にはブックオフへ行き、夜の川沿いを散歩した。「モテキ」も一緒に観た。「何者」も観た。一緒にお風呂に入った。そんなことをひとつずつ思い出しながら打っていたら大負けした。最終の新幹線の時間が迫る。


自宅の最寄り駅から広島駅までの在来線から見えた空があまりに綺麗で、なんだか出来すぎていると思った。演出などいらないくらいの恋なのに、マジックアワーの空が感傷を呼び起こしてくる。彼が「帰る側ってキツイね」と言っていたので、せめて私はいつもより平気なフリをしていようと思って、泣きそうになったら「空が綺麗だね」と言って空を見て誤魔化した。ホームで新幹線が来るのを待っているだけの時間、たくさんのことを話したわけではないけれど、隣に彼がいることをいちばん強く感じた時間かもしれない。行かないで、ずっといて、と本気で思っているのに冗談っぽくしか言えないのは、彼も同じ気持ちなのをわかっているからだ。「〇〇のために頑張りたいのに俺は俺のためにしか頑張っていない気がする」と言われた。十分私のために頑張ってくれているということを、私の辞書をひっくり返して言葉を拾って伝えたけれど、もっと上手く言えた気もする。それぞれの土地で、今はそれぞれを頑張るしかない。こんなところで何やってんだろ、と思うこともあるけれど、こんなところでひとりでするしかないことがたくさんある。未来を近くに手繰り寄せられる糸ならば、決してちぎれないように引ける自信があるのに、その糸は現実の形をしていて、働いて食べて眠ることを繰り返すことでしか近づかない。新幹線が来る。彼をここまで連れてきてくれた乗り物が、今度は彼を連れて行ってしまう。すぐに発車した。見えなくなるまで手を振って、少しだけ新幹線を睨んで、そのあと無事に着くことを祈った。


家に帰ると、ベッドの上にもソファの左側にもキッチンにも彼がいるのに、いなかった。彼の影をなぞって泣いた。なぞれる影があることが嬉しくて泣いた。ずっと、ずっとふたりでいようね。

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