[日記]何ももう考えるな
11/13(水)の日記
6時45分起床。現在、研修という名の会社の尻拭いのためにいつものオフィスではなくとある土地の工場に勤務しているため、約1ヶ月間のホテル生活中である。
「会社の尻拭い」を詳しく書くとなんだかダメな気もするのであまり書かないが、先輩たちが後先を考えていないツケがなぜか新入社員に押し付けられ、私を含めた約10人が工場に派遣されている状況である。1ヶ月もあるのになぜか毎日ホテルの部屋移動のために荷物を全部持ち出しているし、禁煙部屋と聞いていたのに喫煙部屋だったこともある。莫大なホテル等の費用に苛立つ上司に「まあいい経験になるよ」という適当な言葉で見送られた先の工場で、パートの方々と分かり合えない日々を過ごして早1週間が経った。毎晩泣いている。泣きたくないのに涙が出てくるし、今日は仕事に絶望しすぎて午後5時に嘔吐しそうになったのを必死に堪えた。
限りある人生の中にこんな時間があることが許せない。決して勘違いしてほしくないので、書くことで逆にそう解釈されてしまうことを恐れずにあえて書くとするならば、「こんな時間」というのは単純に「工場での立ち仕事」を指すのではなく、会社の尻拭いのくせしてそれを誤魔化そうと「研修」という名であたかも我々のためのような顔をしている会社上層部への不満と、この会社に就職先を決定した私自身の選択の誤りへの悲しみを踏まえた上での「工場での立ち仕事」である。ホワイトカラーだとかブルーカラーだとかの話ではない。
ホテルの朝食は美味しい。毎日毎日狂ったように納豆ご飯を食べている日常に比べればパンとご飯の選択の余地があるだけありがたい。口に合わないおかずもあるが、朝食バイキングとはそういうものである。昼食は節約のためにパックごはんにふりかけをかけたものを食べている。先日、帰省した際に祖母に話すとあまりに同情されて泣かせてしまうところだった。この世代の人に食べられていない話は不適切だった。夜は必然的に外食になってしまうが、好きなものを選んで食べられているので幸せである。
実家の愛犬の調子が昨日から急に悪くなったらしい。父と母が病院に連れて行ってくれて、原因はわかっているのだが、重病というより老化の影響が大半なため、経過を見守ることしかできないのがつらい。あんなによく食べていた干し芋すら受け付けないらしく、昨日は愛犬の死を想像したら涙が止まらなくなってしまい、風呂桶の中で2時間泣いていたらお湯が水になった。ありえないほど目が腫れた朝が来た。恋人との電話でも私がしくしくと泣きながら愛犬の様子を伝えると、ありがたい言葉をいくつもくれたおかげで今日は比較的冷静になれた。その時が来ても、愛犬は私のことをいちばん好きなので、穏やかに見送ってあげたい。あちらの世界では私の愚痴でも言い合って他の犬と仲良く暮らせたらいいな。夢の中では毎日遊びましょうね。と、こんなことを言っているが、ここから嘘くらい回復して苦しみのない状態で長生きしてくれるのがいちばん嬉しいのだけれど、もう十分長生きの年齢ではあるので強くは望まない。いつも私の母が言うように、楽しいのがいちばんだから。
さて、工場労働ではそんなことばかり考えている。実家の親と出かけたいし、愛犬を撫でたいし、恋人に会いたい。それなのに、望まない仕事を「研修」という下手くそな理由づけで納得するよう促されても無理なものは無理だ。てか、こういうふうに考えずにぼんやり働けば、少し足腰肩が疲れるだけの楽な仕事ではある。給料もいつもと変わらないのだし。考えるな、考えるな、もっとぼんやりしろ。でも、そんなの生きている意味がないとも思ってしまう。愛犬の死を想像し、涙が出る。労働が苦痛で涙が出る。考えて考えて鬱のループに入って馬鹿みたいに泣けばいいような気もしてきた。明日も目が腫れていようとどうでもいい。考えるな、だけど考えろ。いつも好きな人や好きな犬のことだけを、もっともっと考えろ。
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