見出し画像

凌ぐ

今年も終わる。年内はもう記事は書かないと思っていたけれど、意外と書く時間があったので振り返ってみようと思う。「実家は意外とやることない」みたいなNetflixのコピーは秀逸だったが、犬のブラッシングをしてドラマを一気見して、近所のスーパーに行って母の隣でレタスを洗っていると、あっという間に夜になるから実家もそこそこやることがあるとも言える。noteはいつでもどこでも書けるもんね。


1年前はスターバックスでアルバイトをしながら卒論を書いていた。スタバでバイトをしていた日々は自信となって今でも私を支えている。見ず知らずの人を大切に思う気持ちを初めて知った場所だった。心から相手を尊重できるところが自分にもあるのだということが、自分のことをどうしても許せないときに救いになる。


卒論を書いているとき、ゼミの先生に「こんな研究ごっこして何になるんですか」と悪態をついてしまったことは今でも悔やまれるけれど、そのとき返してくれた先生の言葉は大人らしくて、もう22歳でも先生という立場に守られる学生でいられているのだということを強く感じられて嬉しかったことを覚えている。ギリギリまで書いていた。彼氏と快活クラブで朝まで書いたこともあった。途中でパイの実を買いにファミリーマートに行った。いい夜だった。


恋人にお誕生日を祝ってもらい、2人で尾道に行き、大学を卒業した直後、ふたりきりで東京で過ごした。何もない部屋に不釣り合いなカリタのドリッパーを使ってスタバのTOKYOローストという深煎りの豆でコーヒーを淹れた。美味しかったな。浅草、上野、東京タワー、彼の街、東京のいろいろな場所に行った。お互い実家で大学生をしていたから、卒業してしまって、何の身分もない状態で空っぽのアパートに敷いた一組の布団で眠るのは新鮮で、少し悪いことみたいで、でもそれ以上の幸福があった。


4月から社会人が始まった。研修の最終日に恵比寿のホテルで行われた立食パーティでは、役員が現れるまでなぜか会話を禁じられて黙って待つ時間があり、ビールの注ぎ方を指導された。あらゆる意味で「日本の大企業」という感じだった。同期にはずっと恵まれていた。中学生の頃に米津玄師を聴いていた話や出版社に落ちた話で盛り上がった。


配属されたのは広島だった。東京で出版社や食品メーカーを相手に営業職をするつもりで入社したのに、土地だけでなく仕事内容も全く違うものになった。10日以内に引っ越せと言われ、引っ越した。簿記を取れと言われて取った。残業もした。何度もお菓子をもらったり、初めての一人暮らしを気にかけてもらったりした。それでもつらかった。一番歳の近い先輩が40歳であるという環境が苦しかった。他の部署には同期も歳の近い先輩もいるけれど、それではまぎれなかった。贅沢なことを言っているのはわかっている。わかっているけれど、入社前に私がしたかったことをできている同期もいることがつらい。蓋をして、目の前の数字だけを見た。だんだん変な形に見えてきて、自分が泣いていることに気づいたこともあった。


実家にたくさん帰れた。両親のこともペットの犬のことも妹のことも、地元の街のことも今までより大切になった。東京にも月に1〜2回は行った。彼もこちらへ来てくれた。彼に会えることが生活の光で、希望で、そのままに愛で、こんなに遠いのにずっと近くにいてくれた。周りの人に自分がどれだけ大切にされているかがよくわかった。その割に大事にできなかった人もたくさんいる気がするけれど、大事にされてないと感じることもあったけれど、自分が自分のことをあまり大切にできなかったけれど、それでも、今日まで生きてきたのはほんとうだ。


もうひとり暮らしには飽きた。いい1年だったのだろうか。わからない。もう働きたくない、ひとりになりたくない、嫌いなことに対して「そこまで嫌いじゃないですよ」という顔をしたくない。もっと自分のままで来年は仕事をしようと思う。どうにか凌いだ1年だった。来年はもっと幸福に、幸福だけで生きていけたらいいのだけれど、あなたと私と、私の大切な人が。健全な精神のために、まずは健全な肉体を手に入れたい。長生きしたいし。また来年もよろしくお願いします。健やかな年越しをᕦ(ò_óˇ)ᕤじゃない

いいなと思ったら応援しよう!