鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~6.記憶
前回の首都圏バタバタ限界旅行編はこちら
6. 記憶
16日目:2015/08/11快晴 新横浜→塩尻(松本泊)
119本目:新横浜6:00→新幹線ひかり493号493A→小田原6:15 0h15m
この日は新横浜始発の新幹線です。「のぞみ」ではなく「ひかり」、つまり最速達種別ではありませんが、新大阪・新神戸まで先着します。しかし、次の小田原ですぐに下車。15分弱。
120本目:小田原6:22→普通723M→熱海6:45 0h23m
そのあとは、東海道線。JR東日本区間を西へ進みます。小田原を過ぎるとすぐにトンネルと海景色が続き、東海道線でも風景が美しい区間に入ります。それを過ぎると熱海に到着。この先はJR東海区間に入るので基本的に車両も交代します。
121本目:熱海6:49→普通425M→三島7:01 0h12m
長いトンネルを抜けると函南、もう一駅行くと三島です。あれ、新幹線にすれば一駅ですが短い気がする。でも駅間距離はそこそこ。ただこのままいってしまうと沼津~富士はすでに通過した区間。この区間を新幹線に乗り換えてスルーすることで回避します。
122本目:三島7:27→新幹線こだま631号631A→静岡7:54 0h27m
こだま号に乗り換えて静岡までワープ。こだまでもやっぱり静岡まで30分かからないのならやっぱり早い。
この日は天気がいい。単にいいだけではなく富士山の頂上が雲に隠れていないくらい飛びぬけてよい。この東海道線と東海道新幹線の静岡区間は何度も乗っていますが富士山の頂上を拝むことができるのは珍しい。運がよくないとダメなんです。
123本目:静岡7:59→普通143M→島田8:27 0h28m
静岡に降りてもう一度普通列車に乗り換え。ただこの列車は島田止まりなんですよね。というわけで強制下車で後続の列車に乗り換え。
124本目:島田8:33→普通425M→浜松9:19 0h46m
で、乗った列車って時刻表で見てみたら熱海で乗った車両だったわけです。あれ、追いつかれているどうしてということになるんですが、三島で新幹線を待った時間が30分くらいあったんです。その間に普通列車は先へリード。新幹線は早く到着しますが、それでも普通列車の先に行くことはできなかったわけです。あらまあ。
125本目:浜松9:23→普通923M→豊橋9:56 0h33m
浜松からはもう一度乗り換えて浜名湖を渡って進むと愛知県に入ります。豊橋到着。これでもまだ午前中です。まあ4時間近くかかってはいますが。
久しぶりに降り立った豊橋駅。懐かしさがあります。愛知県はぼくの故郷でもありますから。前回降り立った時のこともまだ記憶に残っていました。ぼくは名古屋に住んでいましたが、豊橋まで来るだけで当時は遠出感覚でした。鉄道は好きでしたが実際に遠出できることは少なく岐阜や浜松・豊橋に出る時点でかなり珍しいお出かけでした。その時とは隔世の感がありますね。
こちらのパノラマスーパー。いまこの塗装の編成は走っていません。時間の経過を感じます。そうこうして1時間が経つとようやく豊川それから天竜峡より先へ行く飯田線の岡谷ゆきがやってきました。
126本目:豊橋10:42→普通→駒ヶ根16:13 5h31m
豊川までは町中を進みますがそこから山へ。もともと私鉄だったためすぐに駅に停車するほか、当時はワンマンの設備がありませんでした。最新車両でも車掌が乗務し、無人駅では駅の出入り口に近いほうのドアに移動して改札をしていました。ある駅では前に陣取りある駅では後ろに陣取っていました。それを新人の車掌さんは先輩から教わっている様子を目撃しました。
写真は有名な駅ですね。
天気がいい夏の日。川では遊んでいる人たちが見えます。遠くからでもはっきりとわかりました。普通列車は、以前は旧型の車両でマニアからは重宝されていましたが、JR東海の現在の標準車両に変わっています。座席もなじみのそれです。
飯田駅で少し長めの停車を挟んでなおも普通列車での旅が続きます。これほど長く同じ列車に乗っていたのは北海道から本州へ出たはまなす以来だったかもしれません。
夕方になってようやく駒ヶ根で下車。ソースカツ丼。いやもうおなか減ってましたからねあっという間に食べてしまいました。普通のカツ丼だと卵とじの和風だしなんですがこちらはソースで味付けしているところが独特ですね。このあと北陸でもソースカツ丼を食べましたけどそちらもやっぱり何度も食べてもいい味ですね。
127本目:駒ヶ根17:22→普通233M→岡谷18:31 0h49m
駒ヶ根の街並み。静かです。といってももう夕方ですからね。薄暗くなってきていました。再度列車に乗ると再び飯田線を北上。途中ではかなりの急こう配を下ってみたり、ものすごいヘアピンカーブ(に見える)を曲がり、「この路線全然走れないね」なんて思いつつ。
128本目:岡谷18:34→普通1547M→塩尻18:44 0h10m
辰野まで来るとJR東日本区間に入ります。近道は塩尻へ直接出ること。しかし、ここではそんなことはしません。一旦岡谷に出てから塩尻を目指します。とはいっても辰野付近から夜になってしまいましたので最後のほうはもう何がなんだかあまりよくわかりませんでしたけれども。
17日目:2015/08/12晴れ時々曇り 塩尻→亀山
129本目:塩尻6:51→普通822M→木曽福島7:36 0h45m
松本で宿泊しましたので、拝んでから旅を再開しました。止まった宿は相部屋の安宿。寝る時間があると思いきやそんなになかったですね。スタートした時間が午前6時でしたから。そうすると逆算すれば30分以上前に起きないといけません。それでもって、松本に着いたのは夜7時を過ぎていましたからそれから夕飯をとってチェックイン。まあ夜9時前。結構ギリギリだったんです。
塩尻までは乗車券を買いなおしています。塩尻から再開です。
JR東日本の車両が乗り入れました。途中で名古屋行きのしなのの後になります。ホームに降りた時の写真で、しなのがあっという間に追い抜かしていきます。
普通列車では一旦木曽福島の先の南木曽に降りました。
南木曽から妻籠宿までちょうどバスもなんかいまいちということでとりあえず歩いていきました。旧中山道なら緑の中を行きます。アップダウンを繰り返しながらも徐々に古い町並みが見えてくるとゴールです。
まずはD51の保存されている機関車を拝み、山道へ。
奥に山道が続いていきますが、整備はされているのでまあまあ歩きやすいレベルといえるでしょう。緑の中ですから直射日光もあたりません。真夏の時期そのものですが涼しさも感じられたはずです。
数十分にわたって歩き続けると古い家屋が姿を現しました。車とかならもっと早く行けるんですが、時間をかけてたどり着くとまた違った感慨があるというものです。
わずか2日前は都会にいました。全く180度違う景色です。いろいろな表情を見せてくれる。たかだが大陸からすれば狭い島ですが確かにその多様性は息づいているように思います。静かでいいですよね。紅葉のシーズンに次は行きたいですね。きっともっときれいな記録がとれるでしょう。
それから木曽福島駅に急いで戻りましたが、中津川行きの普通列車にあとちょっというところで乗り遅れてしまいました。当時、南木曽駅には業務委託で対応したスタッフがいました。「乗り遅れてしまって」と告げると、次の普通列車はかなり待たなければいけないよと言われました。時刻表からも明らかだったんです。
そこで、一旦木曽福島まで戻ってしなのに乗りなおせばいいといわれました。追加運賃はかかってしまいますが、そのほうが確実に早くつけます。遅れた日程も取り返すことができます。
ぼくは下りの普通列車に乗って木曽福島へ戻りました。下った山を再び登っていきます。ゆっくりっと。
130本目:木曽福島11:30→特急しなの8号1008M→名古屋13:01 1h31m
木曽福島に戻るとさすがにのどがかわきました。妻籠宿からの帰り道はかなりの駆け足(というよりはずっと走ることはできませんので早歩きだったんですが)で戻ったので汗はかいたわ水分不足ですが肝心の飲み物がなくなってしまったわで大変でしたが。飲み物やアイスを手に入れて一息。
しなのに乗り込むと山をあっという間に駆け下って名古屋につきました。たった90分ちょっとでした。
ちなみに南木曽駅で話したスタッフの方はJR東海を確か定年で退職したOBでした。最長片道切符、本来は下車印を押せないそうですが、こっそり経路票の裏に押してもらいました。切符は切符本体と経路一覧が別紙であって糊付けされていましたので。
ちなみにきっぷは不正してはいけません。当たり前の話なんですけれども、多くの人は実は最長片道切符に限って言えば券面をそれほど一生懸命チェックしません。ほかの切符は自動改札機もありますので別です。最長片道切符は自動改札機をくぐれませんので有人の改札を通らないといけないんですね。
それでも、券面をわざわざチェックすることはあまりないんです。理由は2つあります。
ひとつは、わざわざちゃんとした乗車券か違反がないかを見分けることが容易でないこと。OBの人はちゃんと理解されているようでしたが、OBいわく「最初勉強しても忘れたりするよそれは」ということ。実際、JR東日本の管内で途中下車をしたときに「こんなの見てもわけわからないのでチェックなんてしない」と断言されました。まあ確かにあんな経路一覧を見直すのは骨が折れますので気持ちはわかるというもの。
もうひとつは、わざわざそういう切符を申し込んで買ってるのだから、購入した人がルールや使い方は熟知しているはずだというもの。発売する際もJRがチェックもしているはずだし。そもそも利用者の善意を信じているということです。これは結構深いメッセージだと思うんです。そういうチャレンジャーはわざわざ取り組むのだからちゃんとそうした「良識」を踏まえるはずだという信頼をされてますよということなんですから。
信頼されている…そっかあって思いましたけどね。あえて意識したことなかったので「そうだよなあ」って再認識させられたといったところでしょうか。わざわざ反則するどころか、ちゃんとやろうとしますからね。それは駅員・社員にも伝わっているということなんでしょうか?いまも最長片道切符のチャレンジャーは信頼されている可能性は十分にありますので、故意の反則はこれからもしないようにしていく必要があるでしょう。せっかくの信頼ですからね。
131本目:名古屋15:03→快速2313M→亀山16:08 1h05m
名古屋駅には13時過ぎに着きました。時々帰っていたので全くの浦島太郎ではありませんが、でも街並みは少しずつ住んでいたころと変わっていきます。その過程は見ることなくいきなり結果だけを見るので、だんだん自分の元の故郷の姿が変わっていくことを思います。
きしめんは定番ですね。名古屋の名物。だしが薄かったり甘辛だったりしないのが特徴でしょうか。わりとかつおの出汁がきいていてほかの地域よりは少し塩辛いかもしれない。
そういえば、地下にある名鉄名古屋駅も。昔は新名古屋でしたけれども。
少し時間を空けて関西本線の列車に乗り込んで亀山へ向かいました。亀山には午後4時台に到着。ただ、ここで一旦伊勢神宮へブラブラと。亀山からは案外遠いんですよね。1時間半くらいかけていって、着いたら夕暮れ。外宮だけ簡単に参拝して伊勢うどんを食べて早々に引き上げました。それでもわりと遅くなったんですよね。どうしてでしょう。
この日は歩いて10分くらいしたところにネットカフェがありましてそこで宿泊しました。
18日目:2015/08/13 くもり 亀山→和歌山
132本目:亀山6:08→普通905C→多気6:57 0h49m
この日も午前5時台に起きました。そうでなければ、6:08の始発に間に合うはずがないからです。なんとか起きて荷物をまとめて、亀山駅へ。
前の日の夜に撮影しました。微妙に手振れしているように見えましたが、いまは走っていないキハ47/40ファミリーがいました。この直後だったんですよね、JR東海からこの系列の車両が消えたのは。
早朝の山間部をいく紀勢本線を津まで抜けると南下して多気駅へ。ここからは伊勢へ行く参宮線と和歌山県へ向かう紀勢本線とわかれます。列車も乗り換えました。
133本目:多気7:05→普通327C→新宮10:21 3h16m
紀勢本線を引き続き和歌山県へ向けて進みます。この日の午前は残念ながら曇り。しかし、居合わせた乗客の方と話がはずみます。いやまあ、リュックサック背負ってたらだいたいわかるんですよね。旅人同士って。
なんとその方はぼくの倍以上生きていらっしゃいましたが(その当時)、乗り鉄の先輩でもありました。
最長片道切符は強烈で、いままで乗っていなかった路線をどんどん乗ることになります。出発前はJR2万キロ弱の路線総延長となっていますが、そのうち2割程度しか埋まっていませんでした。JR北海道が当時全部乗ってましたってくらいですね。
まだその時は集計していませんでしたが、この時点で4~5割くらいにはなっていたでしょう。しかし、その先輩は国鉄時代にすべて乗り、私鉄もあと1歩ですべて乗車だといいます。驚きですね。足掛け30年くらいかけたんでしょうか?
国鉄時代の北海道は1日数本しか来ないローカル線が今より多くありました。フィルム写真をiPadに取り込んでいたようで当時の記録を見せてくれました。確か湧網線だったでしょうか?昔のキハ40系よりも古い気動車が1両だけで走ってきていて、寒い北の大地を行く1枚でした。
「フィルムだったから無駄打ちができなかったんだよね」この当時はおそらく1980年代。SDカードなんてまだありませんでしたから失敗写真を適当に消去してやり直すことができなかったということを言っていたのだと思います。まあ時代の変化を感じますね。
途中の駅で特急南紀とすれ違いました。こうした行き違いを繰り返しながら普通列車は3時間かけて三重県を抜けて和歌山県の新宮まで到達しました。
新宮では、いまは撤退した国鉄381系のくろしおが出発待ちしていました。実は普通列車から乗り換えることもできて、昼過ぎには白浜や紀伊田辺へ出ることもできます。
134本目:新宮11:15→普通2330M→那智11:32 0h17m
ここからはJR西日本区間へ。電化区間になります。一気に和歌山へは抜けずに那智で途中下車。路線バスに乗り換えて有名な那智の滝を拝みに行きます。山の中とはいえ、和歌山県の夏。とにかく蒸し暑い。
もうちょっと鳥居をいれながらとかできなかったんでしょうか?当時のぼくはもう昔ですから突っ込んでも無駄ですね。もっと近くから見れるところもありますが、そうすると真上から降ってくる感じなんですよね。滝が。
近くのお店でランチ。そばもおいしかったですし、海が近いので刺身も当然のことながらそれなりの水準だったのです。注目は一番奥の物体。お茶の隣にあるのが地元の「めはり寿司」ですね。まあお寿司なんですけれども、おにぎり大のサイズなので食べるときにかぶりつきます。そうすると人は必ず目を見開く動作になるのでその名前がついたとか。
那智大社を一回りした後バスで下山。那智駅の地下のアンダーパスをくぐるとビーチが広がっていました。午前中は曇りあるいは那智の滝を見ている途中で雨がぱらつくような状況でしたが、おりてみた午後は一変しました。
青空はここまできれいになるのでしょうか。海の色も鮮やかです。この旅行で最もきれいな空と海でした。ちなみに以前にも書きましたが、Nikonのコンデジです。青色得意なんでしょうか?
135本目:那智15:32→普通2338M→紀伊田辺17:56 2h24m
列車はトンネルを抜けながらも太平洋の海岸を縫うように走り続けます。午後からは完全に空が晴れ渡っていましたので、先ほどの写真のような景色をずっと見ることができました。まあずーっとみていると飽きてしまうんですが。
眠たくもなったので途中昼寝を挟んで2時間揺られると紀伊田辺へ。ここからは町中を通過する時間が増えるのでまた様相が変わってきます。
136本目:紀伊田辺18:10→普通2368M→御坊18:54 0h44m
紀伊田辺からは小刻みに普通列車を乗り継いでいきます。途中、オーシャンアロー車両が止まっていました。いつの間にかデビューして20年もたっている車両(当時はまだ20年はいってなかったでしょうか?)。こどものころは最新車両だったんですけどね。引退まであと何年でしょうか。
137本目:御坊19:05→普通2340M→和歌山20:07 1h02m
和歌山にはやはり夜8時過ぎてしまいました。いまになってみれば特急に乗ればよかったのかもしれませんけれども。こういうところで特急に乗るのは費用がかさむと考えていました。
実のところ、特急を使うことでどれくらいの時間を捻出できるかが問題なんです。1日分もし捻出することができたのであれば、5000円とかそういったお金が返ってきます。その分1日短くはなるんですが。それでも特急料金を差し引いておつりがでてくるはずです。それをもっと有意義に使う方法だってあったはずなんです。
といったことを自覚したのはずいぶんの後のことでしたけれども。
この日は夕飯を確かココイチで食べ、またまたネットカフェに投宿。ただし、この日もシャワーのないネットカフェにあたってしまいました。おっと2日浴びてない。これは大変です。
19日目:2015/08/14晴れのち一時雨 和歌山→山科
138本目:和歌山7:41→普通434M→高田9:45 2h04m
わりとぐっすり眠れたような気がします。昨日の亀山その前の松本、さらにその前の新横浜での夜明かしは完全に寝不足でしたから。しかし、シャワーを浴びることができませんでした。うわーシャワーなし3日目突入。
お、朝食の写真が残ってました。ミスドでドーナツとコーヒーのメニューだったようです。もう覚えてないんですけれども。コーヒーがおかわりできるのがこのチェーンの魅力です。そして、コーヒーもわりと飲みやすい味。
139本目:高田10:24→普通538T→奈良11:11 0h47m
2時間半以上揺られて奈良県入り。わりとここは退屈してしまいました。高田からは一旦桜井線経由で奈良駅に出るので乗り換えを行いました。本当は高田から関西本線に出たほうが本数あったかもしれませんが。
この日も夏の青空が見えていました。こうみると奥に向かって景色の広がりが感じられます。確か高田駅の跨線橋の上からだったと思います。
140本目:奈良12:47→快速3405K→天王寺13:20 0h33m
奈良駅で早くもお昼の時間。やよい軒にいったのかなこのときは。ぼくこの時までこのチェーン行ったことなかったんですが、コスパがいいと思いました。このところ札幌にも出来まして時々お世話になってます。
141本目:天王寺14:37→普通3419K→大阪14:52 0h15m
ここから関西本線に乗り換えていよいよ大阪へたどり着きました。阪和線で和歌山から行けば1時間くらいで行けるはずなんですが、わざわざ7時間もかけましたからね。
写真は天王寺で撮影したものです。暑いので、途中でアイス買ってますね。記録写真で確認済みです。あべのハルカスをついでにさまよってから再度駅に戻って大阪環状線の西半分を回って、今度は大阪の梅田つまり大阪駅に。
もうちょっと撮影技術があればなあ。本当は天井まで広がりがある壮大な駅です。本当になんとかならなかったのかなあ。いつか再挑戦してみたいですね。夜に撮影してみるときれいかもしれません。ひとまず、大阪に到着。
142本目:大阪14:58→普通4566M→京橋15:05 0h07m
ここから西へ向かうかというとそうじゃないんです。なんと岐阜まで東へこのあと戻っていくんです。そんなんで西へ向かえなければ最長ルート行き止まりではないかと思ってしまうところですけれど。ひとまず大阪環状線を京橋へ。
143本目:京橋15:07→快速5486M→同志社前15:48 0h41m
階段を通って乗り換えると学園都市線。片町線が正しい名称でしたでしょうか?ひとまず乗り換えるとそのまま大阪を北東へ抜けて奈良県に再び入ります。しかし、木津そして奈良駅の方面へ向かう列車は少なく、同志社前で木津へ向かう後続列車を待ちます。
144本目:同志社前16:03→普通5488M→木津16:21 0h18m
待つこと15分。乗り換えると木津駅へ。すぐに加茂行きに乗り換えます。ちなみに反対列車に乗ると2駅で奈良駅へ戻ってしまいます。関西本線を亀山・名古屋方面に戻る流れです。
145本目:木津16:28→普通3412K→加茂16:34 0h06m
隣の加茂駅までは電化区間になります。加茂駅から先が亀山まで単線・非電化区間。加茂駅ではワンマンの気動車に乗り換え。どこかで見たようなとも思ったのですが、大糸線でみていたんですね。糸魚川~南小谷の区間でした。
146本目:加茂16:44→普通246D→伊賀上野17:19 0h25m
山を越えて伊賀上野で途中下車した後、忍者博物館のほうまで行こうかと近くまでは実際に行っているんですが、時間切れであえなく折り返して再び伊賀上野から柘植へ向かいました。雨も降っていたので結構な無駄足になってしまいましたね。
こちらは加茂駅で撮影したワンマン列車の写真。ちょっと暗いですね。編集すればよかった…(当時は写真編集という発想自体ありませんでしたが)
147本目:伊賀上野19:00→普通252D→柘植19:18 0h18m
すっかり暗くなりだしてから柘植へ出ました。このまま降りなければ亀山へ戻ってしまい最長ルートになりませんので草津線で滋賀県の草津へ北上します。ここからは再び電化区間になります。
148本目:柘植19:33→普通5385M→草津20:25 0h52m
半分手振れしているのか、ノイズで画質が落ちているのかよくわからないような画像しか残っていませんでしたが、国鉄車両が待っていました。もう真っ暗でしたので外は何も見えぬまま。
149本目:草津20:36→新快速3533M→山科20:52 0h16m
草津からは新快速へ乗り換えて京都駅一歩手前の山科へ。この日は地下鉄に乗り換えて京都市役所前へ。近くのネットカフェに入りました。その前に夕飯は食べましたけれども。
ネットカフェはなんとシャワーあり。3日ぶりのシャワーにありつけました。ありつけたときの感動は忘れられません。いやもうこの日の朝から全身不快感しかありませんでしたから。できれば二度と経験したくないですね。ちなみにこれ以降ぼくがシャワーを3日浴びなかったことはありません。
20日目:2015/08/15 晴れ 山科→高山
150本目:山科9:51→新快速3230M→近江塩津11:01 1h10m
翌日は少し寝てから遅めの出発。といっても午前10時にはなっていないですし、京都市街から地下鉄で山科へ移動しないといけませんので9時半には出発していたはずです。
トンネルを抜けてしばらくすると車窓右側に琵琶湖がみえる湖西線を駆け上がります。最後で琵琶湖が見えなくなると北陸線が見えてきて近江塩津。
151本目:近江塩津11:05→新快速3255M→米原11:42 0h37m
近江塩津からまた引き返して米原へ。山科に着いた時も京都駅にはいってません。ここはルートを描く上でのポイントですね。米原へ到着すると今度は東海道線に乗り換えます。
152本目:米原12:00→普通214F→大垣12:32 0h32m
再びJR東海区間へ戻ります。伊吹山を含めた山岳区間を切り抜けて町が見えたら、岐阜県の大垣。ここまでくると名古屋までは新快速で30分ほどの距離になります。大阪まで行ったのに、1日かけて名古屋近辺まで戻ってきたことになりますね。
そういえばいましたね。681系しらさぎ。この年の春、それまで北陸と越後湯沢を結んでいたはくたか編成が使われていました。北陸新幹線が金沢まで延伸されたことで東京からは新幹線のみで北陸へはいれるようになりましたので。それまでは越後湯沢からはくたかに乗り換えるしかなかったんです。
153本目:大垣12:41→新快速5330F→岐阜12:52 0h11m
わずか10分ほどで岐阜。ただ、ここから名古屋に戻るわけではありません。多治見にも行きませんから(すでに通ってます)、高山線で北へ上がっていきます。このとき未踏だった名古屋の奥座敷の下呂や高山へ初めて向かうことになりました。
154本目:岐阜13:15→普通4719D→高山16:37 3h22m
午後になって、高山まで直通する普通列車に乗ります。もうキハ40は引退していたように記憶しています。ここでも特急列車には乗らない。2時間半かけて山を登っていきます。
途中特急ひだとはすれ違い、下呂の温泉街は車窓のみでスルーしました。予算ないと「はい温泉」とならないんですよね。こればっかりはもう避けられえない。
到着したときに、ひだの連結作業を見ることができました。ここから併結して岐阜や名古屋へ下りていくんです。いまとなっては貴重なカットになってしまいましたね。
当時は古い駅舎が取り壊されて新しい駅舎になるまでの間の仮駅舎があり、ほんとに工事中でした。
駅から外へ。古い町並みがみれる地区へ。
この物体なんでしたっけ?まあ巨大なたこ焼きみたいなの食べましたよ。大玉焼きか?写真の左下を見ていただけるとわかるかと。完全に寄り道ですね。
そして、高山の路地。きれいに整備されてますね。
そして旧街並みがこんな感じ。名古屋の奥座敷エリア。思ったより雰囲気も景色もいいのでもっと早くいっておけばって思いましたね。この日はそのまま歩いて30分くらいの安宿にチェックインでした。夕飯…そういえば高山ラーメンだったかな…
21日目:2015/08/16 晴れ一時曇り 高山→京都
155本目:高山9:39→普通1825D→猪谷10:46 1h07m
お盆明けのこの日。朝は宿から30分ほどかけて高山市街へ戻ってからのスタート。
途中有名な朝市をまわりました。コロナ流行の2020年現在では考えられないマスクなしの賑わいですね。そんなにお金もっていませんでしたのであれもこれもとは買えませんでしたがトマトからあげをつまみ食いして旅立ちました。
156本目:猪谷10:50→普通859D→富山11:40 0h50m
普通列車で山を越えます。途中雪対策のシェルターをみかけました。北海道では珍しくありませんが、本州で見るのはちょっと珍しかったでしょうか。猪谷までは1時間弱。停車した列車の先にはJR西日本のそれが待っていました。
この駅でJR東海から再びJR西日本へ。これでJR東海とお別れと思いきやそうではないんですけれども。
山を駆け降りると一気に見通しのいい直線へ。青空がとてもきれいでしたので撮影していました。富山へは昼前に到着。このまま乗り換え。
157本目:富山12:13→新幹線つるぎ713号713E→金沢12:36 0h23m
開業したばかりの北陸新幹線に再び乗車して一気に金沢へワープ。20分ほどであっという間。もういうことがない。
158本目:金沢12:48→特急しらさぎ60号5060M→福井13:35 0h47m
引き続き、今日中に京都まで行ってしまおうと画策していましたのでさらに乗り換えが特急に。しらさぎは8往復が名古屋まで直通していますが実は乗るのが初めて。幼稚園くらいの時は国鉄485系がまだいたんですが683系に、それもかわって681系メインになりましたね。
福井まで乗車。降りたら普通列車がくるまでの時間で越前そば。もう福井県ですから。大根おろしがかかったそばをさっさと食べました。普通にさっぱりしておいしいですよ。金沢はこの年の1月に行ってたのでスルー。
159本目:福井14:10→普通342M→敦賀15:01 0h51m
昼を食べた後は、普通列車に乗って(どこか223系?に似てないか?そりゃそうか)敦賀へ。このあたりは北陸特急の撮影地です。一眼を投入してからはコロナ流行前までわりと頻繁に通ってたエリア。
160本目:敦賀15:44→普通938M→東舞鶴17:40 1h56m
敦賀からは小浜線に乗ります。近江塩津に戻ったらアウトですからね。乗ったこともないのでどんな路線なんだろうと思いつつ。
若狭湾が広がりますね。この静かな雰囲気。
途中で降りて写真に収めればよかったかもしれませんね。
161本目:東舞鶴17:47→快速1348M→綾部18:15 0h27m
半分くらい昼寝しつつ東舞鶴へ。ここから京都へ戻るにはまず綾部へ出ます。快速で30分ほど。途中トラブルで少し遅延しました。それでも乗り換えの普通列車は待ってくれていました。
162本目:綾部18:17→普通1150M→園部19:11 0h54m
最初は少し遅れていた普通列車ですが、山陰本線は京都に着く手前までは単線区間。ダイヤでも余裕があります。どんどん遅れ幅が縮まっていきます。園部に到着するときにはほとんど定刻に近いところまで戻ってましたね。
163本目:園部19:13→普通274M→京都19:59 0h46m
そして、乗り換えた列車がトンネルを抜けて、窓の外に町明かりを見出したら京都市街です。この日は「大文字の送り火」がありました。残念ながら時間が遅すぎてほとんど見ることができませんでしたが、少しではありますが京都の夏を感じられました。
この写真は、露出やシャッター速度の調節がきかないなかでなんとか手振れを止めようとした1枚。完全には止まっていないんですがマシなものを採用しました。こうしてみると、スローシャッターになっているので歩く人が動いて見えます。時間が実際に動いている様が写しとめられているのです。
後戻りのできない現実を生きている。まさに最長片道切符の旅と同じです。
この日の京都到着をもって、全体の3分の2が終わったことになります。最長片道切符はここから西日本の山岳路線を抱えた最大の「難所」に突入するのでした。
小計:乗車本数45/乗車時間42h02m
総合計:乗車本数163/乗車時間157h39m
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