鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~1.霧

最長片道切符の乗車券を手に入れるまでなどの記録はこちら


1. 霧

1日目2015/07/25曇り一時雨 稚内→浜小清水

小雨というか、霧というか遠景がぼんやりとした中でのスタートになりました。列車は時間通りに出発し、北の稚内を後にしました。

1本目:稚内6:04→普通4326D→名寄10:58 宗谷本線 4h54m

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川沿いを南へ下っていきます。霧は晴れていきましたが、雲が分厚く覆っていました。朝早かったからか、乗ってからはわりとぼーっとしていた時間もあったはずですが。1両のみのワンマン列車の車内は弛緩した空気でしたが、それなりにスピードを出していました。北海道って案外そうなんですけどね。

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画像:音威子府駅で100分弱停車している普通4326D

ぼくが1本目として乗った車両です。停車時間が長いんです。音威子府で1時間半も待つわけです。その間に、スーパー宗谷2号と下りの普通列車を待ち合わせます。音威子府駅は当時3本停車できたわけです(いまも変わらないはずと認識していますが)。

「暑くなるので、待ち時間は列車ではなく待合室にいきましょう」運転手からそんなアナウンスが流れます。それくらいのどかなんです。待っている間に改札外に出ることを勧められたのは後にも先にも今のところこのときだけです。都市部だとやれ「不正乗車を働くのではないか」とか「途中下車なんてふつうダメでしょ(本当は乗車券に適用されるルールによる)」とかそんなことになりそうなんですけど。

というわけで、はじめての下車印をもらいまして改札外に出るわけです。某廃線の資料館をみたりぼーっとしたり、特急列車を出迎えたりして過ごしました。最後の30分であの駅そばが開店したのでもう一杯食べさせてもらいました。

その時に主人や奥様から「跡継ぎはいない。自分たちが引退になったら閉店である」ということを告げられました。早くもう1回行きたいんですけれど、この5年間一度も行けてないんです。

実はこのときにおにぎりではなく、昔駅のホームで営業し、弁当も発売していたころの包み紙というのももらっていました。新規に印刷はしていないそうなので今頃もうないんでしょうか。


2本目:名寄11:02→普通324D→新旭川12:42 宗谷本線  1h40m

名寄で乗り換えて、新旭川にはお昼ごろの到着になりました。結局昼飯買いませんでしたので音威子府での駅そばが間の腹ごしらえで、もらったおにぎりで昼を済ませるような流れになりました。

旭川まで行ってもよかったのですが、そうすると最長ルートから外れてしまい追加運賃を支払うことになるほか数日内に旭川駅は富良野から普通列車で入ることになりますのであえてスルーしました。ここも年季の入った駅舎がありまして、石北本線への乗り換えを待ちました。

いやあここまですでに長いですよね…出発して6時間半が経過しているわけですから。これがオープニングだといわれると、ほかの人は気が遠くなるでしょう。旅が好きな人なら「お!まだこんなに日程が残ってる」と喜ぶところですけれど。そんなに早く終わるの嫌ですからね。


3本目:新旭川12:49→普通4525D→伊香牛13:22 石北本線 0h33m

某氏がネタにしていた将軍山には下車しておりません。伊香牛でなんとなく下車。まあ、駅舎がなんとなく気になったから以外には理由らしき理由もなかったように記憶しています。あと、上川から特快きたみ乗るしか北見・網走へ抜ける列車がないので上川で2時間待つか、どっかで1度途中下車するかどっちか選ぶ必要があったというところですね。

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もうちょっとアングル考えられないのかって自分でも思いますが、木造のこういう駅舎なわけです。ちょっとおしゃれというか。なんとなく下車しただけですが、相変わらずの天気でしたが緑がきれいです。

1時間ほどつぶして、上川行きの普通列車に再度乗車しました。ほんと、それだけです。

4本目:伊香牛14:20→普通4527D→上川14:57 石北本線 0h37m

再び乗り込んでからも雲は厚く空を覆っていました。しばらくで、上川につきまして、本数が少ない上川から山を越えてオホーツク海へ至るルートに挑みます。

当時は、上川の始発以外で、普通・快速で超えられるのがこの次の特快きたみ一択になっていました。特急も1日に4本しか来ません。

5本目:上川15:49→特快きたみ3583D→北見18:24 石北本線 2h35m

そして、上川から特快きたみで山を越えます。このあたりで本降りの雨になってきまして、窓が雨粒で濡れていました。

それでもどうにか峠を越えてオホーツクへ。遠軽からさらにひた走って北見へ向かいます。

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画像:東相内にて特急通過待ち合わせ

ここまでくると開始後はじめて少し雲が薄くなりました。夕暮れ時に、駅で反対列車の待ち合わせ。白坊主のキハ183系オホーツクがあっという間に通過していきました。被写体ブレなので本来没カットですが、普通列車の旅で特急を待っているシーンってこんな感じなんです。このシャッターを切るわずかな間にも時間は過去から未来へ進んでいる、そんなことを実感させるものになるでしょうか?


6本目:北見18:30→普通4673D→浜小清水20:18 石北→釧網線 1h48m

このあとは景色が闇に落ちます。完全日没です。そのあとも普通列車はひた走り、網走での15分停車を挟んで約2時間で浜小清水に到着。安い宿を探しての選択でしたが降りたら真っ暗で何も見えずに一苦労しました。ぶちゃっけ、お化けより野生動物が出てくる可能性のほうが高いって感じでした。まあ、結局何も出てきませんでしたけれども。

そういえば、その宿でも最長片道切符見せてしゃべってたらちょっと遅くなりましたね。1日目、まだ北海道、いま自分の住む都道府県をまわっているだけだ、まだ近所・近場をまわっているそんな感覚もありました。やっぱり、本州へ入ってからのほうが長いのでそちらが心配でした。


2日目2015/07/26晴れのち一時雨 浜小清水→帯広

この日も長丁場でした。

7本目:浜小清水7:06→普通列車4725D→川湯温泉8:17 釧網本線 1h11m

この日は、スタート以来初めての青空が広がりました。まあ、朝だけで後は霧か雨になってしまいましたけれど。前の晩暗闇で何が何だかわからないところは遠くまで開けていて実はすごく景色よかったんですよ。

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当時のコンデジでもまあまあの発色。青空の抜けがよかったんですよね。朝だけでしたけど。

再び、普通列車に乗って釧網線で釧路をめざします。朝の海辺もまあまあきれいでして、そのあとも平地を走っている間は天気よかったんですが、川湯温泉・摩周・釧路湿原へと下るため山に分け入った瞬間に雲が出てきまして雨っぽいというか、まあすごい天気になってきました。

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こう、道路も向こうまでずっと直線なんですよ。それが、山に入った瞬間に霧やもやの中というわけですから、フラストレーションもたまるわけです。

いまのぼくなら「それならまたにしよう」と先を急ぐんですけど、このときはまあ降りてみようと川湯温泉に降りて、季節限定のバスツアー(2000円くらいでしたでしょうか)でバスに揺られ、付近を観光。

ただ、こんな天気でまともなものを見られるはずもなく…

摩周湖は撃沈でしたね。霧の摩周湖になりました。リベンジするのに3年もかかりました。

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近くの硫黄山(でしたでしょうか?)行った時にも遠景までわりと見えてはいましたが、雲が分厚いという実に最強の天気の悪さでした。まあ、鉄道止まりませんでしたので、それだけでもよしとしなければいけないのでしょうけれど。


8本目:川湯温泉13:40→普通4733D→釧路湿原14:55 釧網本線 1h15m

バスから戻ったあとに再び普通列車に乗るも天候はなおも霧か雨かという景色としてはあんまり映えない二択でした。それでも山を下り、釧路湿原に入り、せっかくだからということで釧路湿原駅で下車しました。

定番の展望台から撮影したんですけど、まあとにかく、天気が悪いですね。釧路の夏は霧が出るなんて聞いたことがありましたが、そんな感じの雰囲気になってしまいました。

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画像でも、遠くまで見渡せなかったことがわかります。視界何キロでしょうね。冬の吹雪のほうが当然視界は悪いんですけれども。


9本目:釧路湿原15:37→9333ㇾ※→釧路16:04 釧網本線 0h27m

先ほど、ノロッコ号の1枚が出ていましたが、あちらが釧路から塘路に向かう往路になります。それが折り返して復路で運行され、それに乗って釧路駅へ向かいました。

本当はこの辺で休憩できるとよかったのですが、翌日には札幌へ戻る日程を考えていました。そのため、最低限当日中に帯広までは到達しておきたいと考えていました。そのため、そこからもうひと頑張り。

※くしろ湿原ノロッコ3号

10本目:釧路17:22→普通2530D→帯広20:15 根室本線 2h47m

夏至を過ぎた北海道。この時期から徐々に夜が早まってくるのですが、白糠を過ぎてしばらくすると完全に景色は見えなくなり、帯広に到着したころには完全に真っ暗になっていました。

翌日も早々に出発します。夜は豚丼を食べました。以前に食べたことがあるメニューになるため「期待通り」というところでしたでしょうか。この時点で、10本の列車に乗りました。このままのペースなら旅の終わりまでに150本以上の列車に乗るだろうということが見えてきます。


3日目2015/07/27曇り一時晴れ 帯広→札幌

11本目:帯広6:53→普通2428D→富良野9:52 根室本線 2h59m

この日も早いスタートになりました。まず新得までは特急列車も通る区間をそのまま駆け上がり、新得から先の上落合信号場で石勝線と別れて北上し富良野へ向かいます。いわゆる「狩勝峠」を越える区間になるわけです。ぼくは2014年夏と2014年冬にこの区間を通っています。

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なので今回は特別な期待はありませんでした。夏の緑が迫ってくるところも、冬の真っ白な景色ももうすでに見たことがあったからです。そして、それが今もこれからも見ることができると楽観していた部分があったのです。

ただ、翌年以降この区間は不通区間になりそのまま廃線ではないかといわれています。貴重にしないといけないことはわかるのですが、なかなかそうもいかないことがあるということなのかもしれません。

画像の車窓…どこの区間だったかいまいち確認できてないんですが時間的には新得~上落合信号場のもののような気がします。

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出発前の帯広駅の様子。青い車体のキハ261が懐かしいですね。このとき見た光景は、そのあとあっという間に見れなくなりました。


12本目:富良野9:55→普通728D→美瑛10:32 富良野線 0h37m

引き続き乗り換えて美瑛へ。美瑛で散歩してからと思って、外に出てみたんですがはっきりいってかなり暑い。長袖2枚きていてちょうどよかった釧路とは大きな違いです。

13本目:美瑛11:48→普通1754D→旭川12:20 富良野線 0h32m

再び美瑛から普通列車に乗りなおして旭川へ。旭川空港に向かう飛行機を見ることができる区間ですがこの日は目撃することなく旭川へ。

重要なのは、初日に新旭川までついたときは、旭川に乗りれなかったとうことです。そうすることで道東を1周してきても、最長片道の一筆書きは継続されることになります(旭川に乗り入れてしまうと強制終了)。

逆に新旭川と旭川、たった数キロしか離れていないんですけれど、たったそれだけを移動するために2日間費やしたということになるんです。そして移動距離も500キロは越えていることでしょう。これこそが最長片道切符の大きな特徴です。

「隣の駅か、2駅先までいくのに何日もかかる」という場面、この先まだ何度もあるんです。一番すごいのは東北から首都圏に入るときに待っています。

14本目:旭川13:38→普通2220M→岩見沢15:19 函館本線 1h51m

昼の後は、今度は旭川から札幌方面へ進みます。ただ、直接札幌に乗り込むわけではありません。まずは岩見沢まで進みます。そのあとは室蘭線で苫小牧にほど近い沼ノ端まで出てから、札幌へ駆け上がるーここでも一手間が入るわけです。料理も一手間が大事といいますが、最長片道切符の旅でも同じことです。

写真はありませんが、この旅行で初めて「電車」に乗りました。列車番号の後ろに「M」とついていますね。

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岩見沢駅に着くと、今度は室蘭本線に入りますが、日高線で使われていたキハ40系が運用についていました。2014年秋にすでに日高線にお邪魔していたんですが、その直後の冬に不通区間になってしまいました。というわけでそこで使われていたキハ40がこっちに来るといったことに。

15本目:岩見沢16:29→普通1472D→苫小牧17:53 室蘭本線 1h24m※

帰りの高校生を乗せて、車内は賑やかに、それでも外はのんびりと…そんなローカル線の旅に。乗り換えの1時間は暇でしたが、しょうがないですね。北海道ですから。

ただ、追分を過ぎてもう少しで沼ノ端というところで対向列車がシカと衝突か何かで一時運転見合わせになりました。実は苫小牧まで乗ってから特急北斗に乗ってちょっと急ぎ足で札幌へ向かうことを考えていたんですけれど、残念ながら8分遅れになりまして間に合わず。普通列車と快速エアポートを乗り継いでセオリー通りに札幌へ向かいました。

※苫小牧~沼ノ端は特例区間につき改札を出なければ追加運賃なく乗車可

16本目:苫小牧18:20→普通2829M→北広島19:06 千歳線 0h46m

またもやどんどん暗くなる中、千歳線を駆け上がりました。北広島から時間短縮のためにエアポートに乗り換え。

17本目:北広島19:09→快速エアポート187号3955M→札幌19:25 0h16m※

ようやく札幌につきました。定刻よりは少し遅れていましたね。急いで自分の居室へ戻り、夕飯を食べてこの日はこれで終了です。やはり、装備は下は長いままのほうがよいという結論。上は長袖を持参して、半そでで対応すべきという答えがまとまりました。

※千歳線→函館本線

4日目2015/07/29晴れのち雨 札幌→長万部

本当の旅立ちってやっぱり、本州に入るときなんじゃないかと思うんです。子どものころは名古屋で過ごしましたが、このときは札幌。道内は広いですから、道内だけでも旅行はいろいろできます。そして、北海道を出て海を越えるとき、「あ、超えるんだ」って感触になります。

海を越えたら、簡単に帰ってこれない。昔なら青函連絡船、そのあとは飛行機が主流になりました。ぼくが生まれてからはずっと飛行機ですね。でも、500円や1000円ではいけません。予約していないと運賃が高くなってしまうといった問題もあります。だからこそ、「海を越える」という絶対的なハードルがあるわけです。本州に行くということはそういうことなんです。

18本目:札幌18:14→快速エアポート175号3945M→小樽18:46 0h32m ※

夕飯を食べてから、札幌駅より飛び乗りました。札幌中心部からの帰る人が多いですね。エアポートなので琴似、手稲、小樽築港、南小樽と停車駅は少ない。

※函館本線

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この日の小樽運河の様子。うん、あんまり人通りなくて静かですよね。

ちなみに2020年2月の小樽運河の様子はこちらです。

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こちらはNikonD500にて撮影したもの。右側は三脚撮影で露出時間を長くとってある程度消してはいますが、人の姿見えます。

さっと戻って長万部行きの普通列車に乗り換えです。

19本目:小樽19:21→普通2954D→長万部22:39 函館本線 3h18m

北海道内完結の最後の1本になりました。完全暗闇の中を走行し、窓を開けると明るいほうが車内になるので虫がいっぱい入ってきてえらい目にあいながらの3時間でした。ぼくがあけてたというよりはほかの乗客が窓を暑いからと開けっ放しにしたのが原因ですが。

長万部までには人はまばらで。年配の女性とぼくだけが降りて待合室に。

これで一応終電なんです。ですから、今日はここで終わり!というのが今の旅のやり方になるのでしょう。

でもこのときはまだ違ったんです。北海道にも「夜行列車で移動する」という選択肢がまだあったんです。


急行はまなす

札幌を22時00分に出発し、新札幌・千歳・南千歳・苫小牧・登別・東室蘭・伊達紋別・長万部・函館に停車し、翌早朝に青森にたどり着く客車列車です。北海道新幹線が開業するまで運行されていました。

長万部の出発が1:03。つまり、待っていれば列車が来て、本州まで連れて行ってくれるのです。ちなみに急行なので特急料金ではなく、急行料金が適用になりまして当時なら青森まで1300円を乗車券に+α支払うだけでOKでした。そうすれば、宿代も浮きますからね。

ただ、待ち時間が2時間半あります。これが長かった…

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誰もいないうえに、まあ霧がすごい。何も見えないんですよね。こんなんで、列車運転できるのかが気になりますが、案の定20分以上の遅れとアナウンスされました。

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ホームの向こう側がもうばやけています。霧をこんなに見ることはなかなかないのですが。


しばらく待っていると霧の向こうから遅れていた急行はまなすが姿を見せました。その幻想的な光景はいまだによく覚えていますが、残念ながら写真には収められませんでした。

舞台は本州へそして当時まだ未踏だった九州へ、続いていきます。


この夜が本当の意味での最長片道切符旅行のスタートでした。


乗車本数19/乗車時間30h02m

つづきはこちら!


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