鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~4.誤算

前回はこちら!

そもそもの話は…



午後から鈍色の雲が多めだった昨日とは打って変わって青空が広がりました。8/5から信越地方に入っていきました。


4.誤算

10日目:2015/08/05 郡山→新潟 晴れ

52本目:郡山6:53→普通1223M→猪苗代7:37 0h44m

朝はまたまた早い。

早起きしてホームへ向かうと、東京行きの北斗星が現れました。

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いやあ撮り鉄していなかった頃の鉄道写真はお察しレベルです。とはいえ、北斗星の編成が入った写真ほとんど持ってないんです。一番まともだったのがこれかも。

実はこれが北斗星との最後の対面になりました。


お別れした後は早速列車に飛び乗って、磐越西線へ。山の中へ分け入って40分ほどで猪苗代へ。降りて歩いてみました。猪苗代湖の観光というわけにはいきませんでしたが、1キロ歩けば磐梯山でしょうか?とても山の稜線がきれいでした。

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雲がほとんどないんですよね。こんなに雲がなかったのは案外7月26日以来だったような記憶があります。ただ、その代わり猛暑で、猪苗代駅に戻った時は汗だくで水やアイスを買って食べてなんとか身体を冷やしました。

53本目:猪苗代9:10→快速3231M→会津若松9:40 0h30m

ただせっかくのチャンスなわけで、この駅でも降りて観光するわけです。観光用の循環バスかなんかだったと思うんですけれども、乗り込んで会津若松城へ。白い天守閣はそれは輝いて見えましたがなにせ暑い。

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青空は写真の通りです。真夏の青いきれいなそれです。雲一つありません。日差しを遮るものがありません。当然腕の日焼けが進みます。ほんと、日焼け止めグッズなんでこのとき用意しなかったのでしょうか?まあ、鉄道旅だからそこまで外に出ないと思ったのでしょう。撮り鉄もこの頃全くしてませんでしたので。

54本目:会津若松13:06→普通231D→喜多方13:22 0h16m

それから列車でちょっとだけ進んで喜多方へ。駅前のラーメン屋で、名物喜多方ラーメン…うーんこの酷暑でこれは最悪の組み合わせでした。普通においしかったんですがあまりの暑さでじっくり味わう余裕もなくといったところでした。

メニューもうちょっと柔軟に選ばないとだめですね。いい勉強になりましたよ。今度は冬に食べに行くべきですね。

55本目:喜多方14:50→普通233D→新津17:09 2h19m

さすがに疲れたのか、かなり眠ってました。このあたりの山の景色をあまり覚えてないんです。気づいたときにはもう山を駆け下っていていました。やがて街並みが姿を現すと再び日本海側に降りてきたんだなあと思いました。

新津、新潟県に入りました。新潟駅までは列車ですぐなんです。しかし、最長片道切符はそんなことしないんです。一旦長岡まで南へ下ってから新幹線で再度新潟に上がっていくんです。最長片道切符さすがです。


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乗車していた列車。よくみたら国鉄色じゃないですか確か。あれ、今思えば結構貴重なのに乗ってたんですね。やっぱり乗れるうちに乗らないと永久にその機会を失ってしまうんですね。


56本目:新津17:51→快速8622M→長岡18:35 0h44m

本当は10分くらい前に普通列車があったんですけれども、この快速に乗るのが早いようなのでそのまま乗りました。長岡まで1時間弱。新潟からだと1時間くらいでしょうか。

長岡駅からは初めての上越新幹線。夕飯も探したんですけれど、なんかすぐありつけなかったような記憶があります。どこで食べたんでしょう。さすがに絶食はしていませんでしたけれど…


57本目:長岡19:13→337C/Maxとき337号→新潟19:37 0h24m

快速なら1時間、普通列車ならもっとかかる距離をなんとなんとたった24分で行ってしまうのがさすが新幹線です。二階建てでまもなく引退が噂されているE4系がやってきました。このタイプの新幹線1回乗ってみたいと思ってました。幼少期に比較的新しい車両として紹介されていましたから。

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やっぱり手振れしてますね。もうコンデジだとどうにもならない。シャッター速度を手動で操れないし。中は意外に狭い感じでしたね。大量輸送を目的に作られたのはわかるんですが、いまのN700系ファミリーやE5/E6系あたりのほうがやはり居住性はいいです。シートピッチの余裕が違うんですよね。

確かわりとすいてたのでそういうほど窮屈だったわけではないんですけれども。

新潟には比較的早く着いたので、さっさと久々のホテルにチェックインして休んだのですが…これがゆっくりできるかと思いきやそうでもなくなってしまいまして。翌朝がとても早い日程をセットしてしまったんです。このあたりからこの最長片道切符の旅は「体力の限界を試す旅」つまり限界旅行に変わりつつありました。


11日目:2015/08/06 新潟→長野 曇りのち晴れ

はい、4時半くらいだったかな。4時台に起きる羽目になりました。なにせ、始発の5時00分に乗る日程を入れてしまったのですから。ああ、寝不足確定です。


58本目:新潟5:00→普通120M→吉田5:52 0h52m

まだ暗かったはずですが、乗り込みましてこの日の旅程がスタート…といっても半分くらい眠いので記憶も微妙なんですけど。あと1時間は寝ていたかったのに。繰り返しですがなんでこんな日程にしてしまったのでしょうか?

実はこれには理由があります。


59本目:吉田5:56→普通122M→柏崎7:08 1h12m

越後線をそのまま西へ進み続けます。すっかり明るくなった頃に柏崎へと差し掛かります。大した距離じゃないだろうと思ってたら以外にも80キロ以上新潟から離れています。ここまで2時間ほど。

ちなみに最長片道切符のルートからそれますが、新津・長岡経由で信越本線を通過した場合は新潟→柏崎はおよそ100キロの道のりになります。あら、随分と離れてる。

この場合、親切本線経由のほうが早いです。特急なら1時間20分かかるかどうか、普通列車でも2時間弱で快速ならもう少し早いです。うーん。


60本目:柏崎7:13→普通1325M→宮内7:55 0h44m

明らかに通勤通学の人が並んでいました。長岡に向かうのでしょう(時間的に新潟駅着は9時を越えるので厳しいだろう)。しかし、長岡に戻るというわけではないです。長岡のひとつ手前の駅の宮内で下車します。昨日の夕方から12時間以上かけて新潟県の中西部を1周した形になります。

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まだ国鉄車両がこの頃は健在だったんですよね、この地域でも。


61本目:宮内8:38→普通1730M→越後川口8:57 0h19m

今度は、宮内から分岐している群馬・東京方面へつながる上越線に乗り換えます。しかし、このまま越後湯沢や水上・高崎へ降りることはしません。少しだけ乗って越後川口からは今度は飯山線で長野方面へ下っていくのです。


62本目:越後川口9:01→普通182D→十日町9:28 0h27m

慌てて階段を下りて、上がってそのまま飯山線の普通列車に飛び乗ります。この時点で午前9時。もう4時間旅をしているわけです。早起きは三文の徳などといいますがどうなんでしょう。

そして十日町で降りて隣の列車が飯山・長野方面へ向かうようですが、また1時間ほど空いてしまいました。ただ外に出る気になる涼しさではなく、基本的には大人しくしていました。もっともここは北越急行線との乗換駅です。実は出てみると北越急行の乗り場も容易に確認できます。

ちなみに、北越急行はこの3年後に乗りましてもう一度十日町に降り立っています。


63本目:十日町10:29→普通132D→飯山12:06 1h37m

ようやく十日町を出発した列車は山間部へ分け入ります。深い山の中険しいカーブとトンネルを何度も通過しながら長野側へ峠を越えていきます。

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飯山線の前面展望。駅に到着するところです。レールの間にも草が生えているあたりがローカル線そのものです。冬は深い雪に覆われる地域です。


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こちらはこの3年後もう一度訪れた時に一眼レフ(当時はCannon9000D)で撮影したもの。緑に囲まれてのどかな空気が流れるんです。


64本目:飯山12:44→新幹線はくたか559号559E→糸魚川13:08 0h24m

本当は温泉に入りたいところですが、この日はそうはいきませんでした。駅そばを食べて「あー信州といえばそばだよなあ」としみじみと思ったら、はじめての北陸新幹線のお時間がやってきます。

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一部顔が見えないよう編集しましたが、真新しいホームに真新しい列車が入ってきます。そのときはあんまり貴重だと思っていなかったと思うんですけれどね。

あっという間にトンネルを抜けて日本海側に戻ると糸魚川です。上越妙高を過ぎて一旦はJR西日本エリアへ。JR東日本から抜けるんです。面白いのはJR東海という名古屋が本拠の会社より先に大阪本拠のJR西日本を通過するというところ。


65本目:糸魚川13:16→普通430D→南小谷14:17 1h01m

南小谷は「みなみおたに」ではなく、「みなみおたり」ですね。ちゃんとした表記覚えてなかったんですよね。いけないことです。糸魚川から南小谷までは引き続きJR西日本区間でワンマン列車がしかも気動車で走るという区間です。

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南小谷駅に降りると美しい川の流れを間近に拝むことができました。


66本目:南小谷15:16→快速リゾートビューみのり8362D→長野18:28

そこから今度はリゾート列車へお乗り換え。車窓に北アルプスの壮麗な眺めと湖を眺めながら大糸線をさらに下っていきます。ここからJR東日本エリアに復帰します。

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窓越しではありますが、空気感が伝わるでしょうか?山に囲まれた湖はやはり映えますね。

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逆光です。コンデジなのでこんなもんですが、編集で少しシャドーを持ち上げてみました。奥には山々が見えますね。こういうきれいな車窓をボーっと見続けるわけです。ずっと。これほど幸せな話あるでしょうか。


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松本からは、進行方向が反転して篠ノ井線経由で長野へ向かいます。つまり飯山線の飯山方面へ戻るわけです。飯山と長野は新幹線でわずか10分強なんですけれどそれを6時間かけたわけです。すごいですね。

途中姨捨からは日本三大車窓が見えました。スイッチバック(意味はグーグルでお調べください。駅に停車あるいは発車するときに後進が必要となるパターンです。)も体験し、山を駆け降りると長野に到着。そばを食べて安宿にチェックイン。

まだチェックインした段階ではそんな遅くもなかったのですが、午前5時スタートなので仮に午前9時スタートであれば午後11時相当の体力を使っているわけですからさっさと休まないといけません。


その前に休憩室で、たまたま居合わせた人と話す機会がありました。ドミトリーなのでそういうことあるんですよね。南信(つまり長野県南部)にお住まいの方で用事で長野市へ出てきたとか。長野の外に出ること自体が珍しいということで、札幌から下ってきたことに驚いていました。

SNSだと、フェアに情報が集まってくるというよりは自分と近い感覚のそれが集まってくるといわれています。ぼくのTwitterのアカウントを見ると旅行嫌いの人っていない。どこにも行ったことがない人なんて多分ほとんどいないと思うんです。

でも現実には全く違った暮らしをしている人がいる。当たり前のことなんですけれども、再発見という言葉があります。この夜はきっとそれだったのでしょう。


12日目:2015/08/07長野→安積永盛(郡山) 晴れ

67本目:長野9:19→新幹線あさま612号612E→高崎10:09 0h50m

朝は善光寺をブラブラしてから出発。いやまあここから東京へ、首都圏へとなるわけですが、長野を朝早く出ても東京までたどり着けるかどうかという感じになりますので、時間調整の意味もあったと思います。この日は水戸まで進んで、翌日は東京まで行く予定でした。

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夏の日差しがまぶしく、奥まで続くメインストリートが迫力ありますね。かなり久しぶりにいきましたが、前回のことをあんまり覚えてないような状況でしたね。

さて、ここからは新幹線が2連続。まずは北陸新幹線で高崎まで行きます。そこで乗り換えて今度は長岡の手前の越後湯沢まで戻ります。上越新幹線です。特急券は通算されないため割高になりました…あれえ…


68本目:高崎10:32→新幹線Maxとき313号313C→越後湯沢10:57 0h25m

高崎駅から今度は上越新幹線に再び乗車し北へ。新潟県側の越後湯沢へ抜けます。せっかく高崎で群馬県・関東地方に入ったと思ったら戻るんですからさすがです。

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E4系の塗装。いまは見られないものです。

ここで乗り継ぎ迄少し時間ができるので早めの昼食。大玉おにぎりを食べました。大玉というので本当に大きくてサイズがおかしいんですね。もっと大きいサイズもありましたが1人で食べきれるわけがないので遠慮しました。だいたい写真のやつで1合分だったはず。成人男性なら普通におなかが満たされますよ。

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温泉もありましたがそちらは暑いので遠慮して、今度は普通列車に乗り換えて折り返し関東へ下ります。これで信越エリアはほぼ完結です。


69本目:越後湯沢12:04→普通1734M→水上12:43 0h39m

ひたすら峠を上がってそのあとは関東へ向かい下っていきます。昔ながらのループ線が存在する区間で、東京方面への列車に乗ると実際に通ることができます。下りは後で増設された線路なので基本はずっとトンネルです。もともとは上り線を上下共用して単線区間だったんですね。

勾配を直線で登れないことがありますのでぐるっとその場で1周することで緩和されます。ぐるっと1周するのがループ線です。群馬県側の拠点の水上まで行くのに2回通過します。

とくに有名なのは水上に近い土合→湯檜曽の区間。土合は上りは地上にホームがありますが、下りはトンネルのため実は地下にあります。地下まで膨大な数の階段がありまして、最長片道切符の旅のしばらく前に訪れた時は途中で息が上がりそうになりました。そういう意味でもこの区間は有名です。

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列車の進行方向右側の車窓です。なんと線路が下に見えます。このあと、列車は左旋回して勾配を下って下に見える線路へ向かうのです。これがループ線です。そして、線路が真下に見えるというのも面白いですね。

この日は天気が良く、下の線路がはっきり見えました。勾配を上がるための工夫。苦労のあとそのものなんです。


70本目:水上12:58→普通740M→新前橋13:50 0h52m

引き続き、水上で乗り換えて高崎方面へ再び下っていきます。

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高崎まで完全には戻らず新前橋で降ります。下りホームへ。待っていると水上方面へ向かう列車が入ってきましたが乗りません。いまはJR東日本でいない形式の列車ですね。

待っていたのはたった10分ほどだったはずなんですが、ほんと焼けるように暑い。群馬・埼玉は暑いので有名ですが快晴で気温が上がりやすい日だったこともあり見事にはまりました。

とはいえ、それまで冷えた車内いて体も冷えましたからすぐに汗をふきだすことはありませんでしたが、体が冷えていなければこの10分でもっと消耗していたかもしれません。


71本目:新前橋13:59→普通455M→小山15:30 1h31m

両毛線で東へ進み、小山へ出ます。高崎線などの喧騒からは離れトンネルも言うほどなくのんびりとした時間が流れます。小山からは東北線をもう一度上がり宇都宮・黒磯でそれぞれ乗り継いで安積永盛から水戸へ接続する最終の水郡線に乗る予定でした。

そしてそうするべく小山駅に降り立ちました。


72本目:小山15:42→普通1590E→小金井15:49 0h07m

さあ、宇都宮行きだと思って乗り込んだのです。しかし、となりの小金井行き。あれ?っと思い出しました。ひとまず後続の列車に乗り換えます。


73本目:小金井16:08→普通2538Y→宇都宮16:30 0h22m

このあたりで時刻表を開きました。ボックスシートの相席していた学生さんも鉄オタ・鉄道ファンだったのでしょうか。収集したきっぷをチェックしているようでした。今思えば、「お声がけ」を望んでいたようにも見えました。一言くらい挨拶するべきだったかなあとちょっと後悔しています。

しかし話はそれどころではありません。それを横目に見ると「土日運転」「土日は運休」という注意書きがあるではございませんか…

そうです。注意書きを見落としてしまったのです。この日は金曜日。つまり平日です。つまり土日にしか運転しない列車を勝手に旅程に組み入れてしまうと運行されないのです。つまり目的地までつけずに後続の列車に強制的に乗り換えになります。土日なら宇都宮まで直行してくれますが、平日は小金井止まりなのです。これで、旅程が狂います。


74本目:宇都宮16:35→普通667M→黒磯17:26 0h51m

宇都宮で予定した列車から1本乗り遅れることになりました。時刻表を調べると、黒磯でほぼ1時間待ちで郡山の一つ手前の安積永盛駅19時を過ぎてしまいます。水戸行きの最終列車がその30分以上前に出発してしまいます。

たったひとつのミスが目的地への到達を困難なものにしてしまいました。今日は安積永盛を通過して乗り越し、郡山で夜を明かすしかないようです。


75本目:黒磯18:14→普通2149M→郡山19:26 ※安積永盛まで1h07m

幸い、宿は予約していませんでした。そのためキャンセル料を後で支払いに出向くといった最悪の事態を免れることができました。そのまま、夜を迎え、列車は安積永盛に到着しましたが決めた通りそこでは降りずに郡山まで乗り越ししました。

そういえば、2日前の8月5日はこの郡山駅からスタートしました。つまり、3日間かけて前に進むのではなく元の地点に戻ってしまったのです。3日間かけて循環したわけですね。

自分のミスで後戻りです。もう苦笑いですね。同じネットカフェに宿泊しました。

仮にミスをしていなくても、結局郡山からひとつ南の安積永盛に進むには3日かかるわけです。最長片道切符の旅おそるべしといったところでしょうか?


車窓は山あり谷ありといいます。平坦な快走シーンもあれば険しい勾配を必死にのぼっていくこともあります。最長片道切符の旅は最初の峠に突入していたのです。


(つづく)


小計 乗車回数24/乗車時間21h29m

総合計 乗車本数75/乗車時間87h55m


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