北海道胆振東部地震・札幌現地より報告

09/06/03:08

地震発生。経験したことのない激しい揺れ(震度5強)。寝ている最中だったので目が覚める。部屋にある物が飛び交うので頭をかばうのが精一杯。

揺れはしばらく続いておさまった。直ちにリモコンのスイッチを入れるとそのときはまだ停電していなかったため部屋に明かりがともり、PCやモニターが転がり部屋が散乱して危ない状態になっていることに気づく。電子レンジやラックが軒並み倒れてた。家電の故障を覚悟。スマホを取り出して直ちに情報収集。このときに、震度5強以上だったことを知り、「やっぱりかあ」と思う。

09/06/03:20-03:30

突然停電。Wi-Fi停止。突然切れたため、倒れるなどしていない機材についても故障のリスクありと判断。auのLTEは生きていたので省電力モードを使いながら情報収集。


09/06/04:00-05:00

人間の本能だろうか。外をふらつく。そういう人は本当に多かった。近くの大きな通りを境に、それより南の人は南へ、北の人は北へ向かっているのを見た。僕は南へいってから北へ。停電しているので星空が見える。

偶然ラジオを持った人がいたのでしばらく聞く。停電が継続するが公式発表がなく焦燥感が募る。冷蔵庫のものはダメになるし、食料も底をつきる可能性がある。でも、どこかで「なるようにしかならないのではないか」というどこか冷静な感情も。夜が明けたので、一旦戻る。

2018/09/06/09:00過ぎ

寝不足なので、一旦自室に戻って仮眠をとった。部屋は当然ながらめちゃくちゃになって足の踏み場もない。本当は食料を買出しにいかないといけないのはわかっていたのだが、疲れと眠気には勝てなかった。

スマホを開くと、さっきまでつながっていたネットがつながらなくなっていることに気づく。再起動などを試みてもダメだったので、機材の問題では泣く基地局の問題と判断。電話もとれず、情報収集も出来ないので、買出しもかねて外へ出る。

外は気温が上がり、なおかつこの時期の札幌にしては珍しい蒸し暑さ。汗をかいてしまい、長袖を羽織ってきたことを後悔する。空いていたイオンの小売店は、どうも1点100円扱いだった模様。現金を持っていなかった僕は安堵する。ATMはしまっているし、電子決済は出来ないので。

そのあと何とかパンも買った僕は、自室に戻ってようやく遅い朝食。パンを買ってから自室へ戻る途中、その付近でauのネットが使えることが判明。急いで情報収集と留守電に答える。そのあとやはり眠気が出て、もう一度仮眠を取る。


09/06/15:00過ぎ

仮眠を終えて、残ったパンとペットボトル飲料1本消費。停電は最大1週間くらい続くかも知れないという情報を再度の外出でネットを拾えるスポットまで移動して入手済み。長期戦を覚悟する。ただ、1週間も食料はないため絶食もあり得る状況と理解。

途中公園から水を調達できることを知る。その時点で今夜の食事は問題なしと判断。トイレを近くで借りて、鍋とやかんを持って再度公園へ行って、水をくむ。ただ、鍋ややかんは長い距離を持って歩くことを想定したものではないなあと実感する。実際、持っているとバランスが悪かった。ペットボトル2リットル入りは常に数本用意しておいた方がいいなと痛感。

2018/09/06/18:00

やかんなどで調達した水をわかす。ガスは通っていたのでレトルトカレーとごはんを準備する。途中で暗くなってきてスマホのライトで調理する。スマホは新しくしたばかりなので、バッテリーがもっていた。もし、替えなければあっという間にバッテリー切れで万事休すだった。このときスマホの充電を満タンにするも予備のバッテリーの所在を確認していなかったので、確実充電できるのはあと1回しかなく、かなり厳しいかもという予想をする(結局本当は予備のバッテリーが翌日みつかりこの時点では、7000㎃+ノートPC分の余裕があって数日は持ちこたえられるくらいの残存量だった)。

できあがったレトルトカレー。結構おいしい。また、スマホの明かりがなんともいえないいい雰囲気を作りだして、結構楽しんで食べていた。このとき地震後初めて一眼レフを取り出した。一眼レフは、カメラバッグに完全収納されていたので衝撃を受けても全く問題なかった。

心配はいろいろあったが、ネットがつながるポイントでの情報収集とトイレをかねてカメラと三脚を持ち出して夜撮影に出かける決意をする。


2018/09/06/19:00

バーベキューに興じている集団を目撃。困難の乗り切り方はいろいろあるんだなと思う。ただ、それに参加するのは500円必要だったらしい。大変な時に拘ることなのかは疑問もあったけど、夕飯を食べていた僕はそのままスルー。

しばらく歩いて、跨線橋をのぼる。以前にも1度そこから夜景を撮影したことがあるので、早速三脚を組み立てて一眼レフを取り付ける。最初は1987年生の50ミリ単焦点で撮影するも、画角があわない。そこでキットレンズを取り出す。広角なのでF4.0にしてISO1600、露光時間を15秒以内に設定できるように一工夫。そうすると、見栄えはともかくちゃんと星空をおさめられるようになる。一度やってみたかったことだったので、こんな時にという思いもあったけど、ひとりで感動していた。

感動って、上手い下手だけでは語れないものもある。これだけの星空を札幌で見ることはそうはないだろう。仮に見ることが出来たとしたならば、こういう形ではなく、イベントとして全員で明かりを消すようなそんなチャンスで巡り会いたい。

1時間くらい撮影してから、トイレを借りて自室へ戻る。やれることもなければ、真っ暗なのでそのまま眠ることにする。


09/07/未明

目が覚めると、窓の向こうの部屋に明かりがともっているのを確認。停電回復の可能性があると思ったけど、眠いのでそのまま再度就寝。


09/07/07:00

起床。コンセントをはずしたことを確認してブレーカーを入れる。すると明かり点灯。PCや家電を起動したところ壊れたものはなく、Wi-Fiも正常に稼働した。水だけ出ないが、あとの作業は一通り出来るため、危険を脱した。ただ、食料だけはそこをつきる心配が残っていたけれど。


09/08/19:00

断水から回復を確認。ライフライン全面復旧。ただし、スーパーやコンビニの品薄が続く。


~雑感~

「がんばろう」

こっちは、何とか水と食料を確保して命をあすにつなげようと自分たちなりに懸命になっている。僕は星空を撮影していたなどそうとはいえないところはあるかもしれないが、他の人は少なくともそうである。懸命に頑張っているところにかえってプレッシャーを与えることにならないだろうか。

あるいは「これ以上何をしろというのか!」そうは思わないだろうか?

東日本大震災のとき「がんばろう」という言葉があちらこちらを覆っていたが、実際は被災者を苦しめるものだったかもしれない。

自分が被災する側になってようやくわかった。「頑張れ」が逆効果になることもある。いままで僕自身本を読んだりして知っていたはずなんだけど。自分自身にも腹が立った。


「原発があれば」…

申し訳ないが、僕はそうは思えない。原発が稼働していれば、それだけに頼っていたかも知れない。それが止まれば、他の発電所を動かす前にダウンして結局同じことが起きたのかも知れない。

福島の事故だってあったのだから、そういった事態が想定外だともフィクションのおとぎ話の世界のネタだともいえない。詳しいことは後にならないとわからないだろうけど、止まったままが間違いだったとまでいえるとはとても思えない。福島と同じような事態にまで至れば、「いつ停電回復か」ではなく、「その場を離れるために死の行進もやむなし」というラインまで後退を余儀なくされたかも知れない。そうなれば、今頃こんな雑感を書いている場合ではない。

仮に原発再稼働が唯一の道だったとしても、第一、現場としては起きてしまったコトに対して「いかに早く次善の策が出るか」が重要である。その要諦は、食料と水と寝るところの確保だ。停電がなぜ心配なのかという理由はまさに「衣食住」を満たすのに支障が出ることそのものだからである。

停電が怖いのはある意味正しい。でも、それはあくまでも停電自体ではなく停電によって起こることが危機的なのである。

個人で備えられることには限りがある。食料だって青天井に買えるわけでも保存できるわけでもない。建物も絶対に損傷しないといえるわけがない。お金のない人もいるけど、お金のある人だって現金を持っていない人はいるだろう。電子決済・ATMが利用できないとカードは全て使えない。そうすると、停電時には多くの人が買出しにも困る。

だからこそ、衣食住をどう確保するか。究極には、物資を無償提供する手立てを外野の人はもっと考えて欲しかったように思う。考えていた人がいるのはわかる。そうでなかった人たちに申し上げているのである。

ここで「自己責任」という人がいる。というかこのあいだの豪雨災害の時にみかけた。そういうあなたにはこう問うておく。

「あなたがそういう目に遭った時にその主張を維持できますか?」

ちなみに、このあいだの豪雨災害の時にコンビニ物資を輸送した公的部隊がいたようだが、コンビニが有料販売するなら個人的には「ちょっとそれどうかな」と思った。


最後に

そろそろ「文句が多すぎないか」と突っ込まれそうだが、根本的な話を一言。

被災する側がいうのもなんか違うのはわかるのだが、最後に一言いっておきたいことがある。それは、「被災時支援は施しではない」ということである。

これだけじゃ説明不足だろうから、言い換えよう。

「支援は、お恵みではない」である。

本来は得られないところを特別に与えているというようなものではないということである。

これでも難しいか…まあ僕の語彙力不足なんだけど。

そもそも人間が社会を営んでいる理由を考えればわかる話である。全てひとりでまかなえるのなら、そういうのはいらない。対処できないリスクがあるからそれを分担するために存在するともいえるだろう。

ならば、震災のようなリスクが起きた時に、社会の方が「自己責任」と放っておくのは本末転倒である。むしろ、そうしたリスクを被った人に十分な支援するのは「当たり前の責務を果たすこと」そのものである(まあそれを第Ⅰ次的に担うのが政府なんだけど政府が今回のケースで十分な役割を果たしているかはまだコメントできない)。


それがリスクを分担することである。

もっと簡単な言い方をすれば「喜びや悲しみを分け合う」というのなら、悲しみや苦しみにあえぐ人々対して果たすべき責任がある。そういうことだ。

だからこそ、今後「こういう支援をして欲しかった」という声が出てきた時、しっかりと受け止めて欲しい。

いや、僕にいう権利があるというつもりはない。せめて、他の人がそういう声をあげたときにそうして欲しいというまでである。

もちろん、この次僕自身に課せられる責任でもある。何も出来ないかも知れないが、せめてそれだけでも。



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