自己紹介がてらの自分史
初めまして。Yuと申します。名前の由来ですが、本名から一文字取っただけでそれ以上の意味はありません。
ネットで普段活動している私とは名義が違うので悪しからず。特定しないでね。
さて、今回は最初の記事ということで、自己紹介がてら自分史を書き連ねていこうと思います。
駄文だし長いし暗いのでその点ご了承ください。
あと同情をください。自分より世界ランクが下の人も歓迎です。
小学校入学前
私は関東の結構大きな病院で産まれたらしいです。しかし家庭の都合で田舎に引っ越し。幼いながらに不安を抱き、その判然としない浮遊感のまま幼稚園に入れられたのを覚えています。
しかし、幼稚園にカーストやグループがあるはずもなく、結果的に一番社会に溶け込んでいた時期だと思います。
幼稚園で一番仲が良かった女の子と結婚を誓ったりなんかして。まあ卒園後合わなくなり今はどこにいるのかも知らないですが。
そこまで鮮明に覚えてないので次行きます。
小学校時代
地獄の始まり。
とりあえず吃音のせいで学校に居場所は無く、そんな奴は当然いじめにあいました。3年間私の担任をしたクソ教師も露骨に私のことを嫌ってたし。
あと、問題児とは6年間ずっと同じクラスでした。当然私も問題児だから隔離されていたのかな。
親に向かって「行きたくない、嫌だ」ってどれだけ泣いても逆に癇癪を起こされ家庭内カーストも低くなりました。
あとは、平均より少し字が汚いからって硬筆教室に通わされ、無理やりサッカーとテニスと水泳のスポーツクラブに通わされました。
おかげで今でも運動は嫌いだし、オリンピックやW杯の中継なんかをみると吐き気がするようになりました。
でも、ここで断っておきたいのですが、親のことは嫌いではないですし、嫌われてもいないと思います。当時も今でも、頑張っているんだけど育児が下手で感情が表に出てしまう人なんだなという印象を持っています。
この後も何度か(私の意志は置いておいて)スポーツクラブや塾に通わされ、他の人より多く課金をしてもらったと思います。その点に関しては感謝しています。
そんな感じで親の期待に応えるために勉強をしていたので、人並みにゲーム機やパソコンは与えてくれました。特にパソコンは他の人よりかなり早い時期に与えられたんじゃないかと思います。
当時没頭していたのはラグナロクオンライン、アメーバピグ、にちゃんねる、ニコニコ動画あたりです。あとおもしろFlashも見ていました。
クラスの輪に溶け込めないので、高学年になるにつれてネットの世界に深く沈むようになりました。今思うと典型的なオタクの思考ですね。
だけど小学校時代は幸福曲線で表すとまだ高い方。中学から一気に堕ちます。
中学校時代
この時期から周囲に置いていかれているという自覚が出てきました。
明らかにスポーツも勉強も芸術も同年代と比べて劣っていて、自分のステータスの低さに絶望しました。
ずっとネット世界で自己表現を繰り返していたため、典型的な中二病にもなりました。孤独がカッコいいと思い、更にネットに溶け込む。ネットから影響を受け中二病が悪化する。
少なくとも高校入学まではそのスパイラルから抜け出せなかったです。
部活ですが、小学校のテニスクラブの続きでテニス部に入りました。最初は経験者ということで中の上くらいの実力はあったのですが、私のペアが絶望的に下手な子でして、まず試合に勝ったことが無いです。
一日に10回は雑魚って言われ、それで練習にも行かなくなり、本当に実力が最底辺になりましたとさ。人生最後の運動の記憶です。
そんな感じだったのでこの頃から感情を殺すことを覚えました。最初は中二病だったので「感情無い俺カッケー」みたいに思っていたけど、いつの間にか本当に感情表現が出来なくなりました。
文字にすると本当に良い思い出が無いですね、次行きます。
高校時代
所謂自称進学校に進学。
なんと、私と友達になろうと言ってくれる人が現れました。この人も癇癪おこしがちだし、急に泣き出すこともある不思議な人だけど私なんかに話しかけてくれる時点でとても有難い。
2か月後、なぜか私はいじめで停学になりました。
どうやら原因はその子らしく、軽い言い合いや小突き合いを100倍に誇張して教師に告げ口されたようです。
教師の目の前で言った「馬鹿だろ~(笑)」が駄目ならその時に怒れや。
親を呼び出して必死に弁明しましたが、「本人がいじめだと思ったらいじめだ」という、見事な朝田理論を突き付けられ、約一か月の自宅謹慎をしました。
そもそも1対1はいじめと言うのか?
復帰後、もちろん私のカーストは底まで落ちており、そこで本当の意味のいじめにあいました。保健室登校になり、スクールカウンセラーなるものに気持ちの籠ってない慰めの言葉をぶつけられ、感想文を書かされました。
この件について何度も学校に相談したのですが、私の時と違ってクラスのほとんどを一斉に停学にすることはできないんでしょうね。本当にクソ。
教師にも嫌われており、進級するために最低限の授業には出席するようにしていたのですが、授業中にはよく当てられました。
私は普段出席していないし、吃音もあったのでそこで笑われるか怒られるかしていました。
あとは、少し俯いただけで放課後呼び出されたり、吃音症状を馬鹿にしていると思われ殴られたり、歩いていたら邪魔だと言われ服を破かれたり。
少なくともあいつらは一時の感情で動いていて、学生を育て上げるという理念なんかありません。断言できます。
まあ、私に構う友人なんかいないし親は私に課金もしてくれたので成績の方は上がり調子だったと思います。
受験も終わり担任に合格報告をしたときに「俺のおかげだな!」と言われたときは初めて人を殴りそうになりました。
高校は人に対する不信感が一気に深まった時期でした。そのため、浮足立つ次期大学生共を尻目に、キャンパスライフを想像しては絶望していました。
大学時代
あらゆる人に呪詛を振りまいていた時期です。
専攻は自分で選んだので、今までよりある程度勉強は楽しく、それを心の拠り所にしていました。あと一人暮らしをはじめていくぶん精神的に楽になりました
しかし、私が選んだ学部は少人数授業を謳っている学部だったので、今までの鎖のせいで順当に孤立していきました。
クラス内は、クラスメイトの半分がバンドを始めて、そこのカーストが常に支配していました。いわゆる講義室の後ろで騒ぐ連中です。
実習の講義ではその一味とペアにならないことを祈り、その度に胃腸を痛めていました。
でも、まったくそいつらと関係が無かったわけではありません。
レポートがあるときだけは私を頼ってくれていましたね。私は現実逃避気味に勉強をしていたので成績は上々。ある程度は人権がありました。
レポートを見せなかった実習は無かったと思います。クソ。
BBQとかカラオケとか、クラスで頻繁に開催していたらしいですね。教授も「ここの学科は仲がいいねえ~」なんて言っていました。本当にみんな楽しそうでしたよ、他人事ですが。
そんな感じなので、常に理想と現実のギャップに悩まされていました。というか、まだ自分にそんな感情が残っていたことに驚きました。
所属していたサークルはいわゆるオタク系のサークル。大学唯一の希望だったのですが、PCを与えられた時期が早かったので一昔前のオタク知識にしか明るくなく、輪の中にここでも入れませんでした。最悪な伏線回収ですね。
バイトもまあ・・・、やってはいたけどちゃんと最悪でしたよ。人運が無いんでしょうね。
そんな私が人としての形を保つためにとった行動は呪詛を振りまくことです。
今まで自分をひたすら攻めていたのですが、自分はもう嫌いになっちゃったので。
他人を嫌いになる余地はまだ残されており、他人を攻めた方が楽だということに気が付きました。
さて、研究室配属後の話をします。率直に言ってクソでした。
成績は良かったので有名どころの研究室に配属されたのですが、私に就いた先輩がちょっとやばい人で、何度も暴言を吐かれました。
そいつだけでなく、他の学生も無駄に意識が高く、「ここは私が居たらいけない場所だ」と悟りました。
私はそいつにありったけの呪詛を飛ばすことしかできず、ここで初めてメンクリを使いました。まあメンクリに過度な期待を寄せすぎていたせいで絶望感がさらに増したのですが。
メンクリで診断書を貰い教授に突き付けて長期休暇を貰いました。これで少しは心がマシになったのですが、その一週間後に感染症のせいで入校禁止になりました。診断書貰う必要なかったじゃねえか。クソ。
この時、少し不思議なことを経験したので後日記事にしますね。
書きました。
さて、とても長い自由時間を手に入れたわけですが、消去法的に勉強をするしかなくその流れで自然と院進することになりました。もちろん研究室を変えて。院試は楽だったな。
大学院時代~現在
新研究室はコアタイムの無い研究室にしました。その理由は深夜に実験ができて、人と会わなくていいから。
ゼミ発表の頻度も少ないし、教授も干渉しすぎない。自己計画性が物凄く求められるタイプの研究室ですが自分に合っています。
自粛期間中、院試勉強よりも研究室探しに尽力した甲斐がありました。
ラボメン同士も互いにそこまで介入し合わない。いや、違うな。他のラボメンは仲いいけど私に干渉しようとしないだけだ。まあ、カーストやグループがあるよりは随分マシです。
就職活動ですが、吃音があるので苦戦するかなーと思ったのですが、なんと12月から初めたにも関わらず2月にそこそこの大手から内々定を頂きました。
その時に使用したカスみたいなテクニックもいくつか記事にしたいと考えています。
しました。
サークルも新しく入り直し、ある程度楽しくやっています。院生特有の部外者感は否めないですが。
そんな感じです。幸福曲線で表すと小学校と同じくらいですね。
以上になります。
人生の目標もなく、ただ人の仮面をかぶった化け物として18年間学生を謳歌してきた社会不適合者が、あと半年で仕事をすると考えるとどんな話より怖いですね。
書いていて思ったのですが、嫌なことばかりずっと覚えていますね。
自称HSPなんて言うつもりはないですが、吃音保持者は多感な方が多いらしいので関係あるのかもしれません。どうでもいいけど。
あと、私に限らず吃音者の人生って結構面白いんですよね。知り合いに吃音者がいたら生い立ちについて聞いてみるのもいいのではないでしょうか。簡単には語ってくれないと思いますが。
自分より下の人が欲しくて呪詛を撒くことを覚えた私ですが、まだその癖は抜けていません。仕事の同僚にも同じことをするんだろうな。ああ、嫌だ。
まあ、この記事を書いた目的も呪詛を振り撒くためですからね。