フォーラム東根で『プロメア』を見たら、人生で初めて父と二人で映画館に行くことになった話
プロメアとフォーラム東根がきっかけで自分にとっての「映画館」の意味が大きく変わった話、まさかの続きでございます。
詳しくは上の2つの記事を読んでいただきたいのですが、まぁざっくり説明すると、大学進学以降映画館という場所が疎遠になっちゃってた私が『プロメア』というアニメ映画をきっかけに「フォーラム東根」という映画館自体のファンになってしまい、最終的に映画館で年越しする話です。
年越し上映以後、長らく終わる終わる詐欺を続けていたフォーラム東根の『プロメア』上映もフィナーレを迎え、立像は東根を去り、ロビーの展示も撤収され、ひとまず一旦の区切りをつけました。
今回は『プロメア』と直接の関係は無い、けれど『プロメア』と「フォーラム東根」が無かったら起こることは無かった、ごくごく個人的な出来事の話です。
父、衝撃の過去
きっかけは、『プロメア』のライブ&トークイベント「LIVE INFERNO」のライブビューイング。
その日は諸事情で車の運転ができなかったので、両親に頼んで東根まで車で送ってもらったんです。
前述の通り、東根で『プロメア』を観るまで映画に関する興味が長いこと絶滅危惧状態になっていたので、家族と映画館に行くことも中学生の時以来無い状態で。
映画の話をすることはあっても、「映画館」の話をすることって全然無くて。
東根に向かう車内で、随分久しぶりに映画館の話をしました。
山形市の七日町にあった単館系の映画館のこと、フォーラム東根のこと、2年弱を過ごした盛岡の映画館通りのこと。
そんな話をしていた流れで、父の口から衝撃の事実を知らされました。
「俺、昔『えいあいれん』に入ってたんだよね」
………………は??????
「山形えいあいれん」は1974年に山形市内で発足した自主上映サークル。
そのメンバーが中心となって、「フォーラム山形」は設立されました。
「フォーラム東根」も、そこに端を発したネットワークの中の一つ。
自分の父に映画好きのイメージが無かったので、もう完全に寝耳に水。
正直なところ半信半疑だったんですが、「LIVE INFERNO」から帰宅したら淀川長治の隣に若い頃の父がいる写真を見せられました。
ちなみに父、「山形えいあいれん」は「フォーラム山形」設立の話が出る前に、現・フォーラムシネマネットワーク代表の長澤さんと大喧嘩して辞めたそうです。
父、厄介じゃねぇか。
缶ビールの代わりに、映画館へ
フォーラム東根に来るのが初めてだった父、中がどんな感じなのか気になっていたようだったのですが、今日の感じはちょっと特別なのでやんわり止めておきました。
ただその時、ふと「そのうち親父を誘って、フォーラム東根に映画観に来ようかな」という考えが頭を過ったのでした。
私事ですが先日、30歳になりまして。
父もめでたく定年退職まで現在の職を務めあげ、今は嘱託の身として同じ職場で働いています。
このくらいの歳になると、父と息子の距離感って少し変わってくるような気がして。
普通の親子なら子の方から缶ビールを差し出し「ちょっとどう?」なんて言ったりするんでしょうが、あいにく私の父は酒がとてつもなく弱い上に微塵も好きじゃないので、そういったこともありません。
自分の父となら、一緒に映画を観に行くのがいいかも。
「LIVE INFERNO」を観に行った夜、幼い頃に父親(私からすると祖父)に初作の『ゴジラ』を観に映画館に連れていかれて恐くて泣きそうになった話をする父を見て、そう思ったのでした。
お願い!シン・ゴジラ
5月頃、新型コロナウイルスの影響で新作映画の封切が延期になり、各映画館では過去の作品をリバイバル上映を行っていました。
山形では対策を行えば外出しても良いのでは、という感じの時期だったので、映画の1本でも観に行きたいな……と思い、フォーラム東根の上映リストを眺めていると、そこに『シン・ゴジラ』の文字が。
この映画、劇場でやってるなら何度でも観たいくらい大好きな作品なので、ちょっくら観に行くかと思ったのですが、そこでふと父が頭に浮かびまして。
父、『シン・ゴジラ』は公開当時映画館で観そびれて、DVD借りてきて観たんですよ。
もしかしたら、映画館でやってるとなれば興味持つかも、と思って誘ったところ、案の定乗ってきたので、人生で初めて父と二人で映画を観に行くことになりました。
余談ですが同じタイミングでまさかの『プロメア』復活上映という事件が起きまして。
『プロメア』と『シン・ゴジラ』どちらを取るか迷った挙句、ダメ元で父に遠回しに『プロメア』を紹介してみるという手段を取ってみたのですが、残念ながら全く興味を示さなかったので結局『シン・ゴジラ』に落ち着きました。
父、フォーラム東根に立つ
新型コロナウイルスの影響で外出自粛が叫ばれていて、フォーラム東根に来ること自体久しぶりだったので、父のことを差し引いてもまた映画館を訪れたというだけでなんだか感慨がありました。
久しぶりに映画館のスタッフさん方とも挨拶ができまして、なんだか息がつまりそうになっていた日常に少し風が通った感じがしたのを覚えています。
映画館のスタッフさんを親しげに話す息子を見て、父はどう思ったんだろうだろうか。
まぁ、その様子を見ていたかどうかも分からないのですが。
シアターに入ると、お客さんは私と父だけの貸し切り状態。
本当に、色々な条件が揃わなければこんな機会なかっただろうな、と今になるとつくづく思います。
一概に好ましいとは言えない条件も多々ありますが、稀有な機会だったのは間違いなかったな、と。
父と、何か特別な話は一切しませんでした。
ただ一緒に映画を観て、車の中で内容すら覚えていないような話をして、家に帰っただけでした。
それでも、私はこの日のことを死ぬまで忘れないと思います。
『プロメア』とフォーラム東根が作ってくれた、父と息子の時間
これはもう本当に偶然なんですが、父と『シン・ゴジラ』を見たその日は、1年前に『プロメア』が封切された日でした。
『プロメア』という作品が無かったら。
フォーラム東根という映画館が無かったら。
きっと、父の映画にまつわる過去を知ることも、二人で映画館に行くこともありませんでした。
そう考えると、この二つが同じになったのは、本当に不思議な縁だな、と思います。
重ね重ね、『プロメア』とフォーラム東根には感謝してもしきれないなぁ、とつくづく思った1日でした。
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